北条氏康 関東争乱篇第三十三回

十四

 三月初め、長尾軍は相模中郡に侵攻し、当麻に陣を敷いた。ここで北条氏の出方を窺うことにしたのだ。
 このとき景虎が率いていた兵力は九万六千だという。敵は十万という氏康の見立ては正確だったわけである。
 関東でこれほどの軍勢が集まったのは河越の戦いのときに両上杉氏と古河公方が八万の軍勢を集めて以来であり、しかも、そのときより数が多い。
 当麻は玉縄城の北西に位置する。
 玉縄城は鎌倉を守るという役目を担った城である。
 つまり、玉縄城を落とせば鎌倉が手に入る。
 新たに景虎の陣営に加わった者の多くは、
「玉縄城など一気に攻め潰して鎌倉に入り、若宮に参詣なさるべきです」
 と勧める。
 関東管領に就任すると鶴岡八幡宮の若宮に拝賀するのが慣例だからである。
 景虎の場合、上杉の家督を継ぐための儀式も行う必要がある。
 伝統や格式に人並み以上にこだわる景虎とすれば、ふたつの重要な儀式は何としても鎌倉で行わなければならないのだ。
「うむうむ」
 景虎は機嫌よさそうに耳を傾け、
「もちろん、そのことは考えている。しかし、わしが鎌倉に入れば、さすがに北条も黙ってはいないだろう。戦など少しも怖れていないが、戦になれば、静かに拝賀もできまい。わしは神聖な儀式を静かに行いたいのだ。それ故、まず小田原を攻め落とすつもりでいる」
 と答える。
「それもそうですな。御屋形さまは軍神の如き戦上手でおられる。軍神がこれだけの兵を率いて押し寄せれば、氏康は膝を屈して和を請うでしょう」
「そうかもしれぬ」
 ご機嫌取りのお世辞にもにこやかにうなずく。
 氏康と干戈を交えてもいないのに、すでに景虎の周辺には戦に勝ったかのような楽観的な雰囲気が漂っている。
 これを冬之助は危惧した。
 二人きりになると、
「どうやら北条は籠城するつもりのようです」
「ふんっ、臆病な奴らだ」
「最初から、まったく戦うつもりがなく、着々と籠城準備をしているという知らせが届いております。よほど守りを堅くしていると考えなければなりませぬ」
「わかっておる。そう心配ばかりするな。われらが押し寄せれば、北条勢は肝を潰すだろう。誰かが言っていたが、小田原殿は和睦を願うのではないかな。戦っても勝てる見込みがないのだから」
「向こうは、もはや勝つことは考えておりますまい。負けぬことだけを考えているのではないでしょうか」
「戦わなければ、勝つことも負けることもないからのう」
「お怒りを受けるのを覚悟で正直に申し上げてもよろしいでしょうか?」
「構わぬ。言え」
「野戦であれば、間違いなく御屋形さまが勝つでしょう。兵の数が北条より少なくとも勝てるでしょうが、今、十万近い兵が御屋形さまの元におります。野戦で負けることはあり得ませぬ」
「うむ。それで?」
「しかしながら、御屋形さまは、あまり城攻めが得意ではありませぬ」
「......」
 景虎がピクッと反応する。
「もちろん、守りの手薄な小さな城であれば、兵の数にモノを言わせて攻め潰すこともできましょうが、十分な備えをして待ち構えている守りの堅い城を落とすのは容易なことではございませぬ......」
 そういう城を攻めるのに、人海戦術はあまり意味がない。力攻めをすれば、いたずらに死傷者が増えるだけであろう。
 結局、最後には火力がモノを言う。
 鉄砲と大砲だ。
 大砲といっても、この時代の大砲は初歩的な段階の大砲で、丸い鉄の塊を飛ばすだけである。爆発力がないから、火災を発生させることもできない。
 それでも重い鉄の塊が空から落ちてくれば敵に心理的な恐怖を与えることができるし、城壁や建物に多少の損害を与えることもできる。
 しかし、その程度の威力しかない。
 大砲よりも実戦的なのは鉄砲である。
 射程距離は短いものの、弓矢よりは正確に敵を狙うことができるし、殺傷力も強い。
 長尾軍にも鉄砲はあるが、数は少ない。
 恐らく、北条氏よりも、ずっと少ないであろう。
 景虎が鉄砲の威力を軽視しているためで、この時期、最も多くの鉄砲を所有しているのは武田信玄である。
 氏康は信玄からの援軍がわずか三百と聞いて嘆いたが、実は、その三百人には鉄砲足軽が百人含まれている。鉄砲足軽一人は、槍を抱えた足軽五人分くらいの働きをすると言われるから、この援軍は、信玄とすれば、氏康に対するかなり思い切った厚意の表れなのである。
 河越の戦いのとき、両上杉軍と古河公方軍が八万もの大軍を擁しながら河越城を落とすことができなかったのは、攻め手がだらしなかったのも事実だが、火力が不足していて、守りの堅い河越城を攻めあぐねたのも事実なのである。
 長尾軍には火力が決定的に不足している。小田原城を攻め落とすだけの火力を持っていないのだ。
 景虎だけが悪いのではない。
 冬之助も油断した。
 北条氏ほどの大名が本国に攻め込まれ、本拠の小田原城を攻められるというのに、まさか一戦もせずに籠城を選択するとは予想していなかった。
 総力を挙げて小田原防衛のために決戦を挑んでくるだろうと考えていたから、城攻めではなく、野戦の策ばかりを検討していた。
「確かに、わしは城攻めが好きではない。しかし、苦手だとも思っていない。せっかく、ここまで来たのだ。小田原城を攻めずに帰るわけにはいくまいよ」
「......」
 景虎は余裕たっぷりに笑みを浮かべる。
 その顔を見て、
(何を言っても無駄だ)
 と、冬之助は諦める。
 無理もない、と思う。
 山内上杉の家督を継ぎ、関東管領になっただけでもすごいことなのに、短期間に十万もの兵が群がり集まってきた。己の力を過信するなと言うのが無理であろう。
 ここで北条氏を倒せば、景虎の勢力圏は日本海から太平洋にまで達する。その勢いを駆って進めば、宿敵・武田を打ち破ることも可能であろうし、天下人になることすら夢ではない。
 景虎自身には政治的な野心も領土的な野心もないから、天下人になろうとはしないであろうが、その力を利用したいと思う者は多いはずだ。
 足利義輝が、汝を副将軍にしてやる、都に来てわしを助けてくれと頼めば、一も二もなく承知するであろう。
 今の景虎は、それほどの高みに舞い上がっている。そんなときに後ろ向きなことを言っても聞く耳を持たないのは当然だ、と冬之助にもわかる。
 話し合いが不調に終わると、冬之助は景虎の許しを得て、小田原に向けて先行することにした。
 何が何でも小田原城を攻めるというのなら、まずは自分の目で実際に小田原城を見なければならぬと考えたからである。
 敵地を縦断して行くわけだから、冬之助も危険を覚悟している。
 下野から岩付城に向かったときは、修行僧に化けて、敢えて一人で旅したが、今度は、そうではない。景虎から一千の兵を預かった。これだけの兵を率いるとなれば、ただの偵察ではない。いわゆる武力偵察であり、敵軍と遭遇すれば一戦も辞さずという覚悟の偵察である。
 だが、それは杞憂であった。
 当麻から小田原まで、沿道には数多くの北条方の城が存在するし、冬之助たちが小田原に向かっていることに気が付かないはずもないのに、城から出て迎撃しようとする動きは皆無だったのである。
(わしらとは戦わぬと腹を括っているわけか)
 恐らく、何があろうと城から出てはならぬ、じっと籠城を続けよ、という命令が氏康から出されているのに違いなかった。その命令を律儀に守っているから、どの城からも北条兵が出て来ないのであろう。
 何の邪魔立てもされなかったので、冬之助は当麻を出た翌日には小田原に着いた。
 驚いたことに、小田原城にすら、容易に近付くことができた。北条兵が見当たらないだけではない。町にも人の姿がないのである。当麻から小田原に来る途中も、どの村にも人影がなかったことを冬之助は思い起こす。籠城策を決めた氏康は、領民たちも避難させたのであろう。
(大したものだ)
 ここまで徹底して決戦を避けようとする姿勢に、ある種の清々しさを感じる。
 と同時に、
(小田原殿だけの考えではないな)
 この籠城策を氏康に献じたのは風摩小太郎青渓に違いないと思う。
 自分が北条方にいたらどうしただろうか、やはり、籠城するだろうか、それとも、劣勢であることを承知で決戦に臨むだろうか、と反問する。
 長く考える間もなく、
「わしなら外で戦うぞ、青渓」
 冬之助が声に出す。
 どれほど劣勢であろうと野戦で勝機を見出そうとするのが冬之助のやり方であり、主の長尾景虎もそういう型の武将である。
 その点、冬之助と景虎はよく似ている。
 徹底した籠城策を立案した小太郎と、その籠城策を採用した氏康も、やはり、似ているであろう。
 そう考えれば、この戦いは、長尾景虎と北条氏康の戦いである以上に、曾我冬之助と風摩小太郎の戦いであると言っても間違いではない。
 冬之助は数人の兵だけを連れて、小田原城の偵察に出かける。大胆すぎる行動だが、北条兵に待ち伏せされる危険はないだろうと見切っている。
 徹底した籠城策を取り、一人の兵も城から出さないように命じている氏康が、一千の敵軍が小田原城の前に現れたからといって小細工を弄するはずもないと考えたからだ。
 実際、何の邪魔立てをされることもなく、冬之助は小田原城の外堀近くまで進むことができた。
 そこで驚愕した。
(何と、これは......)
 幅が広く、かなりの深さがありそうな水堀が左右にどこまでも続いている。
 冬之助は水堀に沿って馬を走らせるが、どこまで進んでも終わりがない。ついには海に出た。
 水堀の向こう側には土塁が積み上げられているので、中の様子がわからない。
 小高い丘に上って、大きな木によじ登る。木の枝に跨がると、懐から遠眼鏡を取り出して城内の様子を窺う。
「......」
 冬之助が言葉を失う。
 水堀は城の外にあるだけではない。
 城内にも二重三重に水堀が巡らされている。
 たとえ最も外側の水堀を突破して城内に侵入しても、城内にある橋を落とされてしまえば、攻め手はそこで立ち往生するしかないということだ。
 しかも、敵の侵入を想定して、馬が通ることのできそうな道には大きな障害物がいくつも置かれている。馬の通行を邪魔するだけではなく、その障害物を盾にして鉄砲を撃ったり、矢を射たりすることができるように工夫されている。
 北条氏の所有する鉄砲の数が長尾軍のそれを上回っていることを、改めて冬之助は思い出す。
 攻め手が立ち往生しているところを鉄砲で狙い撃ちされたら、甚大な被害が出ることは容易に想像できる。
 何よりも冬之助を驚かせたのは、小田原城の巨大さとその堅固さである。
 実際に小田原城を目の当たりにして、冬之助は城攻めをするという発想が根本的に間違っていたことを悟った。遙か遠くに小田原城の本丸や二の丸、三の丸、様々な曲輪が見えており、常識的に考えれば、それらの集合体が小田原城であろう。
 ところが、果てしもなく広がる水堀は、城そのものだけではなく、城の周辺にある町も囲んでいるのである。
 それは、小田原城を攻めるということは、小田原という町を攻めることと同じだということである。町そのものが要塞化されているのだ。
 冬之助が驚いたのは当然で、当時の小田原城は日本最大級の規模だった。初代・宗瑞以来、氏綱、氏康と連綿と絶え間なく規模を広げ、防備を固めてきたことが今になって生きたわけである。
 余談だが、このときから三十年ほど後、豊臣秀吉は小田原城を間近に見て衝撃を受け、上方に帰ってから大坂城の惣構の堀を構築することを決めたという。その惣構(そうがまえ)が大坂冬の陣で徳川軍を苦しめたのはよく知られている。
(無理だ。こんな城を攻めたのでは、たとえ十万の兵がいたとしても勝てるはずがない)
 勝てるどころか、城攻めに手こずっているうちに城方から反撃を食らい、自分たちが敗北することまで考えられる。小田原城を攻めるのは危険が大きすぎる......それが冬之助の出した結論である。
 自分の考えが決まると、直ちに冬之助は景虎の元に取って返した。

北条氏康 関東争乱篇

イラスト◎森 美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した偉大なる祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱。一族の悲願・関東制覇を期する氏康の傍らには、祖父が育てた軍配者・小太郎がいた! 河越夜襲で劇的勝利を収めた氏康を待つものは……北条三代目の生涯を描く人気シリーズ第四弾。

〈北条サーガTHE WEB〉http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

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