北条氏康 関東争乱篇第二回


「何とぞ、何とぞ、よろしくお願いいたしますぞ」
 憲政は膝を乗り出し、下座で畏(かしこ)まっている景虎(かげとら)を見つめ、弾正少弼(だんじょうしょうひつ)殿、と力を込めて言う。
「は。承知しております」
 景虎が恭(うやうや)しく平伏する。景虎の背後に控えている直江実綱(なおえさねつな)と冬之助(ふゆのすけ)もそれに倣(なら)う。
「うむ」
 憲政は満足げにうなずくと、腰を上げて広間から出て行く。その後には桃風(とうふう)が続く。
 廊下に出るとき、桃風がちらりと振り返り、肩越しに冬之助を見る。その目には複雑な感情が滲んでいる。
 桃風と冬之助の間には様々な因縁がある。
 冬之助が仕えていた扇谷(おうぎがやつ)上杉氏は河越の戦いで滅亡したが、そうなった原因の一端は桃風にある。それ以前から、冬之助は軍配者としての桃風を軽蔑しきっていたが、北条軍への対応を巡って桃風の自尊心を傷つけたことが原因で手痛いしっぺ返しを受けた。そのせいで、北条軍が扇谷上杉軍の陣地を夜襲したとき、主・朝定(ともさだ)のそばにいてやることができなかったのである。
 それだけではない。
 主家を失った冬之助が山内上杉氏に仕え、自分の立場が脅かされることを怖れた桃風は、冬之助を信濃に送った。そこを冬之助の死に場所にするつもりだった。思惑通り、遠征軍は小田井原(おたいはら)の戦いで武田軍に敗れ、冬之助は囚われの身となった。危うく磔(はりつけ)にされて殺されるところだったが、四郎左(しろうざ)の手引きでかろうじて助かった。
 桃風のせいで、冬之助は不運の階段を転がり落ち、危うく命まで落とすところだったのである。不倶戴天の敵と言っていい。
 その冬之助は、今は宇佐美冬之助として長尾景虎(かげとら)に仕えている。
 そんな事情など何も知らない桃風は、越後に逃れた憲政が景虎と初めて対面した席に冬之助がいるのを見て仰天した。
 それ以来、何度も顔を合わせているが、冬之助は桃風を責めるでも罵るでもなく、冷たい表情で格式張った挨拶をするだけである。それがかえって桃風を不安にする。いつか復讐されるのではないか、と恐ろしいのだ。
(気持ちの悪い奴だ。何を考えているのだか......)
 今も、そんな思いで、桃風は冬之助を見遣った。
 そもそも、自分はこんなところにいるはずではない、という悔しさもある。
 平井城を捨てたとき、上原兵庫や菅野大膳(すがのだいぜん)らの重臣たちは憲政の前途に見切りをつけて逐電した。
 桃風もそのつもりだったが、その機会を逸した。北条軍の攻撃を怖れる憲政が、桃風を片時もそば近くから離そうとしなかったせいである。そのせいで、平井城から厩橋(うまやばし)城、厩橋城から越後へと、否応なしに憲政と行動を共にすることになってしまった。
 越後に入ってからは、
(ここまで来たら、じたばたしても仕方がない。しばらく様子を見ることにしよう)
 と腹を括った。
 そんなときに冬之助と再会したのだから、桃風が仰天するのも当然なのであった。
 憲政と桃風が廊下に姿を消すと、
「さて、どうしたものか......」
 景虎は体の向きを変え、あぐらをかくと、こっちに来い、と言う。景虎よりも更に下座に実綱と冬之助が控えているのである。
 二人が景虎のそばにやって来る。
「管領殿にあのように頼まれたのでは、何もしないわけにはいくまいのう」
 景虎がつぶやく。
「殿の顔を見るたびに同じことを申されますから」
 実綱が苦笑いをする。
 憲政の頼みというのは、上野に兵を出し、北条氏に奪われた領地を取り戻してほしいという、何とも、虫のいい頼みなのである。
 見返りに領地をくれるとか、何かしら景虎にも旨味があれば話は違うのだろうが、そんな旨味はない。
 常識に考えれば、誰でも断るであろう。
 面と向かって断ることができなければ、適当に生返事をして、憲政の頼みを聞き流せばいい。
 だが、景虎は真剣に悩んでいる。
 この年の五月下旬、従五位下・弾正少弼の官位を与えられたことも影響している。
 弾正台の尹(いん)には親王が任じられることが多いので、実質的な責任者は大弼(だいひつ)になる。その補佐をするのが少弼である。
 弾正台は「非違をただす役所」であり、大弼、少弼は「非違を糾弾することを掌(つかさど)る」と大宝律令に記されている。
 もちろん、過去の話である。
 こんな役所や役人が実権を握っていたのは平安時代、貴族が政権を担っていた頃のことで、武家政権が成立し、貴族が実権を失ってからは、大宝律令に定められた官位など、有名無実の肩書きに過ぎない。
 出自の卑しい、地方の成り上がり大名が箔を付けるために朝廷に献金し、その金額に応じて、適当な官位をもらうという、単なる名誉職なのである。
 それ故、景虎が弾正少弼に任じられたことにも大して深い意味はない。
 が、景虎本人は、そう思わなかった。
 終生にわたる景虎の癖というか習性というか、とにかく、権威に弱く、その権威を馬鹿正直に崇め奉るのである。
 そういう意味では、弾正少弼に任じられたのは運命的であると言っていいかもしれない。
(物事には筋道がある。間違ったことを許してはならぬ。必ずや、道理を重んじるようにしなければならぬ)
 と思い定めている。
 愚かで間抜けな憲政を恭しく丁重に扱っているのも、決して表向きだけのことではない。関東管領という権威に心から敬意を払っているから、憲政の言葉を、あたかも天のお告げであるかのように受け止めている。
 景虎の判断基準からすれば、神聖なる関東管領の権威を踏みにじり、その領地や城を奪うなどという悪行は決して許されない、ということになる。
 憲政が、
「上野に兵を出し、北条の者どもを駆逐せよ」
 と命ずれば、そうしなければならぬ、と考えている。何のためらいもない。
 それが景虎の裏表のない本心なのである。できることなら、すぐにでも上野に出兵したいのだ。
 が......。
 そう簡単にはいかない事情がある。
 景虎は権威を重んじる生真面目な性格だが、皮肉なことに、父の為景(ためかげ)はそうではなかった。守護代という立場にありながら、主家の越後上杉氏を圧迫して、越後の支配権を奪った。下剋上の権化のような梟雄(きょうゆう)だったのである。
 当然、国内には敵が多く、反長尾という立場で結集する豪族たちがいる。彼らを屈服させることができぬまま、為景が急死した。
 為景の死後、景虎の兄・晴景(はるかげ)が後を継いだが、次第に反長尾勢力が力を伸ばしたため、景虎は晴景と袂を分かち、力尽くで長尾の家督を奪おうとした。
 景虎が勝利して長尾家の当主の座につき、越後守護となったものの、それを認めず、頑強に抵抗する豪族たちが依然として残った。その中心にいるのが景虎の遠縁に当たる長尾政景(まさかげ)である。
 一昨年の暮れから景虎と政景の抗争は激化し、それは去年の夏まで続いた。抗争が長引いた原因は、端的に言えば、景虎の政治力のなさと言うしかない。戦争は得意だが、政治は苦手なのである。
 最後には景虎が政景を屈服させ、景虎の姉を政景に嫁がせるという形で和睦が成立した。
 ちなみに、この夫婦から生まれるのが、後の上杉景勝(かげかつ)である。
 政景との和議の成立で、ようやく越後は平穏になったが、それは表向きのことで、景虎の立場が盤石だとは言い難い。そんなときに大がかりな軍事行動を起こすことを、景虎がためらうのは無理からぬことであろう。
 しかも、この時期、景虎配下の有力豪族たちが土地を巡って争っている。その中でも、平子孫太郎と松本河内守との争い、中条藤資(ふじすけ)と黒川実氏(さねうじ)との争いは深刻で、双方が一歩も譲らず、ついには武力衝突まで起こしている。
 景虎は、その裁定に苦慮している。ひとつ間違えば、内乱にまで発展しかねないほどの問題であった。
 そんなときだから、
(何とかして差し上げたいのは山々だが、今は管領殿の問題にまで関わっている余裕はない)
 というのが景虎の本音であったろう。
 しかし、弾正少弼という立場が、そんな言葉を吐くことを景虎に許さない。己の価値観に景虎は縛られて身動きが取れなくなっている。
「どうしたものか......」
 景虎が溜息をつく。
「北条に使者を送っては、いかがですか?」
 冬之助が口を開く。
「使者だと?」
 景虎が冬之助を見る。
「北条が奪った城と土地を管領殿に返すように申し入れるのです......」
 扇谷上杉氏は滅んでしまったから、北条氏が河越城や松山城を維持するのは仕方がないし、そもそも、それは武蔵の話である。
 しかし、上野は昔から山内上杉氏が支配してきた国なのだから、鉢形(はちがた)城や平井城、厩橋城などは憲政に返すべきだ、と冬之助は言う。
「......」
 実綱がちらりと横目で冬之助を見る。
(こいつ、何を考えている)
 と呆れた顔である。
 無理もない。
 この時代、戦争で奪い取った城や土地を、おとなしく返す馬鹿はいない。
 ところが、景虎は、
「おお、それがいい。北条殿も道理を説けば、きっとわかってくれるであろう。様々な行き違いがあって合戦沙汰になったにしても、管領殿は関東の盟主なのだ。関東の大名は管領殿に従わなければならぬ。頭を冷やして考えれば、きっと北条殿にも道理が通じる」
 そうだ、それがいい、と景虎は自分の膝をぽんぽんと嬉しそうに叩く。
 が、急に心配そうな顔になり、
「それで管領殿は納得してくれるだろうか?」
 と、景虎が訊く。
 憲政が望んでいるのは景虎の出兵なのである。
「ああ、それならば......」
 いくらかの手勢を率いて殿が上野に入り、そこから使者を送ればよいではありませんか、と冬之助が言う。
「うむ、そうだな。相手の言い分も聞かないうちに、いきなり合戦を仕掛けるわけにもいかぬ。兵を率いて上野に行けば、わしの面目も立つ」
 景虎が大きくうなずく。
(なるほど、そういうことか......)
 ようやく実綱も冬之助の考えを理解した。
 要は時間稼ぎなのである。
 今の景虎には大がかりな軍事行動を起こす余裕はないが、憲政にせっつかれて苦慮している。
 それ故、少数の兵を率いて景虎が上野に入り、そこで北条氏に使者を送る。それなら合戦にはならないだろうし、憲政にも言い訳できる。景虎の面目も立つ。
 この時代、大名同士が交渉する場合、かなりの日数を要するから、実綱が考えたように、冬之助のやり方ならば、体よく時間稼ぎができるのである。
「よし、すぐに出発の支度をしよう。どれくらいの兵を連れて行けばよいか......」
「多すぎるのも、少なすぎるのも、よろしくないと存じます」
 冬之助が言う。
「ならば、五百にしよう」
 景虎がうなずく。それで決まりである。

北条氏康 関東争乱篇

イラスト◎森 美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した偉大なる祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱。一族の悲願・関東制覇を期する氏康の傍らには、祖父が育てた軍配者・小太郎がいた! 河越夜襲で劇的勝利を収めた氏康を待つものは……北条三代目の生涯を描く人気シリーズ第四弾。

〈北条サーガTHE WEB〉http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

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