北条氏康 関東争乱篇第十六回


 その越後の虎、すなわち、長尾景虎だが、武田と和睦して越後に戻ってからというもの、人が変わったように無気力になり、一切の政務に関わらなくなった。
 重臣たちに会うことすら拒み、春日山城の居室に籠もって酒ばかり飲んでいる。
 かろうじて景虎に会うことができるのは、景虎の世話をする小姓を除けば、冬之助だけである。景虎が冬之助を拒まないのは、政治の話をしないとわかっているからだ。それでも毎日会えるわけではなく、せいぜい三日に一度くらい会えるかどうかという程度である。
 景虎でなければ決められない案件もあり、困り果てた直江実綱や本庄実乃らは、
「何とか取り次いでもらえぬか」
 と、冬之助に頼み込んだ。
 あまり引き受けたいことではなかったが、重臣たちが苦慮しているのも理解できるので、
「何とおっしゃるかわかりませんが、とりあえず、話すだけは話してみましょう」
 頼みを承知して、景虎に会うことにした。

(これは、ひどいな......)
 景虎の顔を見て、冬之助が息を呑む。頬がげっそりと痩(こ)け、目に力がない。目の下には濃い隈がある。飯も食わずに酒ばかり飲んでいるせいに違いない。
「説教に来たのではあるまいな?」
「そんなつもりはありません」
「ならば、直江と本庄あたりに頼まれてきたのであろう?」
「確かに頼まれはしましたが......」
「よせ。それ以上、何も言うな」
 景虎が手を挙げて制する。
 冬之助が口をつぐむ。もう余計なことを言うまいと決める。今の景虎には、ややこしい政務に頭を使うことなどできそうにないとわかったからだ。
「わしら二人は戦が好きよなあ。だが、無益な戦はせぬ。わしが戦うのは正義のためであり、私欲のために戦うことはせぬ」
「存じております」
「武田晴信は奸人よ。己の強さを振りかざして弱い者いじめばかりして領地を広げ、財宝を奪っている。そういう極悪人だからこそ、実の父親を追放するような真似もできるのであろうし、自分が殺した敵の娘を側室にして平気な顔をしていられるのだ。人の顔をした悪鬼よ。悪鬼がのさばるのを見過ごせぬと思えばこそ、わしは信濃に兵を出したのだ」
「はい」
「だが、外にばかり目を向けて、わしは自分の足許をろくに見ていなかった。越後にも小粒な武田晴信がうようよおるわ......」
 景虎が深い溜息をつく。
「御屋形さまのように清き志を持つ御方など滅多におりませぬ。だからこそ、神仏の加護を受けることもでき、毘沙門天の如き強さを示すこともできるのです。欲望の手垢に汚れた者に神仏は力を授けてはくれませぬ」
「世辞を申すな」
「本心でございます」
「国主である自分が正しき道を歩んでいけば、わしに従う者も己の過ちを正すであろうと期待していた。皆が正しき行いをするようになれば、越後を正義の国にできると信じていた。だが、それは間違っていた。人の心に巣くう強欲さを消し去ることなどできぬとわかった。越後の者たちの強欲さによって、わしは武田晴信に不覚を取る羽目になった。それは正義の戦までが強欲さに汚されたということだ。越後の者どもの、みみっちい強欲さが武田晴信の巨大な強欲さに負けたということだ。わしは悲しい。しかし、悲しんでいるのは、わしだけだ。武田に不覚を取ったことを恥じる者すらおらぬわ。あまりにも情けなくて腹を立てる力も出ぬ。もう耐えられぬ。わしの手には負えぬわ」
 景虎が暗い目でつぶやく。
 その声音の深刻さに、冬之助は言葉を失う。
 景虎が政務を放棄し、ここまで落ち込むことになったそもそものきっかけは、一年ほど前に起こった北条高広の謀反である。
 謀反の原因は重税である。
 重税への不満は越後の豪族たちすべてに共通する感情であった。その不満が表に出なかったのは、豪族たちが景虎の武威を怖れていたからである。
 景虎が北条高広の罪を問わず、寛大な処置をしたことで、重税への不満を露骨に口にする者が出てきた。謀反しても許されるのなら、少しくらい不平不満を並べても処罰されることはないだろうと高を括ったわけである。景虎の処置が裏目に出たと言っていい。
 政治力に長けた領主であれば、豪族たちの不満を和らげるために、思い切った減税をしたり、豪族たちに大きな負担を強いる外征を控えたりしたであろうが、景虎はまったく逆のことをした。北条高広の謀反を陰で煽った武田の卑劣なやり方に腹を立て、動員令を発して信濃に出陣したのである。
 景虎は小姓たちを引き連れ、真っ先に信濃に入った。これはいつものことで、追い追い豪族たちが合流することで軍容を整えるのである。
 ところが、今回は兵が集まらなかった。
 何だかんだと理由を並べ立てて出陣に応じない豪族が多く、長尾軍は三千ほどにしかならなかった。
「やる気のない者など足手まといになるだけだから、最初からいない方がましである。三千もいれば、武田晴信の首を取るのに不足はない。皆が討ち死にする覚悟でぶつかれば勝てぬはずがない」
 景虎は横山城に本陣を置き、武田軍の来着を待った。
 川中島に現れた武田軍は七千を超えていた。
 これを見て、長尾軍の士気は急激に下がった。
 しかも、横山城を見下ろす位置にある旭山城にも武田軍がいて、下手に動くと挟み撃ちにされる危険があった。景虎も動くに動けず、無為に時間だけが過ぎた。
 この時代、食糧は自弁が原則である。
 豪族たちは領地から率いてきた兵どもに飯を食わせなければならない。睨み合っているうちに出費ばかりがかさむ。
 豪族たちは悲鳴を上げ、早く越後に引き揚げるよう御屋形さまを説得してくれ、と重臣たちをせっついた。苦しいのは重臣たちも同じだから、何とか景虎を説得しようとしたが、景虎は一蹴した。
 景虎が撤兵を拒否したことで長尾軍の士気は更に下がった。そういう空気を景虎も敏感に察し、強引であることを承知しつつ開戦を決意した。
 その結果、長尾軍は犀川の合戦で大敗を喫した。
 この敗北で長尾軍に厭戦気分が充満した。
 今川義元の仲介で和睦が成立して、景虎は九死に一生を得た思いだったであろう。
 景虎は帰国した。
 出陣に応じなかった豪族たちは、どんな罰を与えられるのかと戦々恐々としていたが、景虎は彼らを罰しようとはしなかった。抜け殻のようになって何事にも無気力になり、ついには政務に関わらなくなった。居室に引き籠もって、暗い顔で酒ばかり飲んでいるのである。

「おまえも飲め」
 景虎が冬之助に盃を差し出す。
「いただきます」
 景虎の抱える苦悩を思い遣ると、冬之助も飲まずにいられなくなる。
「何のために戦うのか、わしにはわからなくなった。越後の国主となったのは、国主として正しき行いをすれば、皆がそれに倣って、やがて、越後に正しき道が広がっていくだろうと期待したからだ。しかし、それは間違っていた。わしに、そんな力はなかった。豪族どもの強欲はひどくなるばかりで、正しき道など、どこにもない。越後がこんな有様なのに、武田晴信の強欲を咎めようとは片腹痛いことよ。わしは傲っていた。傲慢だったのだ。だから、天が怒り、犀川で思い知らせてくれた。国主になど、なるべきではなかった。そんな器ではなかったのだ。それがようやくわかった。気付くのが遅かったかもしれぬが、何も気付かずにいるよりはよかった」
「そのようなことをおっしゃってはなりませぬ。御屋形さまの他に武田の暴虐を止められる御方はおりませぬ。御屋形さまがおられなければ、この越後も武田に攻め滅ぼされてしまうでしょう」
「よいではないか。武田晴信の巨大な強欲が越後の豪族たちのちっぽけな強欲を飲み込むだけのことだ。所詮、似た者同士なのだ。汚らわしい水が汚らわしい水に混じったとしても何も変わるまいよ」
 景虎が吐き捨てるように言う。
「......」
 冬之助は言葉を失ってしまう。

 その数日後、景虎は春日山城の大広間に重臣たちを集め、国主の座を退いて出家する決意を告げた。次の国主を誰にするか、皆で相談して決めるがいい、わしは支度が調い次第、高野山に向かう、と言い残して大広間を出た。
 弘治二年(一五五六)三月二十三日のことである。

北条氏康 関東争乱篇

イラスト◎森 美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した偉大なる祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱。一族の悲願・関東制覇を期する氏康の傍らには、祖父が育てた軍配者・小太郎がいた! 河越夜襲で劇的勝利を収めた氏康を待つものは……北条三代目の生涯を描く人気シリーズ第四弾。

〈北条サーガTHE WEB〉http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

Newest issue最新話

Backnumberバックナンバー