北条氏康 関東争乱篇第十三回

二十三
 十月初め、氏康は動員令を発し、小田原から出陣した。目的は、古河城の足利晴氏・藤氏父子の討伐である。
 道々、兵を加え、江戸城を出るときには七千という大軍になった。
 四日には古河城を包囲した。
 晴氏と藤氏が謀反を企み、北条氏に敵対する諸大名と連絡を取り合っていることを、七月の時点で氏康はつかんでいた。
 すぐに討伐しなかったのは、謀反の未遂程度では晴氏と藤氏を重く罰することもできないからで、実際に古河城に兵を集め、兵糧を貯え、誰の目にも謀反が明らかになるのを、じっと待っていたのである。
 まさか、そんなこととは夢にも思っていない晴氏と藤氏は、
(氏康は何も気付いておらぬわ)
 と、ほくそ笑んでいた。
 北条氏に叛旗を翻すという大それたことを企むのであれば、自分たちの行動を秘密裡にするのは当然だし、北条氏の動きにも神経を尖らせなければならないはずなのに、愚か者というのは、自分のことばかり考えて、相手の動きなどほったらかしにしがちだから、何事も自分に都合よく解釈し、楽観的な見通しを持ってしまう。
 せめて、謀反の準備を急ぐべきであった。時間が経つほど、秘密は洩れやすくなるからである。
 ところが、晴氏は少しも焦ることなく、ある意味、優雅と言えるほど、のんびりと戦支度をした。
 謀反の計画にしても杜撰と言うしかなく、戦支度が調ったら、直ちに北条討伐の兵を挙げ、関東の諸大名に檄(げき)を飛ばす、という程度のことを考えていたに過ぎない。越後の長尾景虎にも参陣を促すつもりであった。
 かつて両上杉氏と共に河越城を包囲したとき、晴氏の呼びかけに応じて、数万という関東の諸大名が集まった。それを再現できるだろうと期待した。
 全力で支援するという安房の里見氏の約束も、晴氏の自信の根拠になっている。
 晴氏の目論見(もくろみ)は出だしから躓(つまず)いた。
 北条軍がやって来るのは、自分たちが兵を挙げ、関東の諸大名に檄を飛ばしてからだと思い込んでいたのに、何もしないうちに古河城を包囲されてしまった。これでは順序が逆である。
 兵を挙げず、檄も飛ばさなかったのは、まだ戦支度が完了していないからである。野外決戦を挑むには兵が少なすぎるし、籠城するには兵糧が足りない。すべてが中途半端である。
 大急ぎで里見氏に使者を送ったが、救援が間に合うかどうかわからない。
 そんな心許ない状況だが、古河城には二千ほどの兵しかいないから、城に閉じ籠もって、里見氏の援軍がやって来るのを待つしかないのである。
 それを見透かしたかのように、氏康は猛烈な城攻めを開始する。
 元々が大して堅固な城ではなく、謀反を企んだにもかかわらず、ろくに補強もされていないから、氏康が攻撃を始めた翌日には、城の一部が崩れた。放置すると、そこから北条軍が侵入するから、晴氏は決死の兵を二百人ばかり城から出すことにした。彼らが北条軍の攻撃を防いでいる間に、崩れた箇所を修繕しようというのである。
 その場しのぎの行き当たりばったりのやり方だから、それがうまくいくとは誰も期待していなかったが、思いがけず、二百人が奮闘し、北条軍を押し戻した。
 それを見た晴氏は、
(案外、やれるのではないか)
 と自信を持ち、六百人の兵を追加投入した。
 最初の二百人と合わせて八百人の兵が北条軍に挑みかかる。
「よし、いいぞ。行け、行け」
 櫓から眺めている晴氏が手を叩いて喜ぶほど、八百人は善戦している。数倍の北条軍を敗走させているように見えた。
「父上、勝てるかもしれませぬぞ」
「うむ、うむ」
 藤氏の言葉に晴氏が顔を綻(ほころ)ばせる。
 だが、その笑顔が凍りつくのに時間はかからなかった。
 北条軍が後退したのは、公方軍を誘き寄せる罠である。初歩的な兵法だ。
 敵軍を奥深くに誘い込み、待ち伏せていた味方が敵軍を包囲殲滅(せんめつ)するのである。
 これが見事に決まった。
 敗走したと見せかけていた北条軍が、足を止めて公方軍に向き直るのと同時に、隠れ潜んでいた北条軍が左右から現れる。
 驚いた公方軍が慌てて城に引き返そうとするが、そのときには北条軍が退路を塞いでいる。
 包囲殲滅と言っても、どこか一箇所だけ逃げ道を開けるのが普通である。敵軍は、その一箇所から逃げようとする。当然、戦意はないから楽に勝つことができる。
 逆に、逃げ道を作らないと、敵軍が死に物狂いで向かってくるから、味方の死傷者も増えてしまう。
 それを承知で逃げ道を作らなかったのは、この公方軍を全滅させて、晴氏に北条軍の恐ろしさを教えてやろうと氏康が考えたからである。
 八百人の公方軍は、数倍の北条軍に四方から攻め立てられて、半刻(一時間)ほどで壊滅した。
「......」
 晴氏と藤氏は呆然としている。
 城に籠もっていた四割もの兵をあっという間に失ったのだから無理もない。
 ろくに戦のことなどわからない晴氏にも、
(これは、いかぬ)
 この先、もはや戦いようがないことがわかる。
 ごくりと生唾を飲み込むと、
「逃げよ」
 絞り出すように藤氏に告げる。
「え、逃げるのですか?」
「どうにもならぬ。明日にも城は落ちるだろう。暗くなったら、搦(から)め手口から、そっと逃げよ。安房の里見を頼ればよかろう」
「ならば、父上もご一緒に」
「それは駄目だ」
 晴氏が首を振る。
「わしが城にいる間は、北条もここを動かぬであろうが、わしら二人が城を落ちたと知れば、必死に後を追ってくるに違いない。そうなったら、二人とも捕まってしまう......」
 それ故、おまえだけでも逃げてくれ、と晴氏は言うのである。
「父上......」
 藤氏がはらはらと涙を流す。
「無事に生き延びるのだ。そうすれば、いつかは北条を倒す機会も巡ってくるであろう」
 晴氏が藤氏の肩に手を載せて言う。それは自分に言い聞かせているかのようでもあった。
 その夜、藤氏は闇に紛れて城を出ると、わずか数人の近習を伴って安房に向けて落ちていった。
 翌日の昼過ぎ、古河城は降伏し、開城した。
 晴氏は捕らえられ、小田原に送られた。
 このとき、晴氏は牢駕籠に乗せられて運ばれ、道々、民衆のさらし者にされたというから、前の古河公方という高貴な地位に就いていた晴氏とすれば、この上ない恥辱であったろう。そのような恥辱を敢えて、晴氏に与えたところに氏康の強い怒りが表れているとも言える。
 その後、晴氏は相模国大住(おおすみ)郡波多野(秦野)の、周囲に人家もなく、旅人も通らないような山奥に蟄居(ちっきょ)させられた。話し相手は番人のみ、鳥の囀(さえず)りや虫の声、風の音しか聞こえないという侘しい土地である。
 古河城を落とし、晴氏を捕らえたことに満足して小田原に引き揚げてもよかったが、氏康は、そこから房総半島に兵を進めることにした。
 藤氏が里見氏を頼って逃げたこともわかっていたので、この際、里見氏を叩いてやろうと考えたのである。
 その決断を下すに当たって、氏康が最も神経を尖らせたのは越後の長尾景虎の動向である。
 晴氏が長尾景虎に救援を求める使者を送ったことは氏康も承知しているから、その呼びかけに応じて長尾景虎が上野に侵攻するようなら、里見攻めをする余裕などない。
 何人もの風間党の忍びを越後に送り、長尾景虎の動きを探ったが、兵を動かしそうな気配はまったくないという報告が届く。その報告を信じて、氏康は古河城から房総半島に兵を向けることにしたのだ。
 そうと決めるや、氏康の動きは速く、十一月十日には房総半島の中央部に位置する久留里(くるり)城を囲んだ。
 ここは、里見氏が下総に北進するための足がかりとしている重要拠点である。
 久留里城から、里見氏の本国である安房まで、これといって堅固な城は他にないから、北条氏からすれば、久留里城さえ落としてしまえば、そこから一気に南下して安房に攻め込むことができる。
 北条氏は何としても久留里城を落としたいし、逆に里見氏の方からすれば、ここを失えば本国が危うくなるから、死に物狂いで守らなければならない。
 氏康は、一万二千の軍勢を率いて南下し、久留里城を囲んだ。かつて、これほどの大軍を房総半島で動かしたことはない。このことからも、この一戦に賭ける氏康の並々ならぬ決意を窺うことができよう。
 里見氏の方は四千の兵を久留里城に入れ、北条軍の来襲を待ち受けた。
 十一月十一日の早朝、北条軍が攻撃を開始した。
 氏康は戦いを長引かせるつもりはなく、できれば一気に決着させるつもりだった。
 武田晴信の娘と氏政の婚礼がひと月後に迫っており、できるだけ早く小田原に戻らなければならないからである。
 里見氏の側からすれば、北条軍の攻撃に耐え、時間を味方にすれば、自然と自分たちが有利になることはわかっている。決戦を避け、じっと籠城すればいいだけなのだ。
 しかし、そうもいかない事情がある。
 一万二千という途方もない大軍を迎え撃つために、里見氏も四千という、里見氏とすれば限界に近いほどの動員をして久留里城に送り込んだ。
 皮肉なことに、この四千の兵が、長期の籠城戦を不可能にした。
 久留里城には四千の兵が長く滞陣できるほどの広さがないのである。
 しかも、北条軍の来襲が素早かったため、十分な兵糧を運び入れることもできず、城を補強することもできなかった。このあたりの事情は古河城に似ている。
 つまり、戦が長引くほど、里見氏にとっても戦況は悪くなってしまうのだ。
 実際、北条軍が城の大手門に攻撃を集中させると、今にも大手門が破壊されそうな気配になってきた。
 これを見て、北条軍は更に大手門に兵力を集中させるし、里見軍の方も大手門の守備兵を増やす。
 万が一、大手門を突破され、北条軍が城内に雪崩(なだ)れ込む事態になれば、里見軍が久留里城を守り抜くことはできない。
 戦いが始まって数時間後には、大手門を巡る攻防が勝敗の帰趨(きすう)を決することになると、北条軍にも里見軍にもわかってきた。
 里見軍の方では、
「城を出て戦うべきだ」
 という意見が大勢を占め始めた。
 城に閉じ籠もって守っているだけだと、北条軍による大手門の破壊を食い止めることができないからである。兵を城の外に出して、北条軍を追い返す必要がある。
 昼過ぎになって、正木久太郎時綱という武将が五百の兵を率いて突撃を敢行した。
 その勢いに押され、北条軍は後退した。
 しかし、数にモノを言わせて、しばらくすると、逆に里見軍を押し返した。
 正木は兵を叱咤し、
「退くな、退くな」
 と叫びつつ、自らも刀を振るって北条軍に挑みかかる。これを見て、兵たちが正木に続く。
 正木の率いる里見軍は、北条軍を三度押し返したが、最後には疲労困憊して城内に引き揚げた。
 またもや北条軍が大手門に取りつこうとするが、日が暮れて暗くなってきたので、やむなく引き揚げた。
 久留里城内にいた者たちは、正木の兵たちを口ではねぎらいつつ、冷たい目を向けた。
 それは、
「もう少し踏ん張って、敵を押し戻せば、すぐに夜になったのだから、その闇に紛れて敵の本陣に迫ることもできたのではないか」
 と言いたいのであった。
 まともに戦っても勝てないような大軍と戦うとき、最も有効な手段は敵の総大将を討ち取ってしまうことである。万が一、氏康が死ねば、北条軍は慌てふためいて逃げるであろう。
 わずか五百の正木軍にそこまで要求するのは酷というものだが、追い込まれている里見軍は、城に逃げ戻った正木軍を嘲り、後々、この敗北を「正木崩れ」と呼ぶことになる。
 正木久太郎は大いに悔しがり、
「明日も、わしに戦わせてほしい」
 と嘆願した。
 翌朝早く、正木を始めとする一千の里見軍が大手門を出て、北条軍に向けて突撃した。前日の恥辱を雪(すす)ぐために志願してきた者たちで、これは死兵と言っていい。生きて帰る気がない者たちだから、これほど手強い兵もいない。
 北条軍は混乱し、守勢に回るしかなかった。そこに城の搦め手から密かに出撃した五百人の里見軍が攻めかかる。
 北条軍は浮き足立ち、退却を始める。
 これを見て、大手門から八百の里見軍が追加投入される。
 これによって、北条軍の混乱は更に大きくなる。
 里見軍が優勢になった理由のひとつは、地の利である。久留里城周辺の地形を知り尽くしており、それをうまく利用した。
 まだ完全に夜が明けず、周囲が薄暗い状況で、北条軍は方向を見失い、里見軍によって川や田圃に追い詰められた。
 城からは新手の兵が逐次投入され、昼になる頃には、城には五百だけが残り、残りの兵はすべて戦場を駆け回っていた。
 氏康にとっては、思いがけぬ敗北と言っていい。
 これほど惨めな敗北を喫するのは初めての経験である。
 一方的に攻められながら、それでも北条軍が踏みとどまることができたのは、数の力である。どれほど里見軍が奮戦しようと、一万二千の北条軍に致命的な打撃を与えることはできなかったのだ。

「殿」
 小太郎が呼びかける。
 氏康の本陣は城から離れているから、戦いの様子は肉眼では確かめようがない。
 しかし、前線から次々と伝令がやって来て戦況を伝えるから、戦の様子はわかっている。
「そろそろ......」
「わかっている。兵を退けと言うのであろう」
「はい」
「ううむ......」
 氏康は目を閉じ、右手で額を押さえる。
 しばらく、その姿勢のままでいたが、やがて、目を開けると、
「わしが間違っていた。わしの焦りが今日の負けに繋がったのだ」
 ぽつりとつぶやく。
「......」
 小太郎は、口を閉ざして、じっと氏康を見つめる。
 氏康は、城を包囲するや、すぐさま総攻撃を仕掛け、できるだけ時間をかけずに城を落とそうとした。
 小太郎は反対した。
 里見軍の弱点を見抜いていたのだ。
 城を包囲して、じわじわと圧力をかけ続ければ、籠城の準備が不十分な里見軍は、否応なしに城から出てこざるを得なくなる。それを待ち構えて、劣勢の里見軍を包囲殲滅すればいい、というのが小太郎の主張だった。
 小太郎の言うことは正しいと認めたものの、氏康は賛同しなかった。いずれ里見軍が城から出てくるにしても、それがいつになるかはっきりしないからであった。
 氏康としては、どんなに遅くても、今月中には小田原に戻らなければならないのである。氏政の婚礼の準備が進んでおり、氏康自身が最終的に点検する必要があるからだ。
 だから、氏康は小太郎の策を退けて、自分の主張を貫いた。その結果の敗北なのである。
「こっちも必死だが、相手も必死なのだ。こっちの都合で相手を負かすことができるようなうまい話はない。わしは、まだまだ修行が足りぬようだ。おじいさまや父上がいれば、どれほど叱り飛ばされることであろうか」
 氏康が肩を落とす。
「命があれば、いくらでもやり直しが利きます。今日の反省を次に生かせばよいのです」
「そうだな。ここでムキになって攻撃を続ければ、それこそ、ここが北条の墓場になりかねぬ」
 納得して大きくうなずくと、氏康は直ちに撤兵の命令を発した。
「......」
 小太郎は無言でうなずく。己の過ちを素直に認めることができる氏康の度量の大きさに感動しているのである。

北条氏康 関東争乱篇

イラスト◎森 美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した偉大なる祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱。一族の悲願・関東制覇を期する氏康の傍らには、祖父が育てた軍配者・小太郎がいた! 河越夜襲で劇的勝利を収めた氏康を待つものは……北条三代目の生涯を描く人気シリーズ第四弾。

〈北条サーガTHE WEB〉http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

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