北条氏康 関東争乱篇第二十五回

 時代には流れというものがあるらしい。
 人の力でどうこうできるものではなく、様々な要素が、たまたま、精密に正確に収まるべきところに収まって、人知の及ばぬ恐るべき力が生まれ、それが大きな流れとなって、ひとつの方向に向かっていくのである。
 その流れに乗ってしまえば、何もかもが面白いようにうまくいく。自分自身を神であるかのように錯覚しても不思議はない。
 まさに今の景虎がそうであった。
「おかしな戦だとは思わぬか」
 夜、酒を飲みながら、景虎が言う。
 景虎は、昼間、馬で移動するときですら盃を離さないほどの酒豪である。大酒飲みの常として酒ばかりを飲んで、食べ物をあまり口にしないから、肴は塩と味噌だけだ。酒を飲みつつ、時折、塩や味噌を指につけて嘗めるという飲み方である。
「おっしゃりたいことは、よくわかります」
 冬之助がうなずく。
 景虎が感じている奇妙な違和感を、冬之助も同じように感じている。これまでの生涯で経験したことのない感覚であった。
 景虎が春日山城から出陣したのは八月の末で、それからひと月ほど経っている。
 そのひと月で、景虎が陣頭に立って戦をしたのは一度だけである。沼田城を攻めたときだ。そのときも攻撃したのは半日ほどに過ぎず、翌日には城方が降伏して、城を明け渡した。
 それ以来、景虎は戦をしていない。
 足踏みしているわけではない。
 北条方の城や砦は、次々に降伏し、豪族たちが景虎の元に参陣している。
 そもそも、この夜、景虎と冬之助が酒を酌み交わしているのは厩橋城なのである。その広間の縁側で月を愛でながら酒を飲んでいる。
 厩橋城と言えば、山内上杉氏が上野を支配していた頃から、上野北部の拠点として知られた城である。この厩橋城と上野南部の平井城が、山内上杉氏にとっても、現在の支配者である北条氏にとっても、上野を治めていく上での南北の二大拠点なのだ。
 その厩橋城を、景虎は労せずして手に入れた。
 沼田城を落とすや、その周辺を領する豪族たちが雪崩を打ったように景虎に靡(なび)いた。一夜にして厩橋城から北の地域が景虎のものになった。
 本来であれば、北条方の数多くの城を攻め潰さなければ容易に近付くことのできない厩橋城に、あたかも無人の荒野を行くが如く、景虎は到達した。
 長尾軍はまったくの無傷で、ほとんど疲労もしていない。
 さすがに厩橋城は、戦わずして手に入れることはできなかった。この城には北条氏の軍勢が立て籠もっていたからだ。
 当然ながら、景虎は自ら陣頭に立って、厩橋城を攻めてやろうと考えた。
 ところが、
「いやいや、われらにお任せあれ。御屋形さまを煩わせるほどのことはございませぬ」
 長野業正を始め、景虎の元に馳せ参じた豪族たちが、新たに景虎に仕えるための手土産にしようとばかりに自分たちで厩橋城を攻めると言い出した。景虎も越後勢も高みの見物をしていればいいという。
「ならば、そうせよ」
 景虎が承知すると、彼らは大いに喜び、厩橋城を攻めた。城は簡単に落ちた。城兵の主力は北条軍だったが、地元の兵も数多く入っている。その者たちが内応したのだ。北条軍は城を捨てて逃げた。
 越後を出てから、たった半日、沼田城攻めの戦をしただけなのに、今の景虎は上野の北部を手中にしている。景虎に従おうとしない城や砦があれば、配下の者たちが攻撃し、景虎には何もさせようとしない。何もしないで酒ばかり飲んでいるのに、知らないうちに城や砦が落ち、勢力圏が広がっていく。
 おかしな戦だ、と景虎が首を捻るのも無理はない。
 その気になれば、すぐにでも平井城に押し寄せることもできるだろうし、平井城も簡単に落ちるであろう。そうなれば、上野一国が景虎のものになる。
 にもかかわらず、景虎が厩橋城に腰を据え、なかなか動こうとしないのは、氏康の動きを注視しているからであった。

 九月になって景虎の越山を知った氏康は、里見氏の本拠・久留里(くるり)城の包囲を解き、上野に向かうことにした。
 その時点では、氏康にも小太郎にも、それほどの切迫感はなかった。
 むしろ、氏康には、
(いい機会だ。ここで長尾を叩いてしまおう)
 と強気に構えるほどの余裕があり、成り行き次第で越後に攻め込むことまで想定していた。
 が......。
 沼田城が落ち、厩橋城以北の豪族たちが一斉に寝返ったことで氏康の余裕は消えた。
 のんびり行軍していた氏康が行軍速度を上げて河越城に到着したのは九月二十八日である。うかうかしていると、景虎と戦わないうちに上野を奪われてしまうかもしれないという切迫感のせいである。
 氏康が河越城に腰を据え、長尾軍の動きを探り始めたとき、厩橋城が落ちたという報告がもたらされた。
 氏康には大きな衝撃であった。
 すぐさま小太郎を呼ぶと、
「厩橋城が落ちたぞ。どうすればよかろう?」
 落ち着かない様子で爪を噛む。
 これほど氏康が慌てる様子を見るのは、小太郎にとっても滅多にないことであった。
「今は何もしないことです」
「しかし、すぐに南に下ってくるかもしれぬぞ。とりあえず、松山城まで行くか?」
 厩橋城の南、上野と武蔵の国境近くに平井城がある。平井城が落とされてしまえば、上野を奪われたも同然である。
 平井城の南東に鉢形(はちがた)城があり、そこから更に東に松山城がある。松山城の南に位置しているのが河越城である。
 万が一、平井城や鉢形城が落とされ、松山城まで危うくなれば、上野どころか、武蔵北部まで危険な状態になる。
 それ故、氏康は河越城から松山城まで兵を進め、長尾軍が厩橋城を出て南下し、平井城や鉢形城を攻めるのを牽制しようと考えた。
 だが、小太郎は何もするなと言う。
「なぜなら......」
 小太郎が話を続けようとする。
 そこで不意に咳き込み始める。
 激しい咳である。
 懐紙を取り出して口に当てる。
 やがて、咳が収まると、口許を拭い、懐紙を畳んで隠すように懐にしまう。
(ん?)
 氏康は、その懐紙に赤い染みがあることに気が付く。咳と一緒に血を吐いたのであろう。
(やはり......)
 氏康の表情が曇る。
 小太郎の肉体に異変が生じていることを、しばらく前から氏康は察知している。
 小太郎は何も言わないが、前々から痩せていた体が更に細くなり、今では頬骨が浮いて見えるほど、顔の肉も落ちている。
 顔色もよくない。ほとんど血の気が感じられず、透き通るような青白い顔をしている。
 無理をさせずに休ませて、のんびり養生させてやりたいと思うが、今の氏康は小太郎を必要としている。小太郎をそばから離すわけにはいかない。
 それ故、氏康は、敢えて小太郎の病には触れないようにしている。
「なぜなら......」
 小太郎が改めて口を開く。
「なぜなら、今、長尾と戦えば負けるからでございます。河越城から松山城に移れば、今よりも長尾と近付くことになり、戦いが起こりやすくなります。それは避けなければなりませぬ」
「わしらは勝てぬのか......」
 氏康が肩を落とす。
「勝てませぬ。大して難しい話ではないのです」
 小太郎の説明は、こうである。
 春日山城を出るとき、景虎が率いていた軍勢は八千である。
 八千というのも大変な数だ。それだけの動員をしたことからも今回の上野侵攻に賭ける景虎の並々ならぬ決意を読み取ることができる。
 沼田城を落としてからというもの、景虎自身は戦をしていないにもかかわらず、続々と上野の豪族たちが降伏し、景虎に従う姿勢を見せている。上野北部の重要拠点である厩橋城を落としたのは景虎ではなく、新たに景虎陣営に加わった北上野の豪族たちなのである。
 その結果、上野に攻め込んだときには八千だった景虎の軍勢は、今では一万五千にもなろうとしている。日々、景虎の元に参陣している豪族たちがいることを考えれば、遠からず二万くらいにはなるであろう。
 これは景虎だけの力ではない。
 憲政が同行していることも大きい。
 氏康に逐われて越後に逃れたとき、憲政はすべてを失った。軍事力も失い、政治力も失った。
 ただ山内上杉氏の当主であり、関東管領でもあるという威光だけが残った。
 今や、その威光を景虎が受け継いでいる。
 もっとも、氏康も関東管領を称しているし、その権威の裏付けは古河公方(こがくぼう)・足利義氏である。
 関東管領職の重みという点では、景虎と氏康は互角と言っていい。
 ところが、その均衡が崩れ、景虎の方に大きく傾く事態が出来(しゅったい)した。
 関白・近衛前嗣が越後に下ってきたのである。
 前嗣は現職の関白だ。
 関東の田舎侍にとって都というのは、ある意味、夢の世界である。現実には存在するが、決して手の届かない天上の世界なのである。
 その天上世界の頂点に天皇がいる。
 天皇に次ぐのが関白である。
 京都の朝廷には何の現実的な力もないのだが、そんなことは関東の武士たちにはわからない。
 漠然とすごい存在だと見上げるだけである。
 豪族たちは力をつけると、必ず、官位をほしがる。大名も、そうである。箔を付けるためである。
 実際、官位を持たない大名などいない。
 景虎も氏康も持っている。
 朝廷から与えられた官位である。
 氏康は右京大夫(うきょうたいふ)であり、景虎は弾正少弼だ。
 それとて大したものだが、正一位の関白に比べたら「屁」のようなものだ。官位という物差しで測れば、いかに関白がすごい存在なのかわかろうというものである。
 その関白・近衛前嗣が景虎陣営に駆けつけた。
 勘のいい者であれば、いずれ前嗣が足利義氏に取って代わるであろうことがわかるはずであった。
 上野の豪族たちが競うように景虎陣営に加わろうとするのは、景虎の軍事力を怖れてのことだけではない。景虎の後ろ盾となっている権威のせいでもある。いや、むしろ、軍事力以上に権威の力が大きいのかもしれない。
 かつて似たようなことがあった。
 十四年前の河越城を巡る攻防戦である。
 山内上杉氏と扇谷上杉氏が手を組み、そこに古河公方・足利晴氏を取り込んだことで、軍事力と政治的な威光が混じり合い、晴氏の檄に応じて関東の武士たちは、こぞって連合軍に加わった。その結果、河越城を包囲する連合軍は八万という途方もない数に膨れ上がった。
 起死回生の夜襲を成功させ、氏康は窮地を脱したが、軍事力に政治的な威光が加わると、どれほど恐ろしい事態が発生するか身に沁みて思い知らされた。
 今現在、氏康が直面しているのは、そのとき以上の脅威である。
 なぜなら、長尾景虎の軍事的な才能は、十四年前に連合軍を指揮した上杉憲政とは比べものにならないほど優れているし、近衛前嗣の威光は、足利晴氏の威光が霞んでしまうほどに大きい。
 とすれば、十四年前には八万の軍勢が集結したが、今度はどれほどの軍勢に膨れ上がるか想像もできない。
 氏康が北上して河越城から松山城に移れば、それを見た景虎が厩橋城から南下するかもしれない。
 氏康が久留里から引き連れて来た軍勢は五千ほどに過ぎず、その後、いくらか増えているとはいえ、せいぜい、六千から七千というところである。
 一方の景虎は少なくとも一万五千、もしかすると二万という大軍である。
 まともにぶつかって勝てる道理がない。
 かといって、小細工が通用する相手でもない。
 景虎は武田信玄を負かすほどの戦上手だし、景虎のそばには冬之助という優れた軍配者が控えているのだ。
 それ故、小太郎は、長尾と戦えば負ける、と氏康に言ったのである。
「ここでじっとしているしかないのか......」
 氏康が溜息をつく。
「そうとも言えませぬ」
「どういう意味だ」
「それは......」
 景虎の軍勢がこのまま増え続けるようであれば、河越城から退却する必要があるかもしれない、と小太郎は言うのである。
「何と」
「万が一、御屋形さまがいるときに城を包囲されるようなことになったら一大事でございまする故」
「......」
 氏康は言葉を失った。
 無理もない。
 敵を牽制するために河越城から松山城に移ろうかと相談したのに、今は動いてはならぬ、それどころか、退却するかもしれないと言われたのだ。
 信頼する軍配者がそこまで悲観していることを知って、改めて氏康は事態の深刻さを思い知らされた。
 それきり二人は黙り込んでしまう。

北条氏康 関東争乱篇

イラスト◎森 美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した偉大なる祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱。一族の悲願・関東制覇を期する氏康の傍らには、祖父が育てた軍配者・小太郎がいた! 河越夜襲で劇的勝利を収めた氏康を待つものは……北条三代目の生涯を描く人気シリーズ第四弾。

〈北条サーガTHE WEB〉http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

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