北条氏康 関東争乱篇第十七回


「おかしな男だ。国主の座を下りて出家するというのか。何かの間違いではないのか?」
 氏康が首を捻る。
「間違いでは済まぬことなので、何度となく確かめさせましたが、やはり、間違いではないようです」
 小太郎が答える。
「ふうむ、本当の話なのか。わからぬのう。わしには、わからぬ......」
 国主になるためであれば、親でも兄弟でも殺す、わが子が国主の座を奪おうとすれば、わが子も殺す......そんな殺伐とした世の中なのである。
 武田晴信は実の父親を追放したし、今川義元は腹違いの兄弟を自殺に追い込んでいる。そんな例ならば、枚挙にいとまがない。
 自ら国主の座を下りるのは、例えば、病が重くなって政務に関わることができなくなり、嫡男に譲るというのであれば、ごく当たり前のことである。氏康も、そういう流れで国主になった。
 だが、二十七歳の若い国主が、まだ妻も娶っておらず、従って、後継ぎもいないのに出家し、国主の座を下りて高野山で修行するというのだから前代未聞の椿事と言っていい。日本の歴史上、こんなおかしなことを考えた人間は長尾景虎以外には存在しない。
「豪族どもを驚かせたいのではないのかな?」
 二回目の川中島の戦いで長尾軍が惨敗したことは、当然、氏康も知っている。その原因が、景虎と豪族たちとの不協和音にあったこともわかっている。
 北条氏の諜報網は関東全域に張り巡らされており、そこから得られる情報は恐ろしく精度が高いのだ。
「元々が短気な御方だといいますから、言いつけに従わない豪族たちに怒りをぶつけたとも考えられます。しかし、それほど大事なことを一度口に出してしまえば、後からなかったことにするのは容易なことではないでしょうし、かえって、豪族たちに侮られることになるかもしれませぬ」
「そういうことになるだろう。本気でなかったとしても退くに退けないことになってしまうな」
「越後には、かつて弾正少弼殿と国主の座を争った者がおります。そういう者が、では、自分が国主になりましょう、などと言い出したら、また越後は乱れるかもしれませぬ」
「景虎は、どうするつもりなのであろうな?」
「わかりませぬ。今しばらく、事の成り行きを見守るしかないかと存じます」
「そうだな」
 氏康が、長尾景虎は本気で国主の座を下りるつもりはなく、豪族たちへの揺さぶりではないのか、と疑ったように、越後の者たちも、
「これは芝居ではないか」
 最初は景虎の覚悟を信じようとしなかった。
(馬鹿な......)
 景虎が本気だと見抜いたのは冬之助だけであった。
(何を呑気に構えているのだ。もたもたしていると、本当に高野山に旅立ってしまうぞ。御屋形さまは本気だと、なぜ、わからぬ? 皆で平伏して、今までの愚かな振る舞いを詫びるのだ。許しを請うのだ。そうしなければ、おまえたちは偉大な主を失ってしまうことになるのだぞ)
 戦のやり方には、はっきりと性格が現れる、というのが軍配者である冬之助の考えだ。
 景虎は常に軍の先頭に立つ。時として、わずかな手勢だけを連れて何十倍もの敵軍に突き進んでいくことさえある。およそ慎重さとも臆病さとも無縁のやり方である。そんな無茶なことができるのは、自分の命は神仏によって守られているという絶対的な信仰があるからだ。その信仰が保証される見返りが行動の純粋さであった。
 景虎が何かにつけて、
「正義の戦しかせぬ」
「正しき道を広げなければならぬ」
「強欲を許さぬ」
 と口にするのは、神仏に代わって正義を行い、この世に正義の道を広げ、強欲を罰するという強烈な使命感を持っているからである。神仏から与えられた神聖な使命を果たすには、まず第一に自分自身が清廉潔白でなければならず、そのためには、己の肉体と精神から世俗的な垢を削ぎ落とす必要がある。つまりは「捨てる」ということである。身ひとつ以外、何もかも捨てるのだ。何かに執着する欲望が心を汚し、目を曇らせるからである。苛烈なほどに峻厳な生き方を己に課している男が保身などに拘泥し、国主の座を守るために小細工を弄するはずがなかった。景虎にとって国主の座を「捨てる」ことは、さして難しいことではない。
 毘沙門天への信仰に裏付けされた景虎の質素な暮らしぶりや、己の命をわざと危険にさらすような大胆不敵な采配を見れば、冬之助には景虎が国主の座を捨てて本気で高野山で修行するつもりだとわかる。なぜ、そんな当たり前のことが他の者にはわからないのか、なぜ、景虎の振る舞いを芝居であろうと楽観できるのか、それが冬之助には不思議であり、重臣たちの危機感の欠如に苛立ちすら覚える。


 出家宣言して以来、景虎は酒浸りの生活を改めた。まだ暗いうちから起き出し、毘沙門堂に籠もって読経を始める。山の端から昇ってくる太陽に礼拝すると、昼くらいまで春日山を一人で歩き回る。のんびり散策するのではなく、顔中から汗を吹き出させながら、まるで走っているかのような早足で歩く。
 なぜ、山歩きに励むのかと小姓が訊くと、
「しばらくは高野山で修行し、心と体に染みついた汚れを落とすつもりでおる。その後に熊野と吉野の霊山を歩いて修験の道を学ぶつもりだ。諸国の霊山も巡ってみたい。そのためには、何よりも足腰が丈夫でなくてはなるまい。沙門の身となれば、馬に乗ることもなくなるだろうからな」
 ごく当たり前のように景虎は応えた。
 景虎にとっては、国主の座を捨てて高野山に行くことは決定事項なので、それから先のことについて着々と計画を立てているわけであった。
 そんな景虎の姿を見て、さすがに重臣たちも不安になってきたのか、連日、春日山城に有力な豪族たちが集まって話し合いを重ねた。
 しかし、景虎を翻意させる妙案は浮かばない。
 四月になると、景虎の方から、次の国主が決まらないうちに自分が越後を出て行き、それによって越後を混乱させるのは無責任だと思うから春日山城に留まっているが、それは形だけのことに過ぎないから国主として政務に関わるつもりはないし、いつまでも話し合いが進まないようであれば、もう見切りを付けて旅立つことにする......そんな最後通告が突きつけられた。
 この頃には景虎の決意を疑う者はいなくなっている。しかも、何としても景虎に翻意してもらわなければならぬ事態が起こっている。
 葛山(かつらやま)城に拠る落合一族の一部が武田側に寝返り、城内で内紛が生じているのである。
 この城は善光寺を見下ろすという戦略的に重要な場所にある。武田の手に落ちれば、武田軍はここを拠点として北信濃の豪族たちを攻めるはずであった。今の越後の状態では北信濃に援軍を送ることなどできないし、北信濃の豪族たちには独力で武田軍の攻撃を撥ね返す力はない。
 北信濃が武田の支配下に入れば、次は越後が狙われる。
 景虎という軍事的な天才が越後の豪族たちを束ねて出陣すれば、無敵と怖れられる武田軍とも互角に戦うことができるが、景虎のいない越後軍では武田軍に歯が立たないであろう。自分たちの領地に武田軍が攻め込んでくるかもしれないという恐怖をひしひしと肌身で感じるようになって、ようやく越後の豪族たちは景虎のありがたみを思い知らされた。
 今は雪が武田軍の軍事行動を封じているが、雪が溶け出せば、武田軍が活動を開始することは間違いない。それまでに景虎を翻意させられるかどうか、それは越後の豪族たちにとって死活問題と言ってよかった。

 春になると、いよいよ越後は大騒ぎになった。
 今にも武田軍が北信濃を攻めるのではないか、その余勢を駆って越後に攻め込んでくるのではないかという恐怖に襲われたのである。
 ところが、武田軍は動かなかった。
 晴信が喪に服しているからであった。喪が明けないうちは武田軍が動くことはない......越後の豪族たちは安堵した。
 武田軍は動かず、景虎にしても何だかんだと言いながら依然として春日山城に留まっているという事実が油断となり、景虎の出家宣言以来、ずっと緊張して張り詰めていた越後の空気が弛緩した。気の緩みは豪族同士の争いという形で現れた。景虎が最も嫌うことを始めたわけである。
 越後の豪族たちが腰を抜かすような事態は、突然やって来た。六月二十八日である。
 景虎が春日山城を出て、高野山に向かったのだ。
 こうなって初めて、豪族たちは景虎がいなければ自分たちには何の力もないのだと悟った。
 腹を括り、よほど思い切った提案をしなければ、もはや景虎を呼び戻すことはできぬと考え、重臣たちが起請文を作成した。命と財産のすべてを景虎に差し出し、絶対的な忠誠を誓うという内容である。末尾に連署し、名前の下に血判を捺した。
 越後各地の豪族たちに使者が送られ、同じ内容の血書の提出を求めた。提出を拒む者は敵とみなし、重臣たちが共同で討ち滅ぼすと付け加えた。
 最終的に提出を拒む者はおらず、誰もが血書を提出した。その血書を携え、小島弥太郎、宇野左馬之介らが高野山に向けて出発した。景虎から深く信頼されていた若武者たちが選抜されたのである。
「御屋形さまが一緒でなければ、われらも越後には戻らぬ覚悟です」
 と、彼らは強い決意を口にした。
 八月十七日、彼らは高野山の麓で景虎に会った。
 それから三日三晩、不眠不休で景虎の説得を試みた。その間、景虎は口を利かず、黙って彼らの説得に耳を傾けた。
 四日目の朝、不意に景虎が立ち上がった。
「間もなく夜が明けるな」
 板戸を開ける。まだ西の空は暗く、星も光っているが、東の空は薄ぼんやりと群青色に染まり始めている。
「一日のうちで、夜明け前が最も暗いという。だが、その直後には太陽が昇って暗闇を消し去ってしまう。今のわしの心と同じだ。越後にいるとき、わしは暗闇の中に置き去りにされたようだった。自分の進むべき道を見失い、心には迷いが満ちていた。だからこそ、出家して御仏にすがろうとしたのだ。今は違う。汝らがわしに命を差し出すというのであれば、わしも命懸けで、その気持ちに応えなければならぬと思う。わし一人だけが逃げ出すなど許されぬことだ。その方らの気持ち、しかと受け止めたぞ。越後に帰り、もう一度、国主として精一杯、務めてみよう。それこそ、わしが進むべき道だと悟った」
 次第に明るくなっていく東の空に目を凝らしながら、
(もはや、迷うまい。この命を、わしを慕ってくれる者たちに捧げよう。この先、また心に迷いが生じることがあれば、そのときは越後を去るのではなく、高野山に登るのでもなく、この命を断ち、冥途に旅立つことにしよう)
 景虎は、そう心に誓った。

北条氏康 関東争乱篇

イラスト◎森 美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した偉大なる祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱。一族の悲願・関東制覇を期する氏康の傍らには、祖父が育てた軍配者・小太郎がいた! 河越夜襲で劇的勝利を収めた氏康を待つものは……北条三代目の生涯を描く人気シリーズ第四弾。

〈北条サーガTHE WEB〉http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

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