北条氏康 関東争乱篇第九回

十六

 四月下旬、小太郎は駿河に向かった。
 今川の軍配者・太原雪斎の招きである。
 義元のいる駿府ではなく、富士郡の善得(ぜんとく)寺に招かれた。小太郎だけでなく、武田晴信の軍配者・山本勘助(かんすけ)、すなわち、四郎左も招かれている。
 五月の初めに三家の当主が顔を合わせることになっているが、その前に、まずは三家の軍配者が顔合わせをしておこうという趣旨なのである。
 小太郎は息子の新之助を伴うことにした。
 太原雪斎や山本勘助の名前は、傑出した軍配者として近隣諸国に鳴り響いている。彼らに会う機会など滅多にないから、新之助の教育の一環として同道を命じた。
 小太郎と新之助以外には、荷物を運ぶ小者や警護の武士を数人連れているだけである。
 わずかな人数で他国に行くことを新之助は心配し、
「もっと多くの郎党を連れていった方がよいのではありませんか?」
 と、小太郎に勧めた。
 しかし、小太郎は、
「本気で雪斎殿がわしらの命を奪おうと考えるのなら、百や二百の兵を連れて行ったところで、何の役にも立たぬ。それ故、盗賊や追い剥ぎの類を寄せ付けないだけの人数で十分なのだ」
 と取り合わなかった。
 朝早く小田原を出て、日が暮れないうちに善得寺に着いた。急げば、もっと早く着いただろうが、三人の顔合わせは明日の予定なので、急ぐことなく、ゆるゆるとやって来た。
 顔合わせだけを考えれば、今夜は国境付近の城に泊まり、明日の朝、国境を越えて善得寺に来てもよかったが、小太郎は、事前に善得寺周辺の様子をじっくり眺めたかったので一日早く来た。
 三家の当主が顔合わせをするとき、まさか義元が悪巧みをするとは小太郎にも思えなかったが、氏康の言うように、何事も用心するに越したことはない。どこにどれくらいの兵を隠すことができるか、万が一、襲撃された場合、どれくらいの兵がいれば、氏康を無事に逃がすことができるか......そういうことを考えたかった。
 雪斎が、当主の顔合わせの前に武田と北条の軍配者を招いたのは、どうぞ好きなように検分なさるがよい、当方には何の邪心もありませぬぞ、と暗に言っているわけであった。一流の軍配者ならば、その程度の警戒心を持つのは当たり前だと雪斎は考えているのだ。小太郎や四郎左に一目置いているということでもある。
 先触れを走らせておいたので、小太郎たちが善得寺に着いたとき、墨染めの衣を身にまとった雪斎が門前で出迎えた。
「風摩(ふうま)殿、ようこそお越し下さいました。お久し振りでございます。お元気そうで何よりです」
 雪斎が丁寧に会釈する。
 小太郎と雪斎には面識がある。
 天文五年(一五三六)六月、世に言う花蔵(はなくら)の乱、すなわち、今川の家督を巡る内紛が起こったとき、小太郎は雪斎と共に駿河に行き、義元にも会っているのだ。十八年前のことである。
「雪斎殿もお元気そうで何よりでございます」
 小太郎も頭を下げる。
「お互い、年齢を取りましたな。いくつになられる?」
「四十九です」
「わたしは五十九です。まさか、こんなに長生きするとは思っていませんでした。いつ冥途(めいど)に旅立ってもいいように、暇があると、この寺に来て仏道修行に励んでおります」
「立派な心懸けだと思います」
 小太郎の記憶に残る雪斎は、恰幅がよく、肌艶のいい、溢れんばかりの生気に満ちあふれていた。
 今、目の前にいる雪斎は、すっかり痩せてしまい、肌も乾燥しているように見える。
 十八年も経てば、見かけが変わるのは当然だが、かつての雪斎が花盛りの樹木だったとすれば、今の雪斎は花も葉も落ちてしまった枯れ木のようだ。
(どこか悪いのではないか)
 と、小太郎は直感する。
 門前で小太郎を出迎えることができるくらいだから、病だとしても、それほど深刻な状態ではないのだろうが、黄ばんで、いくらか黒ずんだ肌を見れば、体の中に病が潜んでいるのは間違いないように思われる。
「倅を連れて来ました」
 小太郎が雪斎に新之助を紹介する。
「おお、やはり、そうでしたか。最初に見たとき、顔立ちが似ているので、もしや、と思いましたが......。風摩殿は、いい後継ぎをお持ちだ」
 雪斎が新之助に微笑みかける。
「新之助と申します」
 緊張した面持ちで、新之助が挨拶する。
「太原崇孚(すうふ)でござる」
 雪斎が丁寧に頭を下げる。
「いずれは北条家の軍配者になられるのかな?」
「いいえ、わたしは軍配者になるための修行はしておりませぬ」
「では、重臣として北条家を支えていくわけですな?」
「さあ、それはわかりませぬが......」
「多くのことを学びなさるがよい。若い頃に蓄えた学識が年を取ってから役に立つものです」
「胸に刻んでおきます」
「お疲れでしょうから、すぐに休みたいかもしれませぬが、まだ元気があるようなら、日のあるうちに、この寺を少しご案内したいと存ずるが、いかがでしょうかな?」
 雪斎が小太郎に訊く。
「ぜひ、お願いしたいと存じます」
「では、参りましょう」
 雪斎と小太郎が並んで歩き出す。
 その後ろを新之助がついていく。
「これといって特徴のない寺なのですが、わたしと御屋形さまにとっては、特別な思い入れのある寺なのですよ......」
 歩きながら、雪斎は、ぽつりぽつりと昔語りを始める。
 雪斎は、今川氏親の重臣・庵原左衛門尉(いはらさえもんのじょう)の子として生まれた。氏親は義元の父である。
 ひとつの霊夢が雪斎の人生を変えた。
 ある夜、左衛門尉の夢枕に御仏が現れ、
「この子は、わたしが現世に遣わした者である。仏門に入れて修行させれば、いずれ今川家の守り神となるであろう」
 と語った。
 左衛門尉は驚き、その夢を氏親に伝えた。
「何と、ありがたい夢であろうか。御仏の言葉を蔑(ないがし)ろにはできぬ」
 氏親は、雪斎を仏門に入れるように命じた。
 それで雪斎は善得寺で修行することになった。
 学問の進む速さが尋常ではないので、住職が驚いて氏親に知らせるほどだった。雪斎の神童ぶりを耳にするたびに氏親は喜び、
「それほど優れた者を田舎に燻(くすぶ)らせておくわけにはいかぬ」
 雪斎を京都に出すことにした。
 建仁(けんにん)寺で学ぶことになったが、ここでも学問の天才ぶりをいかんなく発揮した。
 建仁寺は、ただの寺ではない。
 東の足利学校、西の建仁寺と並び称されるほど、このふたつから巣立った軍配者は多い。
 仏道修行の傍ら、雪斎も兵書を読んだ。
 それが後々、大いに役に立った。
 十四歳のとき、師の常庵龍崇(じょうあんりゅうそう)によって剃髪され、九英承菊(きゅうえいしょうぎく)と名付けられた。
 建仁寺で修行を続け、雪斎の重みは増した。やがては日本を代表する名僧になったであろうが、思わぬことから運命が変転した。
 氏親が五男・方菊丸(ほうぎくまる)を仏門に入れることに決め、雪斎を教育係に指名したのである。
 方菊丸は後の義元で、このとき四歳、雪斎は二十七歳である。
 駿河に帰国した雪斎は、方菊丸を伴って善得寺に入った。
 雪斎は、幼い方菊丸に仏道修行の基本を教えた。
 二年後、雪斎は方菊丸と共に建仁寺に戻った。
 常庵龍崇が亡くなると、優れた先達を求めて妙心(みょうしん)寺に移り、大休宗休(だいきゅうそうきゅう)に弟子入りした。方菊丸の教育に役立つと考えたからである。
 このとき、雪斎は九英承菊から太原崇孚に名を改め、方菊丸も得度して栴岳承芳(せんがくしょうほう)になった。
 栴岳承芳が善得寺に戻ったのは十七歳のときで、行く行くは住職になったはずである。
 しかし、花蔵の乱が起こり、雪斎も義元も人生が大きく変わった。
 義元は今川の家督を継いで駿河の国主となり、雪斎は義元の相談役兼軍配者となった。
「人生というのは、わからぬものですよ」
 雪斎が微笑みながら言う。
「いろいろありましたが、最後には、この寺に戻ってきました」
「なるほど」
 雪斎が暗に言おうとすることが小太郎には察せられる。
 善得寺は、義元にとっても雪斎にとっても、ただの寺ではない。特別な意味のある寺なのである。その寺で、血なまぐさい陰謀など企むはずがない、どうか信じてもらいたい......そう雪斎は伝えたいのに違いなかった。

北条氏康 関東争乱篇

イラスト◎森 美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した偉大なる祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱。一族の悲願・関東制覇を期する氏康の傍らには、祖父が育てた軍配者・小太郎がいた! 河越夜襲で劇的勝利を収めた氏康を待つものは……北条三代目の生涯を描く人気シリーズ第四弾。

〈北条サーガTHE WEB〉http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。

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