北条氏康 巨星墜落篇第四十八回
二十九
十二月二十二日早朝、二万七千の武田軍は、家康がつかんだ情報通り、一斉に西進を開始した。
ただ、その動きは奇妙で、一路、西に進むというのではなく、天竜川を渡ると、一転して南下を始めた。
武田軍の動きは、徳川の忍びたちが事細かに知らせてくる。
武田軍の南下を知り、
(城攻めをするつもりか)
と浜松城には緊張が走った。
家康は出陣の覚悟を決めているが、武田軍が浜松城に押し寄せて来るのであれば、否応なしに籠城せざるを得ない。堅固な城を出て、わざわざ二倍以上の敵と野戦する必要はないからだ。
が......。
浜松城まで一里(約四キロ)まで迫りながら、そこでまた進路を転じ、今度は三方原(みかたがはら)方面に進み出した。
「どういうことだ?」
「武田は何をするつもりだ?」
徳川の重臣たちは首を捻る。
武田軍の狙いがわからないのである。
家康ですらわからず、浜松城を攻めるのか、それとも、城攻めをせずに西に向かうのか判断ができなかった。
その間も刻々と忍びから報告が入る。その報告は、かなり正確に武田軍の動きをつかんでいる。
信玄が重臣たちに命令を伝えると、重臣たちは、その命令を侍大将に伝える。侍大将は、それを百人隊長や十人隊長に伝えて、最後に下々の兵に知らされるという流れになる。命令が伝わる過程で、その内容が忍びの耳に入るわけである。
最新の報告では、
「三方原を抜け、追分から祝田(ほうだ)に向かう。敵に追いつかれると面倒だから、できるだけ急ぐのだ」
という山県昌景の言葉までが伝えられた。
それを聞いて、
「そういうことか」
本多忠勝が膝を打って叫ぶ。
「何かわかったのか?」
酒井忠次が訊く。
「簡単な話ではありませぬか。武田は城攻めをするつもりはない。真っ直ぐ西に向かうつもりなのだ。しかし、われらに追いすがられると困るから、一度は城攻めをすると見せかけて、われらが城から出ないように牽制したのでしょう」
本多忠勝が答える。
「なぜ、そんな面倒なことをするのですかな? さっさと西に向かえばいいものを」
佐久間信盛が首を捻る。
「佐久間殿は、三方原近辺の地理については、お詳しいですかな?」
「いいえ、存じませぬな」
「三方原台地を過ぎてから、追分から祝田に行く道は谷の底にある狭い道なのです。馬なら一頭、人なら二人がやっと通ることのできるような道なので、武田軍は細く長く伸びた状態で進まざるを得ませぬ。しかも、地理に疎い。こちらは掌を指すが如く、どこに何があるのかわかっているのです。谷の上には、いくらでも兵を隠すことのできる場所があります」
本多忠勝が興奮気味に言う。
その興奮は、他の重臣たちにも伝わる。援軍として駆けつけた織田の武将たちは、なぜ、突如として徳川の者たちが興奮し始めたのか理解できず、怪訝な顔をしている。
「田楽狭間のような土地ということですかな?」
佐久間信盛が訊く。
「さよう」
本多忠勝が大きくうなずく。
十二年前の永禄三年(一五六〇)五月十九日、二万五千という大軍を率いて都に向かっていた今川軍を、わずか三千の兵力しか持たない織田信長が奇襲攻撃し、田楽狭間で今川義元を討ち取った。今川軍は敗走し、これをきっかけに今川氏は滅亡の道を辿ることになる。
確かに、そのときと今とは状況が酷似している。
当時、今川軍は、向かうところ敵なしというほど強く、あたかも無人の野を行くが如くに進軍し、織田方の城や砦を次々に落とした。信長を打倒し、都に今川の旗を靡(なび)かせるのは時間の問題であった。
清洲城で行われた軍議では、重臣たちは口を揃えて籠城を勧めたが、信長一人が同意せず、誰にも相談することなく出陣した。三千という信長の兵力はすべてを掻き集めた総兵力のことで、実際には城に残す兵も必要だし、各地に分散している兵もいるから、信長に従って出陣したのは、その半分程度に過ぎない。清洲城を出るときには五百人くらいしかおらず、道々、少しずつ増えた。田楽狭間で休憩している今川義元を襲撃したとき、信長が率いていたのは、恐らく、一千五百人にも足りない程度の兵力だったはずである。
義元の方も、二万五千の兵で駿河を出たものの、その兵力が常に義元のそばにいたわけではなく、周辺の城や砦を攻めるために分散させていたから、休憩しているとき、そばにいたのは三千から四千ほどに過ぎない。それでも信長の二倍以上の兵力だったが、不運にも討ち取られた。
信長の最大の幸運は、田楽狭間という見通しの悪い土地で義元が休憩したことで、そのおかげで攻撃を仕掛けられる寸前まで今川軍は織田軍の接近に気付かず、防御態勢を取ることができずにあたふたしているうちに義元を討ち取られてしまった。
もっとも、義元が田楽狭間で休憩したのは偶然ではなく、そうなるように信長が様々な工夫を凝らしたという説もある。
「......」
家康は無言である。
しかし、顔には血が上って赤くなっている。
本多忠勝の言うように、これは絶好の機会ではないか、狭隘地を進む武田軍に奇襲をかけて、信玄を討ち取ることができれば、いかに最強の武田軍とはいえ、今川軍がそうであったように呆気なく崩壊するに違いない、自分も第二の信長になれるのではないか......そんな想像をしたかもしれない。
今川義元を討ち取ってから、わずか十二年で信長は天下人になった。
無敵の武田軍を打ち負かし、名将・武田信玄を討ち取れば、一躍、家康の名は天下に響き渡るであろう。さすがに信長に代わって天下人になろうとは考えなかったであろうが、武田が支配する駿河や信濃あたりまで領地を広げられるかもしれぬ、という程度のことは想像したに違いない。
人間は命の炎が消える寸前、その生涯を走馬灯のようにめまぐるしく回顧すると言われるが、家康は、本多忠勝の言葉を聞いてからのわずかの時間に、華々しい栄光に包まれる自分の将来を夢想したはずである。
「出陣じゃ」
家康が声を張り上げて立ち上がる。
「おう」
昨日の重臣会議では誰もが籠城を勧め、武田軍と戦うことに反対していたのに、今日は、そうではない。皆、やる気に満ちている。
(追分から祝田に向かう武田軍をうまく捕捉することができれば......)
そうなれば勝てるかもしれぬ、という予感を誰もが抱いたわけである。
平地で戦うのなら、二万七千と一万一千では勝負にならないが、狭隘地を細長く進む敵を攻撃するのなら、兵力差は大した意味を持たない。谷底の狭い道を一列か二列で進む敵の頭上に、弓矢と鉄砲を雨あられと降らせればいいだけだ。勝利の果実をもぎ取るのは容易である。
(勝てる。わしは勝てるぞ)
家康は両手で自分の顔をパンパンと何度か叩く。興奮を静め、落ち着こうとしたのである。
Synopsisあらすじ
一代にして伊豆・相模を領した祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱、そして一族の悲願・関東制覇を期する氏康――氏政に家督を譲ったものの、長尾景虎の猛攻に氏康は気の休まる時がない。危うい局面を武田信玄との同盟で凌いできたが、西から新たな危難が迫る……北条三代目の物語もいよいよ大団円!
Profile著者紹介
1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。
「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。
〈北条サーガTHE WEB〉
http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/
Newest issue最新話
- 第五十回2025.12.03
Backnumberバックナンバー
- 第四十九回2025.11.26
- 第四十八回2025.11.19
- 第四十七回2025.11.12
- 第四十六回2025.11.05
- 第四十五回2025.10.29
- 第四十四回2025.10.22
- 第四十三回2025.10.15
- 第四十二回2025.10.08
- 第四十一回2025.09.24
- 第四十回2025.09.17
- 第三十九回2025.09.10
- 第三十八回2025.09.03
- 第三十七回2025.08.27
- 第三十六回2025.08.20
- 第三十五回2025.08.13
- 第三十四回2025.08.08
- 第三十三回2025.07.30
- 第三十二回2025.07.23
- 第三十一回2025.07.16
- 第三十回2025.07.10
- 第二十九回2025.07.02
- 第二十八回2025.06.25
- 第二十七回2025.06.18
- 第二十六回2025.06.11
- 第二十五回2025.06.04
- 第二十四回2025.05.28
- 第二十三回2025.05.21
- 第二十二回2025.05.14
- 第二十一回2025.05.07
- 第二十回2025.04.30
- 第十九回2025.04.23
- 第十八回2025.04.16
- 第十七回2025.04.09
- 第十六回2025.04.02
- 第十五回2025.03.26
- 第十四回2025.03.19
- 第十三回2025.03.12
- 第十二回2025.03.05
- 第十一回2025.02.26
- 第十回2025.02.19
- 第九回2025.02.12
- 第八回2025.02.05
- 第七回2025.01.29
- 第六回2025.01.22
- 第五回2025.01.15
- 第四回2025.01.08
- 第三回2024.12.25
- 第二回2024.12.18
- 第一回2024.12.11
