北条氏康 巨星墜落篇第二十三回

十七
 翌朝、長尾軍は、まだ暗いうちから戦支度を始めている。
 昨日、城方は勝ち戦だったから、その勝ちに浮かれて、今日も朝早くから攻めてくるだろう、と景虎は予想し、手ぐすね引いて城方の出撃を待っている。
 しかし、城内は静まっており、一向に城から出てくる気配がない。
 気の短い景虎は苛立ち始める。
 昨日の借りを返してやろうとやる気満々で待ち構えているのに肩透かしを食った格好になり、
「それなら、こっちから攻めてやる」
 早速、考えを変える。
 もっとも、景虎も馬鹿ではない。
 昨日の教訓を生かし、まず堀を埋めてしまうように兵たちに命ずる。城を囲む堀をすべて埋めるには時間がかかるから、城の正面だけを埋めることにする。昨日は、一度に数十人しか堀を越えることができなかったために、城方に苦杯を嘗めさせられた。その轍を踏まず、先鋒の軍勢が一斉に堀を越え、どっと大手門に押し寄せれば、たとえ城方が打って出てきても、容易に撃退できるはずであった。
 十分に堀が埋まると、満を持して景虎が突撃命令を発する。
 長尾軍の先鋒が一斉に動き出し、次々に堀を越え、大手門に殺到する。その数は、ざっと二千。
 と、突然、大手門の上から無数の石が降ってくる。
 長尾軍が攻めかかってくることを予想し、夜のうちに浄三が運ばせておいた石である。
 それだけでなく、城壁の上方も崩した。
 長尾軍からすれば、石の壁が倒れてきたように感じたであろう。一瞬で三百人が下敷きになった。負傷した者は数え切れない。
(いかん)
 これを見て、景虎は退却を命じた。罠にはまった、と察知したのだ。
 負傷者を運んで、先鋒の軍勢が退却を始めたとき、大手門が開き、城方が打って出てきた。
 ここが勝負所だと浄三は判断し、すべての兵力を投入した。二千人ほどが一丸となって長尾軍に向かっていく。先頭を行くのは松田孫太郎である。
 長尾軍は先鋒の軍勢が大崩れしたことが大きく響き、城方の突撃を受け止めることができない。ずるずると後退する。
 戦には勢いというものがある。
 城方は勝利の波に乗り、長尾軍はその波に流される。
 一万五千と言っても、そのすべてが長尾兵ではない。半分以上は、景虎の檄に応じて集まってきた者たちで、長尾兵ほど強くもないし、腰も据わっていない。命を投げ出してまで踏み留まって戦おうという根性はない。先鋒が城壁の下敷きになって総崩れになるのを見て、それらの兵が真っ先に逃げ出した。
 景虎が城攻めを命じたときには、一万五千の兵がいたが、城方が城から打って出てきて半刻(一時間)も経つと、一万二千くらいになっている。
 戦に関して、景虎は鼻の利く男だ。
(これは駄目だ)
 そう判断すると、
「退くぞ」
 すぐさま馬に跨がり、城から離れていく。
 毘沙門天の旗が遠ざかるのを見て、
「御屋形さまが行ってしまう。遅れるな」
 景虎の気性を知っている兵たちは、景虎がこの戦を捨てたと知った。そうだとすれば、もたもたしていると置き去りにされてしまう。戦を放棄し、我先にと景虎を追って走り出す。
 地理に不案内な土地での敗走だったせいか、この日、長尾軍には死傷者が続出し、一説には、その数が五千人に達したとも言われる。
 さすがに五千人は大袈裟だろうが、かなりの数の死傷者が出たことは間違いない。景虎にとっても長尾軍にとっても、いまだかつて経験したことのない惨敗だったということである。
 この日の戦いについて、景虎の死後に編纂された上杉の記録には一切載っていない。毘沙門天の化身とまで言われた天才武将の経歴に傷をつけるような敗北を記録したくなかったのであろう。
 だが、敗北は事実であり、景虎は、そのまま厩橋(まやばし)城に引き揚げた。ここで兵をまとめると、四月に越後に帰国した。
 臼井城は、戦略的な見地からすれば、大して意味のない小城に過ぎない。
 景虎にしても、小金城を攻めあぐねたので、目先を変え、佐倉城を落とす前の小手調べに臼井城を攻め落としてやろうという程度の考えしかなかった。
 にもかかわらず、城を落とすどころか、大敗を喫した。
 景虎自身、この敗北に愕然とし、だからこそ、さっさと帰国したのであろう。
 景虎以上に大きな衝撃を受けたのは、これまで景虎に味方してきた関東の豪族たちである。北条氏という強敵に圧迫されながらも、必死に抵抗を続けてきたのは、景虎の強さを信奉していたからである。戦えば必ず勝つと信じていたから忠誠を誓ってきた。
 ところが、負けた。
 一万五千という大軍で、わずか二千の兵が籠もる城を攻めながら、見苦しく大敗を喫した。名のある名将が守っていたというのならわからぬでもないが、城主は原胤貞である。名将どころか、凡将だ。
 白井入道浄三など、そもそも関東ではまったくの無名だから、臼井城にいたことすら知られていない。
 大軍を率いた氏政が臼井城に現れたのは、この戦いの三日ほど後だから、もう少し早く氏政が到着していたら長尾軍の敗北は、もっと深刻なものになっていたかもしれない、と豪族たちが考えるのは当然だ。
「長尾殿は頼りにならぬのではないか」
 という不安が渦巻き、この後、景虎を見限って北条氏に膝を屈する豪族が続出するのは、この敗北が原因である。景虎が失ったものは実に大きいのだ。
 その原因を作ったのは浄三である。
 たった二日間、軍配を預かっただけなのに、長尾軍を打ち破り、関東の政治情勢を大きく塗り替えた。
 臼井城に到着し、長尾軍との戦いの様子を聞いた氏政は、
「何と、それほど優れた軍師がここにいるのか」
 と驚き、自らも褒美を与え、できれば北条氏の軍師として迎えたいと考えた。
「ここに呼べ」
「申し訳ございませぬ......」
 佐久間主水介が頭を垂れ、もう浄三はおりませぬ、戦が終わると、さっさと城を出ていってしまいました、行き先はわかりませぬ、と答える。
「いないのか。それは残念だ。消息がわかれば、わしが会いたがっていたと伝えよ。いつでも小田原に来るように、とな」
「は」
 承知しました、と主水介は返事をしたが、この約束を果たすことはできなかった。
 浄三は消えた。
 歴史上、わずか二日間の足跡を残し、再び歴史の闇の中に消えたのである。

北条氏康 巨星墜落篇

画・森美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱、そして一族の悲願・関東制覇を期する氏康――氏政に家督を譲ったものの、長尾景虎の猛攻に氏康は気の休まる時がない。危うい局面を武田信玄との同盟で凌いできたが、西から新たな危難が迫る……北条三代目の物語もいよいよ大団円!

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。

「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。



〈北条サーガTHE WEB〉

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