北条氏康 巨星墜落篇第十六回


 資正の岩付城奪取計画は失敗した。
 氏資との戦に敗れたわけではない。
 そもそも戦いが起こらなかった。
 宇都宮や佐竹から借りた兵は百人足らずに過ぎなかったが、資正の呼びかけに応じて岩付の兵が集まり、五百人ほどになった。
 その時点で、知らせを聞いた氏資は大慌てで氏康と氏政に岩付に帰らせてほしい、と願い出たわけである。
 だが、岩付城は堅固である。
 五千の兵で攻めても、そう簡単には落ちない。
 実際、それくらいの数の北条軍を何度も撃退している。五百人くらいでは攻撃しようがないのだ。
 氏康は、城が落ちるとすれば、内部から手引きする者がいる場合であろうと予想したが、実は、その通りだった。
 資正は事前に調略の手を伸ばし、資正が城主に返り咲いたとき、大きな恩賞を与えるという約束で何人かの重臣を味方にした。資正の軍勢が城に押し寄せれば、城の中で彼らが蜂起し、城門を開けて資正を迎え入れるという段取りである。いかに堅固な城でも、敵が城内に入ってしまえば守りようはない。それが五百人で岩付城を奪取する秘策だった。
 その計画は思わぬところから破綻した。
 資正を手引きし、城内で蜂起する際、中心となるのは太田下野守資叶のはずだった。
 元々は高築(たかつき)姓を名乗っていたが、資正の父の代に婚姻によって親戚となり、太田姓を名乗ることを許された。
 武勇に優れ、資正に忠実なので、戦になれば、武者大将として、常に総兵力の三分の一を預けられるほど資正から信頼されていた。
 ただ、性格に難があり、偏屈で、無類の頑固者として知られていた。
 資正はうまく御していたが。若い氏資には無理で、だからこそ、氏資は資叶を疎んじ、関宿にも連れて行かず、留守を命じた。
 資叶がその処遇に不満を抱き、氏資を見限って、資正の誘いに乗ったのは、当然の流れであった。
 資正が誘ったのは資叶だけではない。それ以外の重臣たちにも声をかけ、何人かは承知した。
 城内で蜂起するときは、皆が協力することになる。
 ところが、資叶は、
「わしの指示に従え」
 と、あたかも自分が大将であるかのように、他の内応者たちに傲慢な態度で接した。これが反感を買った。元々、人望がないのである。
「われらは三楽斎さまに従うと決めたのであって、下野守の家臣になりたいわけではない。自分が城代になったかのような振る舞いではないか」
 資正に味方すると決めていた者たちが資叶への反感から裏切りを思い留まり、資叶が資正に通じていることを氏資に報じた。
 氏資の指示で、資叶とその一族は捕らえられ、岩付城から追放された。
 この一件で城内の者たちは結束し、資正は手を出すことができなくなった。
 その直後、関宿から氏資が帰城したので、資正は兵を退いた。
 氏資は、一人の偏屈者のおかげで岩付城を守ることができたわけである。直ちに詳細を知らせる使者を氏康と氏政の元に送り、混乱が鎮まったら、改めて関宿に向かう意向を知らせた。
「父上の思惑通りにはいきませんでしたね」
 知らせを聞いて、氏政が言う。
「無難に収まったというところだろう。それなら、それでよいのだ」
「ここに戻ると言っていますが」
「それは及ばぬと伝えよ。われらも、そろそろ引き揚げる」
「仕切り直しということでしょうか」
「最初から、そう簡単に落とすことができるとは思っておらぬ」
「では、小田原に戻りまするか?」
「一度戻って、また出直そう」
「ここにですか?」
「いや、関宿ではない。忍(おし)になるだろう」
「なるほど、忍ですか」
 氏政がうなずく。
 岩付での混乱に関しては、風間党も独自に探っている。風間党によって得られた情報は、伝達が速くて正確なので、実は、氏資の使者がやって来たとき、すでに氏康と氏政は大体の事情を把握していた。
 しかも、氏資が知らないことまで知っている。
 資正は兵を退いたものの、氏資はまだ警戒を緩めず、資正の動向を気にしている。
 だが、資正はすでに岩付を離れており、松山城の北にある忍城に向かっている。忍城の主は、資正の娘婿・成田氏長(うじなが)である。
 たまたま成田氏長は北条氏への臣従を申し出ており、氏康と氏政は相談の上、その申し出を受け入れることにした。
 但し、まだ返答はしていない。どういう条件で臣従を許すか、細かいところを煮詰めていないからである。
「成田は、どうするでしょうか?」
「こっそり三楽斎を迎え入れるのか、あるいは、入国を拒むのか。それとも、捕らえて、わしらに差し出すのか......」
 氏康が首を捻る。
「成田の臣従の申し出が、どれくらい真摯なものかわかりますな」
「うむ」
「先達て、岩付への対処について、父上からお叱りを受けました」
「別に叱ったわけではない。当家にとって、どうするのが最も得になることか、よくよく思案せよ、と言っただけだ」
「成田の臣従は受け入れるべきかと存じますが、領地支配の条件など、少しばかり厳しいものにしてはいかがでしょうか」
「ほう、そう思うか?」
「向こうが臣従を渋るくらいに厳しいものとし、この話が立ち消えになれば、忍に攻め込むことができましょう。たとえ厳しい条件でも受け入れるというのであれば、それはそれで、われらに損のない取引になろうかと存じます」
「よくぞ申した」
 氏康がぽんと膝を叩く。
「それでよい。どちらに転んでも、当家に有利なことになる。岩付の件から学んだのう」
「誉めて下さいますか?」
「誉めよう。わしも同じことを考えていた」
 氏康が満足そうにうなずく。


 五月二十四日、関宿城攻めを中止し、氏康と氏政は小田原に戻った。再び出陣したのは八月中旬で、向かったのは忍である。
 この時点で、成田氏長の北条氏への臣従は実現していない。氏政が突きつけた臣従の条件が厳しく、その受け入れに氏長が難色を示したからである。
 交渉は決裂したわけではなく、氏長が条件の緩和を願い出ているという状況になっている。
 北条氏への好意の証として、氏長を頼って岩付から忍にやって来た資正を、氏長は受け入れず、領内への立ち入りを禁じた。やむなく資正は方向を転じて常陸に向かい、この後、佐竹義重の配下として北条氏に敵対することになる。
 だが、この措置を氏康も氏政も喜ばなかった。なぜ、捕らえなかったのか、と難詰した。臣従の条件緩和にも応じず、ついに兵を出して、忍に迫ってきたわけである。
 八月十七日、先行した氏政が忍に侵攻し、成田勢と小競り合いを始めた。
 遅れて行軍していた氏康は、真っ直ぐ忍には向かわず、忍城の西にある鉢形(はちがた)城に入った。
 この頃、長尾景虎が北信濃に攻め込む構えを見せていた。それを牽制するため、武田信玄からの要請があり次第、上野における長尾方の最重要拠点である厩橋(まやばし)城を攻撃するためであった。
 氏康は、東の忍城と北の厩橋城を両睨みしていたわけである。
 九月中旬になり、長尾景虎が北信濃に侵攻することはなさそうだ、越山して関東に向かうのではないか、と信玄が知らせてきた。
 景虎を牽制する必要のなくなった氏康は忍に向かい、氏政と協力して忍城攻めを開始した。
 だが、めぼしい戦果のないまま、二週間ほどで攻撃を打ち切り、氏康と氏政は小田原に戻った。
 景虎が越後から上野にやって来るとすれば、雪が深くならないうちだろうから、十一月中であろうと予想し、忍城攻めが長引いて、忍に足止めされた場合、十分な迎撃態勢が取れないまま景虎と対峙することになってしまう。それを怖れて、さっさと小田原に引き揚げたわけである。

北条氏康 巨星墜落篇

画・森美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱、そして一族の悲願・関東制覇を期する氏康――氏政に家督を譲ったものの、長尾景虎の猛攻に氏康は気の休まる時がない。危うい局面を武田信玄との同盟で凌いできたが、西から新たな危難が迫る……北条三代目の物語もいよいよ大団円!

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。

「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。



〈北条サーガTHE WEB〉

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