北条氏康 巨星墜落篇第十五回


 太郎丸が大きな声で漢籍の素読をしている。何度か同じ箇所を繰り返し、その声がぴたりと止む。
「母上、ここは、どう読むのでしょうね」
 部屋の片隅で針仕事をしている千草を肩越しに振り返る。読み方がわからなくて、先に進むことができなくなったらしい。
「教えてあげたいけれど、母には難しすぎてわかりません。ごめんなさいね」
 千草が申し訳なさそうに謝る。千草も無教養ではなく、幼い頃から書物に親しみ、『源氏物語』や『枕草子』『伊勢物語』などの古典を愛読してきたし、漢籍も『論語』や『孟子』くらいなら、何とか理解できる。
 しかし、太郎丸は、まだ十歳なのに、千草がとても及ばないほど学問が進んでおり、難しい兵書などを読んでいる。質問されても答えようがないのだ。
「そうですか。ならば、今度、躑躅ヶ崎館に行ったとき、誰かに聞くことにします」
「おじいさまが生きていればねえ」
「おじいさまでは駄目です。学問があまり好きではなかったし、目も悪くなって書物を読むこともできなくなっていましたから」
 太郎丸の祖父であり、千草の父である原虎胤(はらとらたね)は、今年の一月に病で亡くなった。享年六十八というから、この時代にしては、かなりの長命である。
「父上が生きていればなあ」
 思わず太郎丸がつぶやく。
「......」
 千草の表情が曇る。
 父の四郎左、すなわち、山本勘助は、第四回の川中島の戦いで戦死した。
 千草は未亡人となり、二人の息子を育てている。
 太郎丸の下に四歳の次郎丸がいる。
 四郎左は譜代の家臣ではなく、一代限りの軍配者として武田家に仕えていたから、戦死して、家禄は没収された。信玄の恩情で、幾許かの捨て扶持をもらい、虎胤からの援助もあったので、細々と暮らすことはできたが、生活は楽ではない。虎胤が亡くなり、実家との繋がりも薄れたので、これからは実家からの援助もあまり期待できない。
 だが、希望がないわけではない。
 太郎丸には躑躅ヶ崎館にある書庫に自由に出入りする許可が与えられており、書庫の管理を任されている老人から教えを受けることもできる。
 その老人が親切だというのではなく、そうするように信玄が命じたのだ。
 滅多にあることではないが、信玄と書庫で出会したりすると、信玄自身が教えてくれることもあるという。信玄からは、
「おまえの学問が十分に進んだら、足利学校に行かせてやろう。父と同じ道を歩んで、武田のために力を貸してほしい」
 と言われ、太郎丸は、すっかりその気になっている。
 太郎丸が誰よりも尊敬しているのは、亡くなった四郎左であり、その四郎左が仕えていた信玄のことも心から尊敬している。
 信玄に目をかけられているから、いずれ成長し、才を認められれば、太郎丸が家臣として召し抱えられる可能性はあるのだ。
「早く大きくなって足利学校に行き、一人前の軍配者になります。そうして、御屋形さまのために働きたいのです」
 ことある毎に、太郎丸は、そう口にする。
「そうしなさい。父上も喜ぶでしょう」
 そう励ましながらも、まだ幼いのだし、足利学校に行くのは、ずっと先のことだと考えていたが、太郎丸の学問の速さからすると、
(そう先のことではないかもしれない)
 という気もする。
 いつまでも手許に置いておきたいのが本音だが、そんなわがままは許されないとわかっている。
「北信濃の戦は、どうなっているのでしょうなあ」
 書物を閉じて、太郎丸が立ち上がる。
 北信濃の川中島で、武田信玄と長尾景虎が睨み合いを続けている。第五回の川中島の戦いである。
 戦いが起これば、すぐさま甲府に知らせが届くはずだが、八月初め、両軍が布陣を終えたという知らせが来てから、新たな知らせが届いていない。
「御屋形さまには勝っていただきたいですが、本当は勝ってもらっては困るので、何とか引き分けくらいになればいいのですが」
「どうして困るのです?」
「だって、御屋形さまが勝ってしまったら、父上の敵討ちができなくなってしまうではありませんか。わたしが軍配者になってから、長尾には勝ちたいのです」
「おまえ......」
 千草が息を止める。わずか十歳の子供が、父の敵を討つために必死に学問に励む......母として喜ぶべきかどうか戸惑いを感じる。
 太郎丸は縁側から庭に下りると、北の空を見上げる。腕組みして、小首を傾げ、何やら思案する様子である。戦いの帰趨が気になるのであろう。
 太郎丸の願いが届いたのか、この第五回の川中島の戦いでは、両軍による大きな激突はなかった。
 信玄は守りの姿勢を貫き、景虎も強引に攻めかかろうとしなかったからだ。
 十月一日、景虎が陣払いして越後に引き揚げたことで、この戦いは終わった。
(次に長尾と戦うときには、足利学校で兵学を学んでいたいものだなあ。そうすれば、どうすれば長尾に勝つことができるか、その策を思いつくかもしれないから)
 尊敬する父が勉学に励んだ足利学校に旅立つ日を、太郎丸は待ちわびている。


 国府台の戦いに勝利してから、房総方面における北条氏の攻勢が続いている。
 永禄八年(一五六五)、新年を迎えた祝いもそこそこに、氏政が出陣、土気(とけ)城の酒井胤治(たねはる)を攻めた。
 土気城を落とすことはできなかったが、氏政は縦横無尽に移動し、いまだに残る敵対勢力を虱潰しにしていった。
 三月になると、氏康が合流し、北条軍は下総の関宿(せきやど)城を攻めた。
 関宿は利根川水運の要衝で、ここを押さえれば、関東の水運を手中に収めることができる。北条氏が北関東に進出するためには、何としても、この地を支配する必要がある。
 関宿城の城主は簗田晴助(やなだはるすけ)である。
 簗田氏は、代々、古河公方(こがくぼう)家に仕え、晴助自身、晴氏、藤氏の重臣として仕えた。
 晴氏は氏康の圧力で古河公方の座から追われ、藤氏も逃亡し、里見氏の庇護を受けている。
 晴助だけでなく、嫡男・持助も北条氏への敵意を隠そうともしない。降伏勧告も無視して、北条軍を迎え撃つことになった。
 この関宿城攻めで特筆すべきことは、先鋒を務めたのが太田氏資(うじすけ)だったことである。
 氏資は三楽斎資正の嫡男だ。
 国府台の戦いの後、資正の留守中、氏資を中心に重臣たちが話し合い、長尾景虎と手を切り、北条氏に寝返ることを決めた。
 てっきり戦死したと思われた資正が岩付に帰ってきたが、氏資たちの方針は変わらず、資正を岩付から追放した。
 岩付城は、武蔵に残る長尾方の最後の重要拠点で、ここを手に入れれば、武蔵全域が、ほぼ北条氏の支配下に入る。
 それ故、氏資の寝返りは氏康と氏政にとってありがたいことだったが、どこまで本気で忠義を尽くす気持ちがあるのか測りかねているのも事実だった。
 また長尾景虎が越後から関東に出てくれば、あっさり北条氏と手を切るつもりなのではないか、と疑ったわけである。
 関宿城攻めで先鋒を任せるというのは、氏資の忠誠心を見極めるための一種の試金石だった。
「太田は、よく戦っておりますな、父上」
「そのようだ」
 氏政の言葉に氏康がうなずく。
 守りの堅い関宿城を北条軍は攻めあぐんでいるが、先鋒の太田氏資は何度となく果敢に攻めかかり、最終的に押し返されはしたものの、一時は堀を越えて城中に攻め入った。その戦いぶりを見て、氏資の忠義は本物だと氏政は判断し、その判断に氏康も同意したわけである。
 三月初めに始まった城攻めは、二ヶ月が過ぎても膠着状態が続いた。簗田晴助が貝のように城に閉じ籠もって、城から出ようとしないからであった。いかに大軍で攻めようと、威力のある大砲がなければ、城を攻め落とすのは容易ではないが、ようやく鉄砲が一般的に出回るようになってきたばかりの時代で、大砲など、まだまだ普及していない。力攻めが無理なら、調略で敵方を分裂させ、内から手引きさせるしかないが、それもうまくいっていない。
 どうしたものか......と氏康と氏政が話し合っているところに、お話ししたいことがあるのでお目通り願いたい、と太田氏資が本陣にやって来た。
 氏資は、思い詰めたような深刻な表情で氏康と氏政の前に現れると、
「岩付に帰らせていただきたいのです」
 と申し出る。
「何かあったのですかな?」
 氏政が訊く。
「お恥ずかしい話ですが、このままだと城を奪われてしまいそうなのです」
「城を奪われる?」
「父と弟が兵を率いて城に迫っております」
「......」
 氏康と氏政が顔を見合わせる。
「去年の七月、あくまでも長尾に味方すべしと訴える父を岩付から追放し、弟の源太を城の地下牢に入れました。二人とも処刑するのがよかったのでしょうが、さすがに父と弟の命を奪うことはできず、追放と幽閉という処置を取りました。二人とも追放すれば、また二人で悪巧みをするだろうと思ったので、父だけを岩付から追いました......」
 源太というのは、氏資の六つ年下の異母弟で、後の梶原美濃守政景のことである。
 元服してから、古河公方・足利義氏に奏者として仕えていたが、父の資正が北条氏と手を切り、長尾景虎に味方すると、すぐさま義氏の元を去って、岩付に戻って来た。
 その後、執拗に北条氏に敵対して戦い続けたことから推し量ると、奏者を務めていた頃、義氏を忌み嫌うような出来事があったのかもしれない。
 義氏は氏康の甥で、北条氏が後ろ盾となっているから、義氏を嫌えば、北条氏も嫌いになるのが道理である。
 資正と政景は反北条の急先鋒で、一方の氏資は氏康の娘を妻にしているくらいだから、元々、北条寄りの立場である。
 長尾方の勢力が北条氏によって武蔵から駆逐され、岩付城が孤立無援となりつつあるときに、国府台の合戦で北条氏が勝利した。
 これを見て、太田氏の重臣たちも長尾を見限り、北条氏に味方すべしという考えに変わった。資正は国府台の合戦で戦死したと思われていたから、源太を捕らえてしまえば、あとは簡単だった。
 実際には資正は生きていたわけだが、それでも太田氏の方針は変わらず、資正を追放した。
 それが去年の七月のことである。
 その後、資正は下野の宇都宮広綱や常陸の佐竹義重ら、依然として長尾景虎に味方する大名たちを訪ねて力添えを依頼した。
 足利学校で冬之助と会ったときには、すっかり疲れ切ってしまい、先のことはわかりませぬ、と弱気なことを口にしていたが、体力が回復すると共に気力も甦り、虎視眈々と岩付城の奪還を考え始めた。
 氏資が兵を率いて関宿城攻めに出かけ、岩付の守りが手薄になったのを見計らって行動を起こしたわけである。
 最初にやったのは、地下牢に入れられている源太を助け出すことで、これはうまくいった。
 宇都宮や佐竹から借りることのできた兵は百人ほどに過ぎず、これでは、いかに手薄であろうと、堅固な岩付城を攻め落とすことはできない。
 資正と源太は、岩付にいる者たちに、
「わしらに味方せよ」
 と呼びかけた。
 意外にも呼びかけに応じる者が多かった。
 岩付の太田氏は、北条と長尾の間を揺れ動いている。家中には、北条派と長尾派が存在する。太田氏が長尾方に属している間は長尾派が幅を利かせていたが、北条に寝返ったことで北条派が台頭した。
 当然、長尾派は不満を抱く。
 そういう者たちが資正と源太の呼びかけに応じたのである。
 相手が百や二百くらいなら氏資も岩付に戻ろうとはしなかったであろうが、五百を超えたという知らせを聞いて、さすがに慌てた。それで氏康と氏政の前に罷り出たわけであった。
 今のところ、まだ城方が優勢だが、この先、どう転ぶかわからない。資正と源太の合戦支度が調わないうちに岩付に戻りたいというのが氏資の希望である。
「加勢してほしいということかな?」
 氏政が訊く。
「いいえ、そうではありませぬ」
 氏資が首を振る。
「せっかく城攻めの先鋒という名誉をいただきながら、いまだ城を落とすこともできないのに、こんな中途半端な状態で岩付に帰らせてほしいと口にするのが心苦しく、どうお詫びしていいのかわからぬのです」
「詫びることはない。ここの城攻めも大事だが、自分の城を守ることは、もっと大事だ。岩付を奪われては、わしらも困る。そうですな、父上?」
 氏政が氏康に顔を向ける。
「うむ、その通りだ。急ぎ、岩付に戻られよ。後のことは何も心配せずともよい。万が一、苦戦するようなら、後詰めする故、遠慮なく、われらを頼られよ」
「ありがたきお言葉にございます」
 氏資は深く頭を垂れ、二人の前を辞する。
「大丈夫でしょうか?」
「どうかな」
 氏康が首を捻る。
「加勢はいらぬと言いましたが、やはり、いくらか兵を出すべきではないでしょうか。岩付が奪われれば取り返しがつきませぬ。何なら、わたしが......」
「そう慌てるな。岩付城は簡単には落ちぬ。落ちるとすれば、城の中に手引きする者がいたときだろう」
「そうだとすれば、尚更、われらが加勢を......」
「あれは、よい男だ。信用できる。だが、岩付城にいるのが遠山や富永であれば、わしらはもっと安心できる。違うか?」
「それは、どういう......」
 氏政が怪訝な顔になる。
「太田が勝てば、それでよし。負ければ、わしらが三楽斎を討ち、岩付を太田から取り上げる。そういうことだ」
「......」
 氏政は氏資に加勢すればいいだろうと単純に考えたが、氏康の思考は、それほど単純ではない。
 場合によっては、武蔵における重要拠点である岩付を太田氏から取り上げ、北条氏の直轄領にしてしまおうという考えなのだ。
 氏資が勝てば、これまで通り、忠義を尽くさせればいいし、氏資が敗れて資正に城を奪われるようであれば、北条軍が岩付に押し寄せ、資正から城を奪い取る。たとえ氏資が生きていても、敗北の責任を取らせて城を取り上げる。戦死すれば、まだ後継ぎがいないから、氏政の子を氏資の養子という形にして岩付に送り込む。氏資が勝っても負けても北条氏にとって損はないという、うまい話なのである。
「なるほど......」
 氏政は大きくうなずきながら、
(太田の話を聞きながら、父上は頭の中でこんなことを考えていたのか)
 という驚きを隠すことができない。
 氏康の方では、
(何と、人のいいことよ)
 と違った意味で驚いている。
 どんな場合でも、それが北条氏にとって得になるかどうか、有利になるかどうか、そういう視点で方針を決めるべきなのに、氏政はそうではない。目先のことしか考えていないから、喜んで氏資に加勢しようとする。
 だが、氏資は北条の家臣ではない。
 いつ裏切るかわからない。
 現に資正がそうではないか。
 氏康に忠誠を誓い、長きにわたって北条氏に仕えながら、長尾景虎が関東にやって来ると、あっさり裏切った。氏資とて、周囲の状況が変われば、資正のように裏切るかもしれない。
 しかし、譜代の家臣である遠山や富永が北条氏を裏切ることはない。絆の強さが違うのだ。
 それ故、北条氏にとっては、たとえ氏資が信義に篤い男であろうと、氏資より遠山や富永に岩付を預ける方がいい。
 だからといって、氏康も、力尽くで岩付を奪おうというのではない。氏資が勝てばそれでよし、負けたときに、一気に動こうという算段なのである。
 だが、すぐさま氏政が氏資に加勢すれば、氏資が負けることはなくなる。それでは岩付を手に入れる好機をみすみす逃すことになってしまう。
 だから、氏康は、およそ深謀遠慮とはほど遠い、氏政の単純な思考回路に呆れながら、そう慌てるな、と釘を刺した。

北条氏康 巨星墜落篇

画・森美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱、そして一族の悲願・関東制覇を期する氏康――氏政に家督を譲ったものの、長尾景虎の猛攻に氏康は気の休まる時がない。危うい局面を武田信玄との同盟で凌いできたが、西から新たな危難が迫る……北条三代目の物語もいよいよ大団円!

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。

「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。



〈北条サーガTHE WEB〉

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