北条氏康 巨星墜落篇第四十七回
信玄が重臣たちに胸中を明かさないように、信長も誰にも本心を明かそうとしない。
その信長の本心を、援軍が到着したとき、家康は思い知らされた。少なくとも一万、できれば二万の援軍を期待していた。信長自身が出馬してくれぬものか、という淡い願いすら抱いていた。
が......。
到着したのは三千に過ぎない。
「嘘だろう......」
家康は愕然とした。
しかも、その三千を率いてきたのは佐久間信盛、平手汎秀(ひろひで)、滝川一益、水野信元という織田家では格落ちの武将たちであり、柴田勝家、明智光秀、羽柴秀吉ら、織田軍の中核をなす武将ではない。
柴田勝家や明智光秀であれば、それぞれ子飼いの軍団を持っているから、一万を超える大軍を率いて来援したはずである。
それにしても、三千は少ない。
佐久間信盛は格落ちとはいえ、古くから信長に仕えている重臣だし、平手汎秀は織田家の家老を務める家柄だ。滝川一益もめきめき頭角を現している重臣だし、水野信元は三河で大きな勢力を持つ豪族だ。この四人にも二千や三千の動員力はあるから、四人が力を合わせれば、一万以上の兵力を結集することは可能であった。
にもかかわらず、四人合わせて、わずか三千というのは、彼らが擁する兵力のほとんどを温存したということであろう。
つまり、信長は家康が負けると予想し、美濃・尾張での武田軍との決戦を想定して、援軍をケチったのだ。
「われらを馬鹿にしている」
血の気の多い本多忠勝などは、顔を真っ赤にして怒った。
「織田の上様は、本気でわれらを助けるつもりがないのであろうよ」
酒井忠次も顔を顰(しか)めて吐き捨てる。
「口を慎め。今、都は四方から包囲されている。上様も動くに動けぬのだ。そんな中から三千もの兵をわれらに馳走してくれた。ありがたく思わねばならぬ」
家康は、二人を叱った。
「殿、それは本心でございますか?」
驚き顔で、酒井忠次が訊く。
「言うまでもない。わしの本心だ」
家康は、そう言い切り、二度と不満めいたことを口にしてはならぬぞ、と二人を戒めた。
「殿がそう言うのであれば従いましょうぞ」
二人は不満顔で出て行く。
一人になると、途端に、家康の顔は暗くなる。
信長に騙された、とまでは思わなかったであろうが、
(話が違う)
と臍(ほぞ)を噛むくらいのことはしたに違いない。
敵は、戦国時代最強と言われる武田軍である。
その数は二万七千。
家康の兵力は八千に過ぎない。
武田軍の強さを考えれば、信長が三万の兵を率いてきて、ようやく互角に戦えるかどうか、というのが家康の本音である。
いや、本音を言えば、三万でも心許ない。
織田軍が弱いのは周知の事実なのである。
姉川の戦いでは、織田・徳川の連合軍が二万五千、対する浅井・朝倉の連合軍は一万四千だった。
その内訳は織田軍が二万、徳川軍が五千、浅井軍と朝倉軍は七千ずつ。
普通ならば楽勝だろうが、そうはならなかった。
大苦戦した。
原因は織田軍の弱さである。
浅井軍と対峙した織田軍は三倍もの兵力差があったにもかかわらず、次々と構えを突破され、ついには信長の本陣にまで迫られた。信長の危険を察知した家康が、配下の旗本を送って浅井軍の脇腹を攻めたおかげで浅井軍は大混乱に陥り、信長は九死に一生を得た。
もちろん、浅井軍も強かったが、織田軍が弱すぎたのも事実である。
常識的に考えれば、武田軍は浅井軍よりも、はるかに強い。とすれば、織田軍が二万七千の武田軍と互角に戦うには、九万でも心許なく、恐らく、織田軍だけであれば負けるであろう。それほどまでに武田軍は強く、織田軍は弱いのだ。
家康がそれほど深刻に武田軍の脅威を受け止めているにもかかわらず、援軍はわずか三千である。
徳川軍と合わせても一万一千で、武田軍の半分以下である。
(勝てるはずがない)
家康の顔が暗くなるのも無理はない。
戦わないのであれば、籠城することになる。
誰にでもわかる道理である。
が、この道理が軍議では通用しなかった。
援軍が到着した直後、すぐさま大広間で軍議が開かれた。
家康は、まず援軍の到着について謝意を述べた。その慇懃すぎるほどのへりくだった態度に居並ぶ重臣たちが驚いたのは、
(佐久間や平手如きに、ここまで頭を下げなくても......)
という思いがあるせいだし、わずか三千の援軍に対する不満もあるからだ。
佐久間信盛や平手汎秀に頭を下げているのではなく、この場にいない、遙か遠くにいる信長に頭を下げているということが重臣たちにはわからない。
佐久間信盛は、家康の丁寧すぎる謝意に恐縮することもなく、
「上様は、徳川殿の戦いぶりに注目しておられます。徳川軍の強さは世に広く知られておりますから、いかにして武田を苦しめるか、よくよく見せてもらうがよい、とわれらにおっしゃいました」
のう、そうでありましたな、と横に並ぶ平手汎秀、水野信元、滝川一益に問うと、
「さよう、さよう」
三人は大きくうなずく。
「さて、どのように戦うつもりかお聞かせ願いたい」
佐久間信盛が家康をじっと見る。
「......」
ごくりと生唾を飲み込み、家康が黙り込む。
策は決まっている。
籠城以外にないではないか。
しかし、それを口に出すことができなくなった。
信長が家康の戦いぶりに注目しているという。
戦いぶりを見てくるように、佐久間信盛らは言われたのだという。
(わしを見張りに来たのか)
武田軍は徳川軍を打倒すれば、一路、尾張か美濃に向かうであろう。そこには信長が待ち構えている。
信長とすれば、たとえ勝つことができなくても、家康が武田軍の戦力を削いでくれれば、自分が戦うときに有利になる、という計算があるのであろう。
家康が籠城すれば、信長は無傷の武田軍と戦う羽目になる。そんなことは許さぬ、しっかり戦え、一人でも二人でも武田兵を倒すのだ......そんな信長の声が家康には聞こえる気がする。
佐久間信盛らの援軍が、なぜ、わずか三千なのか、家康には不可解だったが、家康の戦いぶりを監視するのが役割だとすれば納得できる。
(籠城などできぬ)
軍議の前、すでに家康の腹は籠城で決まっていたし、重臣たちも、そのつもりでいた。
佐久間信盛の言葉がすべてを変えた。
「徳川殿」
「いや、それは......」
家康が口籠もる。
籠城するつもりで腹を括っていたから、突然、どう戦うつもりか、と問われても、すぐには言葉が出てこない。
本多忠勝が、
「武田は二俣城の近くから動かぬのでござる。なぜ、動かぬのかわかりませぬが、動かぬのでは戦うこともできず、策を立てることもできませぬ......」
と、家康に代わって、口を開く。
「ふうむ、さようか。それも、そうですな」
佐久間信盛がうなずく。
援軍に駆けつけた織田の三将にしても、何か腹案があるわけではないから、武田軍の動きを見てから策を立てるという本多忠勝の言葉に納得した。
それから七日ほど後、二俣城近くの武田軍を見張っていた徳川の忍びが何人か浜松城に戻り、
「明日、武田軍は陣を払って西に進むようだ」
と知らせた。
すでに命令が発せられ、兵たちは慌ただしく出立の支度を始めており、先鋒の一部は進軍しているという。
その情報を元に、また軍議が開かれた。
徳川の重臣たちは、口を揃えて、
「籠城しかありますまい」
と主張する。
ごく常識的な判断である。徳川随一の猛将と言われる本多忠勝ですら、籠城やむなし、と納得した。
それだけではなく、佐久間信盛ら織田の武将たちも、
「そうですな。二万七千もの大軍をまともに相手にする必要はない」
と籠城策に賛意を示した。信長から命じられたのは家康の戦いぶりをよく見てこいということで、籠城を禁じられたわけではないし、何が何でも出撃して武田と戦えと命じられたわけでもないから、実際に武田の大軍が動き出したことを知って弱気になったのであろう。
ここで家康がうなずけば、すんなり籠城でまとまり、もしかすると、家康は歴史の片隅に追いやられ、後に天下人になることはなかったかもしれない。
信長という太陽の陰に隠れる地味で平凡な月のような目立たない存在だった家康が、この場で、凄まじい輝きを放った。家康の人生を左右する重要な岐路となる一瞬だったと言っていい。
「出撃する」
何と、家康は、武田軍との決戦を主張したのである。特に興奮する様子もなく、落ち着いた表情で、その顔を見れば、よほど熟慮を重ねた上で出した結論だとわかりそうなものだが、その場にいる徳川の重臣たちにはわからなかった。家康が虚勢を張っている、織田の重臣たちの前で強がっている、と判断した。
重臣たちは口々に家康を翻意させようと努め、佐久間信盛ですら、
「徳川殿のお気持ちは察するが」
と、家康を宥(なだ)めようとする。
家臣という立場でありながら、家康と自分に大した違いはないという尊大さを隠そうともしない酒井忠次などは、
「何も、この場でそのような......」
そのような見栄を張らずとも、と言いたかったが、さすがに最後までは口にしなかった。
だが、家康にはわかった。
「わしは腰抜けではない。目の前でわが城下を荒らされるのを指をくわえて見ているつもりはない」
激怒して、声を荒らげた。
その剣幕に、酒井忠次は口を閉ざした。
結論が出ないまま、軍議は終わった。
家康一人が出撃を主張し、それ以外の者すべてが籠城策を支持するという奇妙な軍議だった。
家康とて馬鹿ではない。籠城するのが妥当だとわかっている。戦えば負けるであろう。
だが、信長の思惑を斟酌すれば、どうしても籠城策にうなずくことができなかった。
信長は、たとえ勝てなくても、家康が武田軍にいくらかでも損害を与えることを望んでいるに違いない。籠城したのでは、それができない。
家康にとっては、目の前にいる武田信玄より、遠くにいる織田信長の方が恐ろしいということなのであろう。
それが声高に出撃を主張した最大の理由だが、それだけではない。目の前で浜松の城下を焼き払われることに我慢ならないというのも本音なのである。
その点に、家康は、単なる信長の御用聞きではなく、英雄の資質を秘めた原石であることが窺えるであろう。
その夜、家康は眠ることができなかった。
悶々として、絶え間なく寝返りを打ちながら夜明けを迎えた。運命の日である。
Synopsisあらすじ
一代にして伊豆・相模を領した祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱、そして一族の悲願・関東制覇を期する氏康――氏政に家督を譲ったものの、長尾景虎の猛攻に氏康は気の休まる時がない。危うい局面を武田信玄との同盟で凌いできたが、西から新たな危難が迫る……北条三代目の物語もいよいよ大団円!
Profile著者紹介
1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。
「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。
〈北条サーガTHE WEB〉
http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/
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