北条氏康 巨星墜落篇第二十九回
七
十二日の昼過ぎ、薩埵峠の方から風に乗って喊声が聞こえてきた。その喊声は氏真の耳にも届いた。
「あれは何の声であろう?」
「お味方の勝(か)ち鬨(どき)ではないでしょうか」
「そうか。もう勝ったか。戦とは、案外、簡単なものよのう」
氏真が機嫌良くうなずく。
「お支度をなさった方がよろしいと存じますが」
「うむ、そうか」
戦をするためではない。凱旋する味方を迎えるためである。まさか本陣にいる総大将が普段着で出迎えるわけにはいかない。鎧と具足くらいは着用する必要がある。
身支度を調えて、氏真が寺の外に出ると、何やら騒がしい。
「何を騒いでいるのか?」
「は」
小姓が地面に膝をつき、武田軍が迫っております、と答える。
「......」
一瞬、氏真には意味がわからなかった。
武田軍を破って凱旋する味方を迎えようと出てきたのに、武田軍が迫っているとは、どういうことなのか?
何かの間違いであろう、と怪訝な顔で、
「庵原は、どうした? 岡部や小倉は?」
「敗れた由にございまする」
「何?」
氏真の顔色が変わる。
戦の直後で、本陣にいる者たちには、戦いの詳細が伝わっていなかった。
薩埵峠の北にいた庵原安房守、新野式部少輔が率いる一千五百は一戦して敗れ、薩埵峠の味方の元に逃げた。それを武田軍が追走した。
ここまでは氏真の予想通りである。
だが、ここからが筋書きとは違う。
薩埵峠にいた七千の今川軍は、武田軍が接近すると、戦わずして峠を南に下った。
指揮を執る岡部忠兵衛と小倉内蔵助の寝返りである。
おかげで、武田軍は易々と薩埵峠を越えた。
武田軍が迫っているというのは、つまり、薩埵峠を越えた武田軍の先鋒が清見寺の本陣を目指して突き進んでくるという意味であった。
岡部や小倉の裏切りを、まだ氏真は知らないから、わずかばかりの武田兵が峠を越えたのだな、と判断した。まさか、武田の全軍が峠を越えるとは夢にも思っていない。
そこに庵原安房守が馬を走らせて前線から戻って来て、
「殿、裏切りでございますぞ」
と、岡部や小倉が武田に寝返り、そのために武田軍が無傷で薩埵峠を越えたことを知らせた。
「何だと?」
さすがに氏真の顔色が変わる。
そこに新たな知らせが次々と届く。
葛山(かつらやま)備中守氏元、瀬名陸奥守、瀬名中務少輔信真(のぶざね)、朝比奈兵衛大夫、三浦与一といった重臣たちが陣を払って駿府方面に引き揚げ始めたというのだ。
またもや裏切りである。
信玄の調略の手は、今川の中枢にまで伸びていたのである。これを手始めとして、陣払いする者たちが続出して収集がつかなくなった。
すべてが裏切りというわけではなく、周りの者たちが陣払いするのを見て、
(もたもたしていると、わしだけが置き去りにされてしまう)
という恐怖心が連鎖反応を起こし、誰に頼まれたわけでも命じられたわけでもないのに、一緒になって引き揚げたのである。
氏真が呆然としているうちに、清見寺の本陣ですら人影がまばらになり、数えてみると、わずか七、八十人の小姓と旗本しか残っていない。嘘のような話だが、ついさっきまで周辺にいたはずの二万以上の軍勢が雲散霧消してしまったのである。
信玄の政治力の凄味と言ってしまえばそれまでだが、それだけではあるまい。氏真の人望のなさが如実に表れたということだ。
「間もなく武田兵がやって来ますぞ」
「どうすればいい?」
「ひとまず、府中の御館に戻りなさいませ」
「そうしよう」
庵原安房守の忠告に従い、氏真は馬に跨がって清見寺を後にする。
氏真自身は戦をしていないのに、歴史に残るほどの無様な大敗を喫したことになる。
翌日、氏政は事の顛末を知ることになるが、
「信じられぬ......」
と、つぶやいて、しばし呆然としたという。
八
三万四千という大軍を擁しながら、氏真は薩埵峠の合戦で敗れた、と古記にある。
合戦と言っても、氏真は何もしていない。囮として配置された庵原安房守の軍勢が小競り合いをした程度で、その後は一方的に今川軍が逃げた。事前に信玄の調略の手が伸び、今川の重臣たちが寝返りを約束していたせいである。
清見寺の本陣に最後まで残ったのは、わずか七、八十人の小姓と旗本で、すなわち、氏真を主として認めていたのはそれだけで、それ以外の三万数千の者たちは、氏真を屁とも思っていなかったということであろう。
敵と滞陣しながら、その軍勢のほとんどすべてが主を置き去りにして勝手に陣払いしてしまい、その結果、戦に敗れるというのは、そうあることではないし、この薩埵峠の合戦における氏真ほどみじめな立場に置かれた武将はいない。
歴史上、関ヶ原の戦いがいくらか似ている。
関ヶ原では、兵力だけを見れば、西軍が上回っていた。
しかし、東軍の徳川家康が事前に入念に調略を施した結果、戦いが始まると裏切りと日和見が続出し、西軍は敗れた。それでも、盟主である石田三成を始め、宇喜多秀家や大谷吉継など一部の武将が必死に戦い、一度は家康の本陣に迫るほどの見せ場を作った。
薩埵峠の合戦には、それがない。見せ場など、ひとつもなかった。
調略を施した信玄自身、
(今川は、ここまで腐っていたのか)
と驚いたに違いない。
何人もの重臣たちが寝返りを約束していたとはいえ、三万四千もの大軍がいれば、その半分くらいは氏真の元に残るだろうし、そうなれば、薩埵峠の南で合戦になる、と予想した。武田が勝つという自信はあるものの、戦では何が起こるかわからないこともわかっているから、少しも油断していなかった。
だからこそ、薩埵峠を下って平地に出るとき、武田軍の先鋒を山県(やまがた)昌景や馬場信春といった歴戦の猛将に任せた。不測の事態に備えたのである。
そんな用心は必要なかった。
武田軍を迎え撃つべく待ち構えているはずの今川軍の姿はどこにもなく、武田軍は無人の荒野を南に進むことができた。
清見寺の本陣のそばに来て、ようやく、山県昌景と馬場信春はいくらか警戒した。清見寺に今川の旗が翻っていたからである。とすれば、そこに氏真がいるはずだし、総大将がいるのであれば、どこかに軍勢も潜んでいるであろう。
二人は周辺を綿密に調べた。
しかし、どこにも今川軍はいない。
やがて、寺から何人かの僧侶が現れ、
「寺を攻めないでほしい」
と懇願した。
「今川殿は、どうなされた?」
山県昌景が訊くと、とっくに退去した、という。
「嘘だろう」
山県昌景と馬場信春が顔を見合わせる。退去するのなら、いくら何でも旗を忘れていくはずがない。敵に旗を奪われるのは、この上ない恥辱なのである。
首を捻りながら、二人が清見寺に入ると、なるほど、もぬけの殻である。旗だけでなく、幔幕も巡らされたままだし、氏真が使っていた床几まで残されている。
「何という腑抜けなのだ。今川殿には武将としての意地がないのか」
山県昌景が呆れたように溜息をつきながら床几に坐る。
「そもそも武将ではないのであろうよ」
馬場信春が笑う。
「わしが今川の軍配を握っていたら、おまえは三途の川を渡っているところだぞ」
山県昌景は人並み外れて小柄で、馬場信春より頭ひとつ分くらい背が低く、床几に坐ると、足が地面に届かない。その足をぶらぶらさせて、愉快そうに胸を張る。
「このまま府中を攻めるか?」
「御屋形さまのお指図を待たねばなるまいよ」
山県昌景が首を振る。
薩埵峠の南で今川軍との戦いが起こると信玄は予想し、その場合の指図を細々と二人に与えたが、戦わずして清見寺に達した場合にどうするかという指図はしていない。当然、府中攻めの指図もない。
「今川殿がこれほど腰抜けであれば、府中も、もぬけの殻かもしれぬぞ。ここで後続の兵を待ち、明日にでも行けばよいのではないか。その頃には、御屋形さまのお指図も届くであろう」
「ならば、そうしよう。戦をしていないとはいえ、薩埵峠を越えるのは難儀だった。疲れたぞ」
「飯を食って、少し眠ればよい。わしも寝る。目が覚める頃には、何か動きがあるかもしれぬ」
「うむ」
山県昌景と馬場信春は他愛のない無駄話をしたに過ぎないが、二人の予想は思いがけず的中した。
武田軍はまたもや戦わずして、今川氏の本拠・駿府を手に入れたのである。
この場面でも、喜劇が演じられた。
主演は氏真である。一人芝居と言っていい。
清見寺の本陣から駿府の今川館に逃げ帰った氏真は、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った兵たちを何とか呼び戻そうと試みた。武田軍が迫っているというのに、氏真の周りには、二百人くらいの兵しかいないのだ。心細くて仕方がない。
やがて、呼びかけに応じて兵が集まってきて、その数が三千を超えた。半日前には三万四千の兵を動かすことができたことを思えば、三千というのは悲しすぎるほど少ないが、とりあえず、氏真は安心した。それに兵は増え続けているから、うまくいけば武田軍が来ないうちに一万人くらいにはなりそうな見通しがある。
深夜、今川館で眠っていた氏真が跳び起きた。
(また裏切られるかもしれぬ......)
葛山備中守、瀬名陸奥守、朝比奈兵衛大夫らは明確な裏切り者で、だから、氏真の呼びかけにも応じていない。
しかしながら、清見寺周辺から陣払いして消えたのは、彼らだけではない。他にもたくさんいる。誰が裏切り者なのか、正確なことは何もわからないということである。何食わぬ顔で裏切り者が今川館にいて、武田軍が現れたら、いきなり自分に刃を向けるかもしれぬ......そんなことを想像すると、落ち着いて寝ていられなくなった。もはや疑心暗鬼である。誰を信じていいかわからない。
氏真は今川館を捨てることにした。
まだ夜が明けないうちに、家族と側近だけを連れ、呼び集めた兵たちを置き去りにして、こっそり今川館を出た。
ろくな支度もできず、あまりに慌ただしく出発したので、馬も輿も用意することができなかった。かろうじて氏真だけは馬に乗ったが、家族は徒歩である。
氏真の妻は氏康の娘、氏政の妹である。
その妻が徒歩で今川館から懸河(かけがわ)城まで逃げたことを後に氏康が知り、
この恥辱、そそぎ難し
と激怒している。
この頃から、武田信玄に対する氏康の怒りは際限がなくなり、時として、
「父上、心を鎮めてはいかがでございますか」
と、氏政が宥めなければならないほどだった。
氏政とて強い怒りを感じてはいるものの、その怒りは信玄の政治的な裏切りに対するものであり、感情論ではない。
妹が徒歩で逃げたことも、
(つくづく、だらしのない夫を持ったことよ)
と、氏真の腰抜けぶりに腹立たしさを感じたに過ぎないが、氏康は、そうではない。氏真の愚昧さは誰もが知るところであり、そこにつけ込むのは卑怯なやり方である。しかも、氏真の妻がわが娘であることを承知で無体なことをするのは、今川だけでなく、北条をも侮っているのだ、という理屈になる。
氏康が感情的に怒りを爆発させるのを氏政が宥める......こういう構図は、これまでになかった。血気盛んな氏政を、氏康が冷静にたしなめるというのが当たり前だったのである。
この立場の逆転を、氏政の成長とみるか、それとも、氏康の衰えとみるか、その判断が難しいところである。
Synopsisあらすじ
一代にして伊豆・相模を領した祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱、そして一族の悲願・関東制覇を期する氏康――氏政に家督を譲ったものの、長尾景虎の猛攻に氏康は気の休まる時がない。危うい局面を武田信玄との同盟で凌いできたが、西から新たな危難が迫る……北条三代目の物語もいよいよ大団円!
Profile著者紹介
1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。
「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。
〈北条サーガTHE WEB〉
http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/
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