北条氏康 巨星墜落篇第三十六回

 川中島を制した信玄は西上野に目を向けた。五年がかりで箕輪城を落とし、西上野に楔(くさび)を打ち込むと、駿河に矛先を転じた。
 桶狭間で今川義元が敗死してから、今川氏は衰えており、駿河を制するのはたやすい。厄介なのは、今川氏の後ろ盾となっている北条氏である。
 北条氏康・氏政父子は、
「今川にだけは手を出さぬように」
 と何度となく釘を刺した。
 だが、信玄にも簡単には退けぬ事情がある。
 駿河には、信玄が喉から手が出るほどほしいものがある。港である。武田の領土には海に面した土地がなく、従って、港もない。海運を利用できないと、貿易で大きな制約を受けてしまう。
 駿河を望むのは信玄の領土欲ではなく、甲斐の経済的な事情が大きいのだ。
 永禄十一年(一五六八)暮れ、ついに信玄は駿河に侵攻した。怒った北条氏は越後の長尾景虎と同盟し、今川氏救援のために四万五千という大軍を発した。薩埵(さった)峠を挟んで両軍が対峙したが、長尾景虎が甲斐に攻め込む動きを見せたため、信玄は駿河から兵を退いて帰国した。
 しかし、夏になると、またもや駿河に攻め込んだ。それだけではなく、一気に北条氏も叩くべく、西上野から武蔵にも攻め込み、ついに十月には北条氏の本拠・小田原城を包囲した。武田軍は二万ほどで、小田原城を攻め落とすのは最初から無理な話だったのだが、信玄とすれば、
「わしに刃向かうと、次は本当に攻め落とすぞ」
 という恫喝の意味合いが濃かった。
 だからこそ、わずか三日で包囲を解き、甲斐に帰国することを決めた。
 昌幸は、川中島の初陣以来、常に信玄のそば近くに侍し、侍大将として戦いながら、信玄の相談にも与(あずか)るという立場であった。この前年、甲斐の名家・武藤家を継ぎ、武藤喜兵衛と名乗りを変えている。
「殿、ここまで攻めながら、なぜ、こうも簡単に兵を退くのですか」
 昌幸が不満げに疑問を口にする。
「これほどの巨城、攻めれば攻めるだけ味方に被害が出るだけだ。それに食い物がない。戦わずして干上がってしまう。兵が飢えぬうちに退かねばならぬ」
「しかし、これでは、まるで負け戦のようですぞ」
「そう思うか?」
「思います......」
 鎌倉に向かうという噂を流布して敵を油断させ、本音は三増峠を越えて甲斐に帰るというのは、正直に言えば、姑息なやり方に思えまする、われらがよほど窮しているから大慌てで甲斐に逃げ帰るのだと侮られる気がいたしまする、と遠慮なく言う。
 昌幸の物言いに腹を立てることもなく、
「その方が、そう思うくらいならば、敵もそう思うであろうよ」
 信玄が口許に笑みを浮かべる。
「え、違うのですか?」
 信玄の口振りからすると、単に安全に甲斐に帰国するために北条を欺いた、という感じではない。
「北条は、わしらを追ってくるようだ」
 武蔵や相模に放っている忍びから続々と報告が届いている。
 小田原城で開かれた重臣会議では、
「武田を追うべし」
 という意見が沸騰し、氏政と氏康も賛同したので、武田軍が鎌倉に入った頃合いを見計らって、玉縄城に集結している二万と、氏政が小田原から率いてくる二万、合わせて四万の兵で鎌倉を包囲するつもりだという。
「悪い策ではない。そう思わぬか?」
「はい。そんなことになったら、われらは万事休すでしょう。正面に四万の北条軍、背後は海、どうにもなりませぬ。戦えば負けるでしょうし、持久戦になったら立ち枯れるだけです」
「わしらが鎌倉行きをやめたことで、まあ、最初からそのつもりはなかったが、北条の者たちは肩透かしを食った格好であろう。それでは、奴らは収まらぬ。今まで籠城ばかりして我慢に我慢を重ねてきたのだ。このまま指をくわえて、わしらが甲斐に帰るのを許すはずがない」
「後を追ってくると?」
「そう決めたらしい」
 信玄がうなずく。
「玉縄と小田原の軍勢が合流してから追うのでは、とても間に合わぬ。おまえなら、どうする?」
「武田を追うと決めたものの、合流してからでは間に合わぬとすれば......。まずは近くにいる玉縄の軍勢に後を追わせて武田を足止めし、時間稼ぎをして小田原勢の到着を待つ。そんなところでしょうか」
「わしも、そう思う。それも悪い策ではない。玉縄勢の数が少なければ危ないが、向こうも二万だし、わしらも二万だ。互角なのだから、それほど無茶ではない。氏政の弟たちの力量はわからぬが、玉縄には地黄八幡(綱成)がいる。あの男がいれば、下手な戦はするまいと安心できる」
「どうなさるのですか?」
「もう一度、訊こう。おまえなら、どうする?」
「玉縄勢が追ってくるのをどこかで待ち伏せし、小田原勢が着く前に叩いてしまうのがよさそうです。戦いが長引いて、小田原勢とも戦う羽目になると厄介ですが」
「このまま甲斐に戻るという手もあるぞ」
「われらと玉縄勢の数は互角、向こうに地黄八幡がいるとはいえ、考えようによっては、手強いのは地黄八幡だけです。そうやりにくい戦だとは思えませぬ。このまま甲斐に戻ったのでは、何のために武蔵や相模に出てきたのかわかりませぬ。まともな戦を一度もしていないのですから。一度は北条を叩き、武田の強さを知らしめることは、先々、必ずや、われらの役に立つと思いまする」
「そうか」
 信玄が大きくうなずく。
「間違っておりましょうか?」
「いや、わしも同じことを考えていた。このまま甲斐に帰るのでは面白くないからのう。玉縄勢と手合わせするとしよう。氏政の弟たちの首を取ることができれば、いい手土産になるであろうよ」
 信玄の命令で武田軍は進軍速度を落とした。
 それまでの速さで進めば、北条軍を振り払って甲斐に戻ることができるが、昌幸に話したように、信玄にそのつもりはないのだ。
 北条軍の動きを確かめながら、ゆるゆると進んだ。誘いをかけたわけである。
 その間も、絶え間なく忍びから報告が届く。
 武田軍を猛追している玉縄勢は二万、これは当初の報告通りで、氏邦、氏照、綱成が率いている。
 すでに氏政も小田原を出陣しているが、率いているのは一万だという。二万の兵を率いる予定だったが、兵を集めるのに手間取ったのか、予定の半分の兵で取り急ぎ小田原を後にしたらしい。
 一度は三増峠を越えたものの、北条軍の動きを知った信玄は、五日の夜、密かに三増峠に戻り、北条軍を迎え撃つ体勢を整えた。
 前軍が馬場信春の五千、中軍が勝頼の五千、後軍が信玄の五千である。昌幸も信玄のそばにいる。
 遊軍として、山県昌景に五千の兵を預け、志田峠を迂回して北条軍の背後に回るように指示した。
 この役割が最も重要で、この戦に勝てるかどうかは昌景の働き次第と言っていい。
 十月六日、まだ暗いうちに、信玄は昌幸をそばに呼び、最前線にいる馬場信春のところに行くように命じた。
「え」
 昌幸の顔色が変わる。ずっと信玄のそばにいるつもりだったのだ。
「検使だ」
「他の者に......」
「この戦で大切なことは何だ?」
「それは......」
 できるだけ敵をそば近くに誘い込むことでございます、と昌幸が答える。
「うむ」
 信玄がうなずく。双方離れて、遠くから矢や鉄砲を撃ち合うような悠長な戦をしていたのでは、山県昌景が敵の背後を襲ったとき、その効果が薄い。双方入り乱れての大激戦の最中に不意を衝くことが肝心なのだ。
「馬場は思慮深いが、だからこそ、じっくり腰を構えすぎて戦を長引かせてしまうやもしれぬ。逆に四郎は気が短すぎて、こちらから戦を仕掛けて、敵を深追いしてしまうかもしれぬ。どちらも困る」
 信玄は、じっと昌幸を見て、
「できれば、その方に先鋒を任せたいのだが」
 と残念そうに言う。
 昌幸の身分では、それは不可能なので、せめて検使として馬場信春のそばにいて、信春が策を誤らぬようにしてほしい、というのだ。
「承知しました」
 それほどの大役を直々に頼まれるのは武士の誉れというべきであろう。興奮気味に頬を上気させて昌幸がうなずく。
 夜が明けた。
 馬場信春は動かない。北条軍の動きを警戒しているのだ。信玄の予想通りである。
 半刻(一時間)ほど経つと、
(これでは、まずい)
 と、昌幸は焦り出した。
「馬場さま、兵を繰り出されませい」
 何度も申し入れるが、
「待て待て」
 と、信春は首を振るばかりである。
(このままでは御屋形さまの策がうまくいかぬ)
 ついに痺れを切らした昌幸は、
「わしは真田一徳斎が三男、武藤喜兵衛である。われと思わん者は出会え、出会え」
 と叫びながら、敵陣に馬を走らせる。
 名のある武将を討ち取れば、大きな褒美を期待できる。昌幸の名乗りを聞いて、北条兵が群がり出てくる。
 昌幸は、たちまち五人の敵兵を槍で倒した。
 これが三増峠の合戦における一番槍であった。
「それ、武藤殿に遅れるな」
 武田兵も走り出る。こうなれば、もはや馬場信春も止めようはない。たちまち乱戦になる。
 これこそ信玄が望んだ展開であろう。
 一進一退の戦いが一刻(二時間)ほど続いた頃、北条軍の背後に山県昌景の五千が現れた。
 予想もしないところから現れた新手の武田軍の攻撃を北条軍は受け止めることができず、総崩れとなって敗走した。
 北条軍の死者は三千人を超え、武田軍の死者も九百人近いと古記録にある。さすがに誇張が過ぎるだろうが、死者ではなく、死者と負傷者の合計が三千人と九百人であれば、そこそこ納得できる数字であろう。大激戦といっていい。
 小田原から駆けつけた氏政の軍勢一万は荻野まで来ていた。三増峠まで一里半(約六キロ)ほどの距離である。
 合戦があと半刻(一時間)ほど長く続いていたら、武田軍は負けていただろう、信玄は運がよかったのだ、と言う者がいる。
 昌幸は、そうは思わない。信玄は北条軍の動きを正確に把握し、その上で、敵を己の懐のぎりぎりのところまで誘い込んだ。信玄の本陣にも矢が飛んできて、時には敵兵が乱入したが、信玄は床几に腰を下ろしたまま微動だにせず、戦況を見守った。
 だからこそ、勝利を手にすることができたのだ。
 信玄の教えを昌幸はしっかり学び、これが後に二度にわたる上田合戦で徳川の大軍を敗北させる道に繋がっていく。
 昌幸の軍事的才能は次男の幸村に引き継がれ、大坂の陣で徳川家康を苦しめることになる。

北条氏康 巨星墜落篇

画・森美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱、そして一族の悲願・関東制覇を期する氏康――氏政に家督を譲ったものの、長尾景虎の猛攻に氏康は気の休まる時がない。危うい局面を武田信玄との同盟で凌いできたが、西から新たな危難が迫る……北条三代目の物語もいよいよ大団円!

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。

「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。



〈北条サーガTHE WEB〉

http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/

Newest issue最新話

Backnumberバックナンバー