北条氏康 巨星墜落篇第九回

十四
 勝って兜の緒を締めよ、という格言通りに里見軍が防備を固めていれば、北条軍は万事休すだったであろう。
 里見軍にとって不幸だったのは......もっとも、それを不幸だとは当の里見軍にもわからなかったであろうが、緒戦の勝利が大きすぎたことである。あまりにも作戦が図に当たったので調子に乗った。浮かれてしまった。
 結局、戦というのは人間がやるものである以上、人間の心理に大きく左右されるのである。
 ここに至るまでの北条氏の圧力が大きく、その圧力のせいで呼吸をすることすら苦しいほど里見氏は追い詰められていた。乾坤一擲、国府台(こうのだい)城を巡る争いで、里見氏は己の命運を懸けた。しくじれば滅亡が待っている。最後の賭けだったのである。
 その賭けに勝った。
 予想以上の大勝利を得た。
 喜ぶな、というのが無理であろう。
 大いに浮かれた。飲めや歌えの大騒ぎである。
 当然ながら、見張りは手薄になる。
 これだけの大勝利を得たということは、北条軍は立ち直れないほどの惨敗を喫したということであり、慌てふためいて混乱に陥っており、すぐには態勢を立て直すのは無理だろうと考えた。
 その読みが甘かった。
 少なくとも綱成は、この大敗にまったく動じず、むしろ、この敗北をいかに生かすべきかと考えた。
 そして、里見軍の気の緩みを見透かして、氏康に深夜の行軍を進言した。夜のうちに太日(ふとい)川を渡って、二万の大軍で国府台城を包囲しようというのだ。
 普通ならば、それほどの大軍の移動が気付かれないはずがない。
 里見軍がいつも通りに偵察兵を放って北条軍の動きに目を光らせていれば、
(夜のうちに川を渡るつもりだな)
 と、里見義弘は察したであろうし、そうとわかれば、川沿いに兵を隠して、北条軍が川を渡るのを待ち伏せしたであろう。
 どれほどの大軍であっても、川を渡るときは脆い。
 敵の攻撃を受けても、川の中にいたのでは反撃しようがないのだ。それ故、川を渡るときは、念入りに敵の動きを探り、石橋を叩いて渡るほどの慎重さで、こっそり渡河するものである。
 逆に言えば、攻める側としては、これほど楽な戦はない。敵の反撃を警戒することなく、ひたすら矢の雨を降らせ続け、近くにいる敵を鉄砲で狙い撃ちするだけでいいのだ。
 どれほどの名将であろうと、軍勢が渡河しているところを不意打ちされたら、ひとたまりもない。
 この時代、誰よりも戦が強く、負け戦をほとんど経験したことのない長尾景虎ですら、そうなのだ。
 九年前、いわゆる第二次川中島の戦いで、犀(さい)川を渡っているところを武田軍の鉄砲隊に狙い撃ちされて、長尾軍は大敗を喫している。
 それほど危険な渡河作戦を、しかも、暗闇の中で氏康は敢行しようとしている。危険性を十分すぎるほど認識しながらも、劣勢を挽回するには、他に方法がないと腹を括ったのだ。
 氏康は時間をかけることができない。この戦場にいない長尾景虎の影が氏康に対する大きな圧力になっている。緒戦の敗北に弱気になり、じっくり戦闘態勢を立て直そうとすれば、上野から景虎が南下する怖れがある。それを許せば、北条軍は長尾軍と里見軍に挟み撃ちにされて絶体絶命になる。武田信玄が景虎を牽制して南下を防いでくれているうちに、里見軍との戦いに決着を付ける必要がある。
 だからこそ、危険な深夜の渡河作戦を選んだ。
 北条軍がじりじりと太日川を渡りつつある頃、里見義弘は国府台城で宴を開き、戦勝を祝っていた。
 義弘にとっては、一生の不覚であったろう。
 忘れてならないのは、この場には太田資正(すけまさ)もいたことである。
 資正ほどの男が、ただ一度の戦で勝利したくらいで、しかも、氏康と氏政の率いる北条軍の本隊は無傷で残っているのに、他の者たちと一緒になって浮かれ騒ぐとは信じがたい。
 皆が祝い酒に酔いしれているときも、資正一人は北条軍の動きに目を光らせていたのではないか、と考えたいところである。
 だが、そうはならなかった。
 かと言って、資正の気が緩んでいたと責めるのは酷である。
 岩付から出陣する際、兵糧を巡るごたごたが生じたせいで、資正は思うような数の兵を率いることができなかった。北条氏から寝返った太田康資(やすすけ)も事情は同じで、資正と康資の兵の少なさは里見義弘の期待を裏切り、大いに失望させた。
 それが資正の肩身の狭さとなり、居心地の悪さにもなっている。長尾景虎がやって来れば事情も変わるであろうが、それまでは作戦に口出しもできず、おとなしく義弘の指図に従うしかない......そんな肩身の狭い立場に置かれていた。
 北条軍の強さを誰よりも熟知している資正とすれば、
(今は浮かれているときではない。氏康と氏政の首を奪ってから浮かれるがよい)
 と叫びたい気持ちだったであろうが、黙って口をつぐんでいることしかできなかった。
 この沈黙を、後々、資正は大いに悔やむことになる。

十五
 深夜、氏康の率いる一万、氏政の率いる一万が葛西城を出る。
 氏康は、からめきの瀬を目指す。
 すなわち、前日、先鋒を任された遠山綱景(つなかげ)と富永直勝が進んだのと同じ道を選んだのである。
 昨日の戦いでは、名のある武将が何人も撃たれ、北条軍は総崩れとなった。第二陣に控えているのが戦上手の綱成でなかったならば、傷口はもっと大きくなっていたであろう。
 北条側の誰にとっても思い出したくもない敗北であったろうが、その敗北で得たものもある。
 昨日は、太日川を渡ってから、その先の地理に不案内だったが、今日は、そうではない。遠目には緩やかな傾斜の丘としか見えないが、途中、いくつもの窪地があるとわかっている。隠密行軍だから、松明で足許を照らして進むわけにはいかない。かろうじて前を進む者の背中が判別できる程度の月明かりの下を、のろのろと進むのである。楽な行軍ではないが、それでも地形に関する予備知識があるおかげで、予定通りに進むことができたし、敵に見付かることもなかった。
 丘を上りきると、氏康は安堵の吐息を洩らす。
 ここまで無事に到達できるかどうか、ある意味、それが最大の難事だと氏康にはわかっていた。
 前日の戦いでは、里見軍二千が北条軍の先鋒を誘い込み、まんまと誘いに乗った遠山綱景と富永直勝が丘の窪地で立ち往生するや、隠れていた里見軍三千が合流し、五千という大軍で二千の北条軍を大混乱に陥れた。
 そんな大きな戦いがあったことが嘘のように、氏康の周囲は静まり返っている。
 戦いの後、里見義弘は五千の兵を国府台城に呼び戻した。戦勝の祝いをするためでもあったが、それだけではない。
 里見義弘は、北条軍が態勢を立て直すのに時間がかかると判断し、翌朝、夜が明けたならば、全軍が一丸となって葛西城に攻め寄せようと考えた。そのために分散させていた兵を国府台城に呼び集めたのである。
 葛西城を攻め落とすことまでは考えていない。不意を衝いて一撃を与えたら、すぐに引き揚げるつもりだった。それによって北条軍は、ますます萎縮して身動きが取れなくなるであろう。それが狙いなのである。時間稼ぎをしていれば、そのうちに長尾景虎がやって来ると期待しているからだ。
 悪い作戦ではない。
 敗戦に意気消沈して、北条軍が葛西城周辺に留まっていれば、里見義弘の作戦は大成功を収めたかもしれない。
 里見義弘は夜明けと共に出陣するつもりでいたが、氏康は、その数時間前にからめきの瀬を渡った。
 この時間差が双方の明暗を分けた。
 氏政の一万は、国府台城のかなり南側、太日川と真間(まま)川の合流地点の更に南で太日川を渡河し、そこから真間川を渡って真間の台地を目指す。
 真間の台地は森になっており、その名残は現在でも残っている。
 真間川の川縁から台地までは湿地になって足許がぬかるんでおり、人も馬も足を取られて思うように進むことができない難所である。
 氏康にとっては、からめきの瀬を渡るときが最も危険だったが、氏政にとっては、この湿地帯を通り抜けて真間の森に達するまでが危険である。
 実際、真間の森から六社神社にかけて、昨日まで里見軍が布陣していた。里見軍がまだ残っていれば北条軍との戦いとなり、氏政は苦戦を強いられたに違いない。
 しかし、その里見軍は、もういない。
 里見義弘と共に夜明けに出陣するために国府台城に呼び戻されたからだ。
 おかげで、氏政は労せずして真間の森に達し、一万の兵を森に隠すことができた。
 こうして南北から国府台城を挟撃する形が整った。
 あとは夜明けを待つだけである。

北条氏康 巨星墜落篇

画・森美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱、そして一族の悲願・関東制覇を期する氏康――氏政に家督を譲ったものの、長尾景虎の猛攻に氏康は気の休まる時がない。危うい局面を武田信玄との同盟で凌いできたが、西から新たな危難が迫る……北条三代目の物語もいよいよ大団円!

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。

「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。



〈北条サーガTHE WEB〉

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