北条氏康 巨星墜落篇第二回


 岩付城。
 奥座敷で城主の太田資正と嫡男の氏資が二人きりで向かい合っている。
 資正は四十二歳、氏資は二十二歳である。
「父上、気が進まないのは百も承知ではございますが......」
 氏資が遠慮がちに口を開く。
「......」
 資正は腕組みして目を瞑っている。
 やがて、ゆっくり目を開けると、
「北条に膝を屈せよと言うのか?」
 重苦しい溜息をつく。
「降伏するのではなく、帰参を願い出るのでございます。恥じることではございませぬ」
「いかに体面を取り繕ったところで、負けは負けであろう。わしは世間に笑われる」
「近々、北条が攻めてくるのは間違いないでしょうが、われらには戦う術がありませぬ」
「裏切り者ばかりだからな。いつ寝首をかかれるかわからぬ。いい家臣が揃ったものだ」
 資正が自嘲気味に笑う。
「裏切り者など成敗したいところですが、あまりにも数が多くて、誰を成敗すればよいかわかりませぬ。そんな有様では、まともに戦うこともできますまい。それ故......」
「降伏を、いや、帰参を願えと言いたいわけだな?」
「はい」
「さすがにわしのことは許すまいよ」
 長尾景虎は北条氏を滅亡寸前にまで追い込んだが、その先兵として、誰よりも積極的に働いたのが資正なのである。
 元々、資正は扇谷上杉氏の家臣として北条氏に敵対してきた。その資正を許して、氏康は家臣として迎え入れ、岩付城を預けた。一門に準ずるほど厚遇し、信頼を寄せた。
 にもかかわらず、長尾景虎に寝返り、氏康に刃(やいば)を向けた。
 北条氏からすれば、資正に対して、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを感じているであろう。
「わしの首を差し出せば、北条も納得するかもしれぬがのう」
「何をおっしゃいますか。父上あっての岩付衆でございますぞ。たとえ家臣の中に裏切り者がいるとしても、少なくとも、太田一門の心はひとつでございます。気の弱いことをおっしゃいますな」
 氏資は気落ちしている父を励ますように言う。
 だが、一面、
(そうか。父上が当主でいる限り、われらは北条に帰参することはかなわぬのだな。どうあがいても勝てる道理のない戦いをしなければならないのだ)
 そう氏資は胸に刻んだ。


 長尾景虎の関東侵攻によって奪われた領地を、氏康と氏政は着々と奪い返している。すでに相模は以前のようになり、武蔵に関しても、岩付の太田資正を屈服させれば回復することができそうだ。
 里見氏は、長尾景虎と歩調を合わせて安房から北上して上総と下総における北条氏の領地を奪い、更に武蔵に攻め込む構えを見せたが、北条氏が勢いを取り戻すと、武蔵侵攻を断念し、奪い取った土地の支配権を強めることに専念している。北条氏の来襲を警戒しているのだ。
 上野は、越後と隣り合っていることもあって、依然として景虎の影響力が強いものの、松山城を奪還したことで、氏康は上野侵攻の足がかりを得た。虎視眈々と侵攻の時機を窺っているところである。
 二年前、景虎に小田原城を攻められた頃が氏康にとっては最も苦しかったであろうが、それ以降、北条氏を取り巻く環境は大きく好転していると言っていい。
 もっとも、いいことばかりではない。
 今川の屋台骨が大きく揺らぎ、北条氏もその影響を受けているのである。
 三年前に今川義元が桶狭間で敗死してから、今川氏の勢いは急激に衰えている。後を継いだ氏真(うじざね)があまりにも凡庸で、義元亡き後の混乱を鎮めることができなかった。義元を支えた太原雪斎(たいげんせっさい)のような有能な家臣がそばにいればよかったが、誰もいない。
 いや、いなかったわけではない。
 義元は、生前、氏真の愚昧(ぐまい)を嘆き、氏真が今川の舵取りをすれば家が潰れるという危機感を抱いた。
(あいつには任せられぬ)
 と、わが子を見限り、氏真をただのお飾りの当主にしてしまい、その代わり、有能な者に政治と軍事を託そうとした。自分の目が黒いうちに、そういう仕組みを作ろうと決めた。
 義元が白羽の矢を立てたのは松平元康である。
 元康は、竹千代と名乗っていた幼い頃から人質として駿府で暮らしてきた。義元に目をかけられ、雪斎の薫陶を受けた。元服するとき「元」の一字を偏諱(へんき)として与えられるほど義元から期待された。氏真より五つ年下で、義元とすれば、氏真を兄として敬い、弟として支えてほしいという思いがあったであろう。
 義元は、元康がどれほど氏真を嫌っているか知らなかった。
 氏真は竹千代をいじめ抜き、泣かせてばかりいた。元服してからも意地悪ばかりした。
 元康は耐え、義元が生きている頃は、決して氏真に逆らわず、氏真に対する屈折した感情を表に出さなかった。忠臣を演じきった。その演技のうまさに義元ですら騙され、元康の忠義を心から信じた。
 だからこそ、義元が織田信長を攻めたとき、今川軍の先鋒を任された。今川一門として遇されていたわけである。
 今川に対する元康の忠義が演技に過ぎなかったことは、義元が討たれた直後、今川軍が退去した岡崎城に入り、戦準備を始めたことでもわかる。表向きは織田軍の来襲に備えると言い訳したが、そうではなかった。義元には頭を垂れても、氏真に頭を垂れるつもりはなかったのだ。
 義元が亡くなって一年も経たないうちに、元康は東三河で軍事行動を起こし、今川の拠点・牛久保城を攻めた。今川との完全な訣別である。
 その直後、信長と同盟を結んでいる。
 北条氏からすれば、氏真が無能なのは悪いことではない。隣国が衰微すれば、その国を警戒する必要がなくなるからだ。
 だが、あまりにも衰えすぎて、他国に侵略される怖れが出てくれば話は別である。
 愚か者の氏真を脅かしているのは、義元が目をかけた元康だ。有能なのである。
 遠からず、遠江と三河は元康が手に入れるだろうという見通しを氏康は持っている。
 それはいい。
 氏康には関係ない。
 しかし、勢いに乗った元康が駿河にまで手を伸ばしてくれば、氏康としても座視することはできなくなる。娘が氏真に嫁ぎ、今川と同盟関係にあるというだけではない。駿河が元康の手に落ちれば、北条氏が直に元康と対峙しなければならなくなる。これまでは今川が安定していたから、氏康は東に全力を傾けることができた。西の国境を警戒しなければならなくなれば、北条氏の動きが大きな制約を受けることになってしまう。
 この年の三月、元康の嫡男と信長の娘が婚約した。
 両家の同盟は更に強固になった。
 つまり、氏真は元康だけでなく、信長をも相手にしなければならないわけである。
 七月には元康は義元の偏諱を捨て、家康と名乗りを改めた。どんなものであれ、今川と関わりのあるものは捨ててしまいたいという明確な意思表示であった。
 当然ながら、氏真は怒り狂った。政治にも軍事にも無能だが、気位だけは高いのである。
 しかも、子供の頃から家康をいじめ抜いてきたから、家康を侮り、見下している。あの竹千代如きが今川に楯突くのか、長きにわたって面倒を見てやったのに、今になって唾を吐くような真似をするのか、と怒り心頭である。
 それは氏真の一方的な見方に過ぎず、家康には家康の理屈があるわけだが、そんな理屈を理解しようとはしない。そもそも家康の感情をわずかでも思い遣る優しさがあれば、いずれ自分を支えることになる家康をいじめ抜いたりはしなかったであろう。
 氏真は兵を動かした。
 駿府を発ち、家康討伐を掲げて三河に攻め込めば、
(案外、見所があるではないか)
 と、氏康も感心したかもしれない。
 しかし、氏真は西ではなく、東に向かった。方向が違っている。
 北条氏の援軍として出陣した。
 氏康や氏政が頼んだわけではない。
 押し売りなのである。
 これは義元がよく使った手で、頼まれもしないのに援軍を送って恩を売り、後々、自分の方で援軍が必要になったとき、
「あのときの借りを返してもらいたい」
 と言い出すのである。
 武田信玄が信濃の征服戦争を進めているとき、何度となく義元は援軍の押し売りをし、北条氏との関係が悪化したとき、借りを返せと信玄の出陣を要請した。
 信玄の場合、父の信虎を追放して武田の家督を継ぐとき、何かと義元の世話になっているし、姉が義元に嫁いでいるという縁もあったから、義元の無茶な頼みを断り切れないという事情があった。
 氏康も氏政も、氏真に対して、信玄ほどの義理はないし、武蔵で苦戦しているわけでもないから、氏真の申し出を断ってもよかった。
 が、最終的に氏康が、
「そう邪険にもできぬ」
 と、不満顔の氏政を説得し、援軍の受け入れを承知させた。
 氏真には娘を嫁がせている。子だくさんの氏康だが、その多くの子の中でも特に可愛がった娘なのである。氏真は、その娘の夫である。
(父上も甘くなられたものよ)
 氏政とすれば、情に絆(ほだ)されて政治や軍事に関わる判断をするべきではないと思うが、この件で氏康と争うつもりはない。
 ひとつには、自分の目で氏真がどんな男なのか見極めたいという考えがある。
 尾張の織田、三河の徳川の勢いは、近年、恐ろしいほど盛んになっている。織田は尾張を統一して美濃に攻め込もうかという勢いだし、徳川は遠江から駿河や信濃を窺っている。織田と徳川は強固な同盟で結ばれているから、徳川が駿河に攻め込むことがあれば、織田も力を貸す。当然、今川は北条に援軍を要請するであろう。
 そのとき、氏真が手を差し伸べるに値するほどの男なのかどうか、氏政はじっくり見極めたいのである。噂通りの阿呆であれば、援軍など焼け石に水であろうし、下手をすれば、北条が前面に立って徳川や織田と対決する事態に陥りかねない。
 北条の目は西には向いていない。
 常に東を向いて、関東平定に全力を注ぐ......それが宗瑞以来の揺るがぬ方針なのだ。
 その方針が氏政の骨髄に染みている。氏康の教育のおかげである。
 ところが、その氏康自身が方針に反することをしようとしているのを見て、
(父上も老いたのか)
 と、氏政は危惧したわけである。
 もちろん、そんな危惧は決して表には出さない。
 北条氏の当主という地位にあるものの、実権を握っているのは今も氏康である。その氏康と角突き合わせる真似をするつもりはないのだ。
 七月二十四日、氏真は三千の兵を率いて駿府を発ち、月末、小田原に着いた。その気になれば、一昼夜で到着する程度の距離を、のんびり数日かけて行軍した。途中、箱根で温泉を楽しんだ。
 氏康と氏政は呆れ、氏真を待たずにさっさと出陣したので、氏真が小田原に着いたとき、二人ともいなかった。
 さすがに氏真は慌て、すぐさま小田原を発って、氏康を追った。

北条氏康 巨星墜落篇

画・森美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱、そして一族の悲願・関東制覇を期する氏康――氏政に家督を譲ったものの、長尾景虎の猛攻に氏康は気の休まる時がない。危うい局面を武田信玄との同盟で凌いできたが、西から新たな危難が迫る……北条三代目の物語もいよいよ大団円!

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。

「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。



〈北条サーガTHE WEB〉

http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/

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