北条氏康 巨星墜落篇第四十二回

二十五
 重要拠点である深沢城を武田に奪われ、氏政は強い怒りを感じている。
 普通なら、城を奪った武田信玄に対して怒るのだろうが、そうではない。上杉謙信に怒っている。
(上杉との盟約など、何の役にも立たぬ)
 と、はらわたが煮えくり返る思いなのである。
 盟約を結んでからの二年間、謙信は、氏政の期待を裏切り続けている。謙信が背後を脅かすことで、信玄の軍事行動を牽制し、北条氏が武田と有利に戦うことを想定していたのに、謙信は、その種の行動をまったく取っていない。
 両家が盟約を結んだ直後、将軍・足利義昭の仲介で「甲越和与」が成立し、謙信の動きが制約されたという事情もある。
 だが、去年の十月、謙信は武田と断交し、「甲越和与」は消滅している。
 制約から解放された謙信は、今こそ北条との盟約を重んじ、武田に対する軍事行動を起こすべきだ、というのが氏政の考えだった。
 だからこそ、深沢城を信玄に奪われた直後、氏政は謙信に出陣を要請した。
 謙信が越後から信濃に攻めこめば、信玄は帰国せざるを得なくなる。放置すれば、北信濃を謙信に蹂躙されるからだ。
 武田が退けば、氏政は深沢城奪回の兵を起こすことができる。深沢城が武田のものである限り、常に小田原が脅かされてしまうから、氏政としては放置できないのである。
 この出陣要請に、謙信は、いかに対応したか?
 重臣・直江景綱に一千ばかりの兵を預けて、上野の沼田城に送った。
 これを知った氏政は愕然とした。
 氏政が要請したのは深沢城を奪還するための出陣である。
 なぜ、方向違いの沼田に兵を送るのか?
 なぜ、わずか一千の兵しか出さないのか?
 なぜ、謙信ではなく、家臣が出陣するのか?
(北条を愚弄しているのか)
 激しい怒りが、氏政の胸中に渦巻いた。
 しかも、ひと月も経たないうちに、その一千を越後に呼び戻し、謙信は、それらの兵を加えて越中に攻め込んだのである。
 その報告を聞いても、氏政は、もはや驚かなかった。謙信には、北条との盟約を遵守する気持ちがないのだ、と確信した。
 ならば、そんな盟約など破棄してしまえばいいのではないのか?
 もっと頼りになる相手と盟約を結ぶべきではないのか?
 氏政の頭にあるのは武田である。
 今現在、激しい戦いを繰り広げている相手との盟約を夢想するのはおかしな話に思えるが、武田が駿河に侵攻する以前、つまり、武田、今川、北条による三国同盟が機能していた頃、北条にとって武田は実に頼りになる仲間だった。北条と武田の盟約が堅固に機能していたせいで、謙信は関東における足場を失って越後に引き揚げざるを得なくなった。
(盟約を結ぶときには、その相手を、しっかり見極めなければならぬものだな)
 今更ながら、氏政は痛感する。
 かと言って、すぐさま謙信との盟約を破棄することもできない。武田を敵に回している今、上杉とも敵対する事態になれば、北条が窮地に陥ることは目に見えているからだ。
 それに上杉との盟約を強く推進したのは氏政ではなく、氏康である。氏政が勝手に盟約を破棄すれば、氏康の顔に泥を塗ることになる。病に苦しむ氏康にそんな酷いことをしたくなかった。
 四月の初め、里見軍が武蔵に攻めこんだという知らせが小田原に届いた。
 氏政は武蔵に赴き、この際、里見を徹底的に叩いてやろうと決意した。
 信玄が駿河に居座っていれば、氏政も小田原から動くことはできないが、信玄は三月下旬に甲府に引き揚げている。越中に攻めこんだ謙信が、越中から信濃に転進することを警戒したのである。
 氏政の得ている報告では、今回の謙信の越中侵攻は短期作戦ではなく、数ヶ月に及ぶ長いもので、信濃に転進することはあり得ないという。盟約を結んでいるおかげで、謙信の動きに関しては、氏政の方が信玄よりも正確に把握しているのである。
 意図したわけではないだろうが、結果として、謙信の動きが信玄を牽制することになった。
 信玄が動けないうちに里見を叩いてやろうというのが氏政の目論見だった。
 出発の前夜、氏政は病床の氏康を見舞った。
 氏康の病状は悪く、一人では体を起こすことすらままならない。眠っていることが多く、見舞うにしても、まず医師の許可を得る必要がある。氏政ですら、そこまで気を遣わなければならないほど容態が深刻だということである。
 医師の元に行かせた小姓が戻り、今なら会っても大丈夫でしょう、という返事だったので、氏政は病室に向かった。
 病室の隅には、昼夜を問わず、常に二人の小姓が控えている。氏康の異変を見逃さないためだ。隣室には医師が待機している。
 氏政が病室に入ったときには、医師が氏康の脈を取っていた。
「どうだ?」
 医師と反対側に腰を下ろしながら、氏政が訊く。
「いくらか、よろしいようです」
 口ではそう言うが、医師の表情の暗さを見れば、それが社交辞令に過ぎないと察せられ、氏政は小さな溜息を洩らす。
「うううっ......」
 氏康が薄く目を開ける。氏政の声に反応したらしい。
「おまえか、どうした?」
「里見が暴れておりますので、武蔵まで行こうと思います」
「長くかかりそうか?」
「何とも言えませぬ。しかし、たびたび出向くこともできませぬ故、今回は腰を据えて叩いてこようかと思います」
「そうか」
 おまえたち、下がっておれ、と氏康が医師と小姓に命ずる。彼らは隣室に下がる。
 二人きりになると、
「わしは、もう持たぬ」
 氏康がふーっと息を吐く。
「気の弱いことをおっしゃいますな。すぐに元気になりましょう」
「気休めを言うな。自分の体だ。よくわかっておる。おまえが武蔵に出かけている間に死ぬかもしれぬ。知らせを聞いても慌ててはならぬぞ。すぐに戻る必要もない」
「父上......」
 氏康が己の死期を見定め、それを冷静に淡々と語ることに氏政は愕然とする。
「武田との戦いを終わらせなければならぬ。こんな戦いを続けていても、何の得にもならぬ。信玄殿も本心では戦を終わらせたいと考えているはずだ。わしが死んだら、上杉との盟約を解消し、改めて武田と盟約を結ぶがよい」
「武田と盟約を......」
 氏政がハッとする。それこそ自分が思案を重ねていたことである。病床の氏康も同じことを考えていたのだなと知って驚く。
「今川への義理は十分に果たした。駿河は武田にくれてやれ。駿河を手に入れれば、武田は西に向かうだろう。当家には関わりのないことだから、勝手にさせればいい」
「名ばかりとは言え、一応、国王丸(くにおうまる)が今川の当主で、駿河の守護ということになっておりますが」
「信玄殿も五十を過ぎている。いつまでも元気ではいられまい。後を継ぐ勝頼殿には、信玄殿ほどの器量はない。せいぜい、甲斐と信濃を保っていけるかどうか、というところだろう。駿河から遠江、三河、美濃へと手を伸ばしていけば、徳川や織田と衝突する。負ければ、駿河どころではあるまい。そうなったときに、今川の当主という立場で、武田から駿河を取り戻せばよい」
「なるほど」
「わしが生きているうちに、今までと違ったことをすれば、掌返しと責める者もいるだろうが、わしが死んでしまえば、そんなこともあるまい。武田との話し合いもやりやすいはずだ」
「わたし一人では何もできませぬ。どうか気弱なことをおっしゃらず、病から立ち直って下さいませ」
 氏政の目に涙が滲む。
「わしは、おまえに申し訳ない気持ちなのだ。おじいさまが亡くなったときも、父上が亡くなったときも、当家は、これほどの苦境にはなかった。父上はおじいさまから、わしは父上から、平穏なときに当家の舵取りを任された。おまえは違う。少しでも対応を誤れば、当家が滅びることになりかねないという大変なときに舵取りをしなければならぬ。そんな重荷を背負わせることを申し訳なく思う」
「重荷などとは、少しも感じておりませぬ」
「わしが死ねば、武田と盟約を結び直すことができる。武田の後押しがなければ、里見など、どうということもない。上杉が怒るだろうが、せいぜい、上野に兵を入れるくらいだろう。大したことはない。武田と和睦すれば、しばらく大きな戦はなくなるだろうから、その間に、おまえは弟たちと力を合わせて領地を富ませる工夫をせよ。国が富めば、家臣も領民もおまえに服する。そうなれば、どんな敵が攻めてきても怖れることはない。国王丸が元服するまでは、できるだけ戦をしないことを心懸けるのだ」
「......」
 氏政は全身を耳にして、氏康の言葉に聞き入る。会話の途中から、
(これは父上の遺言なのだ)
 と思い至ったからである。自分が亡くなった後の、北条氏の舵取りについて諭しているのだ。
 氏康が語ったのは、政治や軍事に関することだけではない。葬儀や菩提寺についても指示している。
 その指示は簡単明瞭で、葬儀はできるだけ質素にせよ、新たな菩提寺を建立する必要はない、ということであった。
 これには氏政も驚いた。
 まだ氏康が存命しているから、表立っては口にせず、重臣たちと内々に打ち合わせをしているだけだが、氏康が亡くなったら、盛大に葬儀を営み、小田原に寺を建立すべし、と誰もが言う。
 初代・宗瑞(そうずい)、二代目・氏綱が亡くなったときは、その時点における北条氏の実力に見合った葬儀が営まれ、二人の遺骨は、氏綱が造営した箱根の早雲寺に埋葬されている。
 今の北条氏の領国は、宗瑞や氏綱の頃より、ずっと大きくなり、日本有数の大大名になっているから、普通に考えれば、二人の葬儀よりも盛大にすべきだし、早雲寺を凌ぐほどの大きな寺を建立してもおかしくはない。
 だが、氏康は、
「無用の費(つい)えである」
 と、ぴしゃりと言い切り、
「わしは、おじいさまのように死にたいのだ」
 溜息を洩らす。
 宗瑞は、己の死期が迫ったことを知ると氏綱を呼び、葬儀を簡素にせよ、寺など造ってはならぬ、と強く命じ、言いつけに従わなければ、親不孝だぞ、と脅した。
 律儀な氏綱は、しばらくは、その言いつけに従ったものの、やはり、数カ国を支配するほどの大名となった北条氏に菩提寺もないのは体裁が悪いと考え直し、早雲寺を建立した。
「父上の葬儀に参列したい、それが無理ならば、菩提寺に詣でたいと考える領民も多かろうと存じますが......」
 氏政がおずおずと反論する。
「葬儀には金がかかる。寺など造れば、もっと金がかかる。今は武田との戦が続いているから、金が足りぬ。年貢を重くするしかあるまい。領民は、わしを恨むであろう。自分たちが汗水垂らして稼いだものが葬儀や寺に消えるのだからな。わしの葬儀に参列する者は、心の中でわしを罵り、菩提寺を詣でる者は、周りに人目がないのを確かめてから、わしの墓石に唾を吐くであろうよ。そんなことは、ご免だ」
「そのようなこと、わたしが許しませぬ」
「亡くなった者を悼む心は強制できるものではない。おじいさまが亡くなったとき、誰が呼びかけたわけでもないのに、城の周りに領民が集まってきて、じっと城を見上げて涙を流していた。おじいさまは、さぞ嬉しかったに違いない。夜通し立っている者も少なくなかったから、父上が哀れんで、握り飯や白湯を振る舞ったり、立ち去る者に餅を持たせてやったりした。そのおかげで、おじいさまも父上も頗る評判がいい」
「しかし、早雲寺を建立なさいました」
「すぐにではない。しっかり時機を見極めて、蓄財に努めたのだ。それ故、年貢を重くしなくても建立できた。今とは違う」
「......」
 氏政は反論できない。氏康の言うことが正しいからである。武田との戦が長引き、しかも、劣勢なので、得るものよりも失うものの方が多く、北条氏の財政は火の車なのだ。氏康の葬儀を盛大に営み、北条氏の三代目に見合った立派な寺を新たに建立するとなれば、莫大な支出が生じる。その費用を賄うには、氏康の言うように年貢を重くするしかない。それも生半可な重さでは間に合わない。正確に費用を計算したわけではないが、その程度の想像は、氏政にもできる。領民は疲弊するであろう。
 氏政にとって最善の道は、氏康に長生きしてもらうことだ。そうすれば、葬儀もしなくて済むし、寺を建立する必要もなくなる。
「孝行息子のそなたには辛いことであろう。しかし、情に流されてはならぬ。自分が死ぬことで領民が苦しむことになれば、あの世でおじいさまや父上に顔向けできぬ。極楽から地獄に蹴落とされてしまうわ」
「まさか、そのようなことは......」
 氏政が弱々しく笑う。
「わしの言葉を、よく胸に刻んでおくがよい。おまえの一存で決められることではないだろうから、これからは、できるだけ見舞客に会うようにして、同じことを話すつもりだ。そうすれば、それがわしの本心だと伝わるであろうよ」
「......」
 氏政は何度となく溜息をつき、氏康の話に耳を傾ける。

北条氏康 巨星墜落篇

画・森美夏

Synopsisあらすじ

一代にして伊豆・相模を領した祖父・北条早雲、その志を継いだ父・氏綱、そして一族の悲願・関東制覇を期する氏康――氏政に家督を譲ったものの、長尾景虎の猛攻に氏康は気の休まる時がない。危うい局面を武田信玄との同盟で凌いできたが、西から新たな危難が迫る……北条三代目の物語もいよいよ大団円!

Profile著者紹介

1961年、北海道生まれ。98年に第4回歴史群像大賞を受賞した『修羅の跫』でデビュー。

「SRO 警視庁広域捜査専任特別調査室」「生活安全課0係」シリーズを始めとする警察小説から、『早雲の軍配者』『信玄の軍配者』『謙信の軍配者』の「軍配者」シリーズや『北条早雲』全5巻などの時代・歴史小説まで、幅広いジャンルで活躍している。



〈北条サーガTHE WEB〉

http://www.chuko.co.jp/special/hojosaga/

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