そして誰かがいなくなる第45回


          エピローグ

 書斎の暖炉の前でアームチェアに座っている男は、ランプの仄明かりの中、小説の文章を目で追っていた。
 物語の最後は、隠し部屋の地下室を利用したアリバイトリックを見破られて追い詰められた犯人のミステリー作家が自供し、観念するシーンで終わっていた。
 読み終えた小説を閉じると、表紙には『そして誰かがいなくなる』というタイトルが躍っていた。
 自然と口元が緩む。
 そのとき、チャイムが鳴った。
 男は置時計に目をやった。
 午後七時半――。
 そうか、もうこんな時間か。
 物語に夢中になっていて、時刻を失念していた。
 男はアームチェアから腰を上げると、一息ついてから書斎を出た。廊下を抜けてホールへ行き、玄関ドアを開けた。
 立っていたのは、カジュアルな服装に身を包んだ若者だった。平たい鼻で、眼鏡をかけている。
「時間どおりだね、安藤君・・・
 若者――安藤は丁寧にお辞儀をした。
「初めまして......と申し上げればいいのでしょうか」
「初対面だからね。『そして誰かがいなくなる』の評判は上々で、作者としても何よりだ」
 安藤はごくりと喉仏を上下させた。
「本当にあなたが――」
 男はにやりと笑ってみせた。
「ああ、私が御堂勘次郎だ・・・・・・・・
 安藤が目を瞠った。
「御堂先生......」
「まあ、立ち話もなんだから、中で話そうじゃないか」
 御堂は踵を返し、室内に戻った。安藤が中に入り、ドアを閉めて靴を脱いだ。
「失礼します」
 彼はスリッパに足を差し入れ、吹き抜けのホールとサーキュラー階段を眺め回した。感嘆のため息をつく。
「これが御堂邸――」
「ああ」
「小説の描写そのままです......」
「当然だよ。舞台のモデルだからね」
 御堂は彼を書斎に案内し、アンティーク風のプレジデントデスクを挟んで肘掛け椅子に腰掛けた。
 安藤は言葉を探すように身じろぎしている。
「さて、訊きたいことがたくさんありそうだね」
 切り出してやると、安藤が「はい」と慎重な顔つきでうなずいた。
「何でも答えよう。そのために招いたのだからね」
 安藤はごくりと唾を飲み込んだ。
「何からお訊きすればいいのか......」彼はしばし視線をさ迷わせた後、決意したように口を開いた。「御堂先生が生きていらしたとは思いませんでした・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 御堂は、ふふ、と笑みをこぼした。
「生きていたからこそ、原稿を送ることができた。そうだろう?」
「それはもちろん......。しかし、原稿が編集部に届いたときは、正直、不気味に感じました。一体誰が送ってきたのか――と」
「だろうね」
「何しろ、拝見したら、現実の事件がそのまま物語になっていましたから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「"御堂勘次郎殺害事件"だね」
「はい。世間一般にはそのように呼ばれています。現役のミステリー作家が自宅で殺害されて、逮捕された犯人が同業者――。悪い意味で出版業界が注目された事件でした」
「このような森の奥深くに暮らしている私も、インターネットくらいは扱えるからね。反応はよく知っているよ」
「作品の内容は、人物名こそ変えられていましたけど、まるで実際の事件を目の前で見てきたような具体性でした。居合わせた錦野さんも読まれたようで、相当驚かれていました」
 コンビ作家の獅子川正と真が起こした事件は、現実そのままの内容でフィクション化した。
「安藤君もまさか犯人が自分になりすまして参加していたとは、思いもしなかっただろうね」
「はい。デスクに届けられた原稿が盗まれるなんて――。僕らは性善説で考えすぎていて、危機管理が甘かったのかもしれません」
「編集部にやって来た作家が他作家の原稿を盗むなんて、誰も想像しないだろう。その点は同情する」
「御堂さんは、参加した作家から事件の詳細をお訊きになって物語化を――? 何より、御堂先生が生きてらしたなら、殺害された"御堂勘次郎"は一体――」
 御堂は視線をわずかに落とした。
「殺害された"御堂勘次郎"は、言わば"幽霊"だよ」
「"幽霊"?」
「"御堂勘次郎"だった男は――便宜上、A氏と呼ぼうか。A氏は私の熱烈なファンでね。藍川奈那子君以上の、ね。出会いは三年ほど前に遡る。A氏の作品は、私が選考委員を務める新人賞で最終候補に残った。その作品の中で暗号トリックを用いていたんだが、実はそれが二重構造になっていてね。物語の中ではしっかり解読されて解決するんだが、私の初期のある作品の暗号解読法を用いれば、別のメッセージが浮かび上がる仕掛けになっていた。売れずに絶版になったマイナーな作品だから、よっぽどのファンでなければ知らないだろう。つまり、私にだけ伝わるメッセージが隠されていたわけだ」
「メッセージ?」
「他愛もない内容だよ。私の作品への想いと自身の電話番号だ。彼の応募作は私の作風の影響が強すぎて既視感が強く、全選考委員に推されないまま落選した。だが、私は彼のトリックの仕掛けに気づき、興味をそそられて連絡を取ったんだよ。選考委員への媚――という見方もできたが、それなら連絡先などは仕込まないだろう」
「そんなことが......」
「電話で話し、いろいろと訊いた。A氏は、自分には小説の才能がない、と語った。私の作品を愛するあまり、どんな物語を書いても、私の作風に似てしまう。それが悩みだという」
「そのようなマチュア作家は珍しくありません。文体が独特な作家の愛読者が小説を書いたら、下手な模倣作になることも」
「A氏は決して下手くそな模倣者ではなかった。実際、A氏が過去に書いた物語を送らせると、たしかに私の影響が色濃かった。いや、影響という表現は不適切だろう。A氏は"一流の贋作師"だったんだよ。そのとき、私はふと思った。彼はゴーストライター・・・・・・・・にうってつけではないか、と」
「ゴーストライター......」
 緊張を呑み下すように、安藤の喉仏が上下した。
「当時、自宅の新築を計画して設計の打ち合わせをはじめていた私には、懸念点があった」
「......懸念ですか?」
「資金――だよ。建物の理想を追求すれば、建築費用がどんどん上がっていく。そのためにも資金が必要だ。原稿を書く必要がある。だが、理想の邸宅を建てるには、設計の打ち合わせに専念する必要がある。相反する問題を同時に解決する方法――。それがゴーストライターだった」
 自宅の建築計画を立ててからの三年間で刊行した新刊は、二年以上前に出版した二作だけだが、文芸誌への連載は三本同時に行っており、それなりに原稿料は受け取っていた。
「収入が必要な私と、自分の作品を世に出したいA氏――。利害が一致していた。A氏は自分の名前にはこだわっていなかったからな。この三年間の連載は、私が作ったプロットをA氏が執筆していたんだよ。そうして三年が経ち、御堂邸が完成した。そのころから私の中では勝負作の構想があった」
「今回、弊社から刊行された新刊ですね」
「ああ。フィクションと現実の境界線を曖昧にして、物語をきわめてリアルに作り上げた本格推理小説――。小説一作のために、物語の舞台となる邸宅を先んじて建てた作家はそうはいないだろう?」
「はい、おそらく」
「実際に建てた邸宅に、訳ありの招待客たちが集められ、そこで物語が起こる――。それこそ私の狙いだった。考案したトリックを含め、実現可能かどうか、壮大な実験だよ」
「招待客はそのために選出を――?」
「出版業界で大勢の編集者と付き合っていれば、作家同士のいざこざなどは全部、耳に入ってくる。錦野君と林原君の一方的な関係や、山伏氏と藍川君の因縁とか、ね」
 安藤は、お人が悪い、とでも言いたげに苦笑した。
「語られた推理の大部分は的中していたが、誤りもある。私が暴露しようとしていた盗作作品は、自作ではないよ」
「え?」安藤が目を見開いた。「しかし、御堂さんの盗作を訴える新人作家が――」
 御堂はかぶりを振った。
「被害妄想が強い作家や読者の存在は、珍しくないだろう? 過去、冤罪の告発がいくつあった?」
「たしかに......」
「出版社経由で盗作を訴える手紙を受け取ったとき、獅子川君の作品の存在を思い出した。実は数ヵ月前にアメリカの作家とメールでやり取りしたとき、話題に出したんだよ。独創的なアイデアだったからね。そうしたら、ある短編作品に先例があるというではないか。そこで私は獅子川君の招待を決めた」
「それでは、盗作の暴露と言うのは、最初から獅子川さんの作品だったということですか」
「実際に暴露するつもりはなかったよ。先例があるからといって盗作かどうかは別問題だからね。偶然の一致などいくらでもある。結果的には心当たりがあって、事件に繋がった。A氏には申しわけないことをしたと思っているよ。私の身代わりで"御堂勘次郎"として殺害されたのだから」
 御堂は悔恨を噛み締めた。
「......フィクションと現実の境界線を曖昧にすべきではなかった。あるアメリカの映画監督は、"フィクションだからこそ観客は安心して恐怖を楽しめる"と語った。私はその精神を忘れていたのかもしれない。今回の計画は、招待客の一人に協力を仰ぎ、"御堂勘次郎"の消失トリックを仕掛けて、現実の人間たちの言動を観察する――というものだった。新作の執筆のために」
「A氏が"御堂勘次郎"を演じたなら、御堂先生ご本人は――」
 ――やはり館の主と言えば黒幕かな。物語の最後で登場して、登場人物たちの度肝を抜く役回り――。どうせならどんでん返しの立役者を演じたいね。
 設計の打ち合わせの際、雑談をして営業担当者たちに語った台詞が脳裏に蘇る。
 御堂は、ふう、と嘆息を漏らした。
「作家の業――かな。死者が出たにもかかわらず、それを物語に落とし込む欲求に逆らえなかった」
 安藤が再びうなずく。
「私は今回の事件の全容を知っている。ちゃんと中で・・全てを見ていたんだよ」
「それはどういう――」
「獅子川君は原稿のプロローグを読んで、"御堂勘次郎"の外見描写の違いを"フィクション性を強めるため"と誤解したようだが、私は作中でも自分の外見を正確に描写していたんだよ。彼が先入観に囚われていなければ、私の正体を見抜けたかもしれないね」
 御堂は笑みをこぼすと、ロマンスグレーの髪・・・・・・・・・を整えた。
御堂様にご招待されたお客様でございますね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ご招待状はお持ちでしょうか・・・・・・・・・・・・・
 御堂は、招待客の前で何度も繰り返した台詞を口にした。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

Newest issue最新話

Backnumberバックナンバー