そして誰かがいなくなる第5回

            1

 S県郊外の閑散とした無人駅には、粉雪が舞い落ちていた。暗雲立ち込める鉛色の空がのしかかっている。周辺に住宅などはなく、道路と並走するように線路が延びており、裸木が点在していた。
 身を切る短剣のような粉雪交じりの寒風が吹きすさぶ。
 林原凛(はやしばらりん)は肩まで流れ落ちる黒髪を耳の後ろへ掻き上げると、長身を包むギャバジン素材のトレンチコートの襟を掻き合わせた。初重版の記念に自分で買ったピンクゴールドの腕時計で時刻を確認する。
 午前九時十五分――。
 指定の時刻には間に合うはずだ。車にさえ乗れば――。
 凛は道路の遠方に目を投じた。裸木の枝の隙間からタクシー会社の看板が見えている。
 不便な場所――。
 東京なら移動には苦労しないのに、と思う。だが、あの御堂勘次郎の招待なら断ることはできない。
 凛は嘆息を漏らしながら歩きはじめた。雪が強まってくると、ショルダーバッグから折り畳み傘を取り出し、差した。五分ほど歩くと、タクシー会社に着いた。コンクリート造りの一階建ての建物で、駐車場に二台のタクシーが停車している。
 駐車場の先にドアがあった。おそらく事務所だ。運転手が休憩しているのだろう。
 凛は駐車場に踏み入ると、事務所のドアに近づいた。チャイムの類いは見当たらなかった。
「あのう......」
 ドアの外から呼びかけてみる。
 無反応だった。
 声が聞こえなかったのかと思い、ノックした。すると、野太い声が返ってきた。
「はーい」
 足音が近づいてきたので、凛は二歩、後ずさった。ドアが開き、禿頭(とくとう)の中年男性が姿を見せた。
「お客さんですか?」
 運転手の第一声とは思えない唐突な質問に若干戸惑いつつも、凛は「はい」とうなずいた。
 中年男性は眉間の縦皺(たてじわ)を掻くと、困惑顔で事務所の中を一瞥し、向き直った。
「相乗りでも構わないですか」
「相乗り――?」
 当惑が表情に表れたらしく、運転手は言いわけがましく続けた。
「同僚の一人は出てしまっていて、もう一人は休憩中で、空車が一台しかないんです。今日は珍しく他にもお客さんが来ていまして......。先客ですし、相乗りを承諾していただけると助かります」
「向かう先は全然違うと思います。相乗りはちょっと――」
 事務所の奥から「同じだと思うよ」と声が聞こえてきた。
 聞き覚えがある声に驚き、凛は室内を覗き込んだ。スチール製の事務机の前に、錦野光一(にしきのこういち)の姿があった。二重まぶたで鼻筋が通り、整った顔立ちだ。黒のタートルネックのセーターの上に、襟元を開けた白いシャツを合わせ、ネイビーブラックのダッフルコートを着込んでいる。
「錦野さん......」
「やあ」
 錦野が快活に手を上げて挨拶した。最も魅力的に見えると自覚があるのであろう笑みを浮かべている。
「林原さんも招待されていたなんてね。運命を感じるな」
 彼は業界では二年先輩の同業者だ。五年前、御堂勘次郎が選考委員を務めるミステリー新人賞でデビューしている。受賞作は、廃遊園地の観覧車内で密室殺人が起こり、凄惨な連続殺人に繋がる『大歯車の殺人』。
「ご無沙汰しています」
 凛は軽くお辞儀をした。
「いやいや」錦野はほほ笑みを絶やさないまま言った。「堅苦しいよ、林原さん。君と俺の仲じゃない」
 一体どのような仲だというのだろう。
「......先々月の授賞式でお会いして以来ですね」
 都内の有名ホテルで行われた新人賞受賞パーティーに参加し、錦野とも顔を合わせた。授賞式後に二人きりで二次会をしないかと誘われたが、担当編集者と先約があるから、と断っている。
 錦野はデビューから積極的にメディアに顔を出し――その整った容貌のおかげで露出の依頼がひっきりなしにやって来るという――、熱烈な女性読者を獲得している。書店で開くサイン会でも、列を成す七割以上が女性だと聞く。
 普段からちやほやされているせいで、若い女性なら誰でも自分の誘いに乗る、と自惚(うぬぼ)れている節があった。
「目的地は同じだろうし、一緒に行こうか。おじさんと二人きりで退屈な会話をしなくてすんでラッキーだよ」
 彼に好感を持てないのは、こういうところだった。
 凛は気まずそうに突っ立っている運転手を一瞥した後、錦野に目を戻した。
「......ご一緒します」
 凛は感情を押し隠して答えた。
 錦野は笑みを深めると、運転手に言った。
「じゃあ、よろしく」
三人で駐車場のタクシーへ向かい、錦野が後部座席に乗り込む。
 正直、助手席に座りたかった。だが、錦野が隣の座面をぽんぽんと叩いて待ち構えていた。
 凛は「どうも」と頭を下げ、隣に座った。できるだけドアに寄り、彼から距離を取った。
 横目で窺うと、錦野は身じろぎし、自然な動作でほんの少し寄ってきた。さすがに太もも同士が触れ合うような距離までは詰めてこなかった。
 粉雪が舞う中、無言でタクシーが出発した。目的地は事前に錦野が説明していたのだろう。
 道路の両側に住宅や店舗が点在している。薄汚れた看板のラーメン店や焼き鳥専門店は明かりが灯っておらず、午前だからまだ開店していないだけなのか、もう潰れてしまっているのか、はた目には分からなかった。
 このような場所に住んでいる人々の娯楽は一体何だろう、と他人事(ひとごと)ながら気になった。
 道路を北に向かうと、鬱蒼と緑濃く生い茂る森が見えてきた。鉛色の空が遠のき、折り重なった枝葉が作る天蓋に取って代わった。密生する樹木群が闇を掻き抱いている。
 窓の外を眺める錦野が苦笑いした。
「御堂さんもこんな辺鄙(へんぴ)で不便な場所に家を建てるとか、まあ、薄々分かってたけど、相当な変わり者だよねえ。森の奥なんて、買い物も大変でしょ、絶対」
 都会の暮らしに慣れている自分には絶対に耐えられないな、と思う。
「雰囲気があって私は素敵だと思います」
 内々の話でも気がつけば編集者などに漏れていることがある。錦野に弱み・・を握られるつもりはなかったから、本音は自分の心の中に留めておいた。
 錦野は凛を見やり、綺麗事を見透かしたように鼻を鳴らした。
「ま、たしかに雰囲気はあるけどね」
 凛は窓の外に顔を戻した。
 林立する常緑樹が両側から迫り、一帯を取り巻いていた。枝葉は雪風に揺れている。蔓性の植物は触手めいて渦巻き、木に絡みついている。
 タクシーはどんどん森の懐深くへ――奥へ奥へ向かっていく。
「それにしても――」錦野がつぶやくように言った。「帰りはどうすればいいんだろうね。御堂さんの新居からタクシー会社に電話して、迎えに来てもらうとか?」
 凛は窓の外を眺めたまま答えた。
「そうなんじゃないですか。徒歩で帰れる距離ではないですし、迷ったら大変です」
「舗装された道路があるわけでもないしね」
 樹木は奔放に生い茂っている。ねじくれた枝々が無秩序に差し交わし、不気味な印象を作っている。夜になったらホラー映画の殺人現場さながらの雰囲気が生まれるだろう。
 三十分ほど経ったとき、前方から別のタクシーがやって来た。すれ違いざま、凛はそのタクシーの車内に目を投じた。空車だ。乗客は乗っていない。
「先客かな」錦野がタクシーから凛に視線を移した。「たぶん、他の招待客を送り届けた帰りなんだろうね」
「そうですね」
「誰だと思う?」
「え?」
「招待客。さすがに俺ら二人ってことはないだろうしね。きっと他にも数人いるだろ」

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

Newest issue最新話

Backnumberバックナンバー