そして誰かがいなくなる第23回
「皆様、夕食のご用意ができました」
老執事がダイニングテーブルに食事を並べていた。派遣された執事だとしても、職務はこなしてくれるらしく、招待客としては大助かりだ。
凛は昼間と同じ席に腰を下ろした。隣に座ってきたのは、錦野光一だ。
相手が先に座るのを待ってから座ればよかったと思ったが、後の祭りだった。
「結局、御堂さんは姿を見せなかったね」
凛は「そうですね......」と素っ気なく応じた。いくら言い寄られてもこちらにはその気がないのに、一方的に距離を詰めてくる。
全員で席につき、夕食を摂った。御堂勘次郎の件があるから、皆の口は重く、会話は弾まなかった。
凛は料理にフォークをつけようとして躊躇した。
「食べないの?」
隣の錦野光一が怪訝そうに訊いた。彼は美味しそうにローストビーフを口に運んでいる。
凛はオニオンスープじっと見つめた。
「もしかして、御堂さんのジョークを気にしていたり――?」
『本格推理小説の世界なら、このタイミングで招待客の一人が毒殺される――という感じかな』
御堂勘次郎の台詞が脳裏に蘇る。
『まあ、昼食時に事件は起きないものだよ。洋館での毒殺事件は晩餐会と相場が決まっている』
「作ってもらった料理を疑っているわけではないんです。でも、少し――」
クリスティーの『そして誰もいなくなった』では、青年のアンソニー・ジェームズ・マーストンは、飲み物に混入されていた毒物で死亡する。
作中でインディアン人形が消えたことを模するように、自分の著作が消えていたことが気になる。次に狙われるのは自分なのか、それとも深い意味などないのか――。
凛は息を吐くと、スープに口をつけた。美味だった。
他の面々と違って、錦野光一は食事のあいだじゅう、話しかけてきた。
凛は他愛もない内容に相槌を打ちながら食事をした。
一時間弱で、夕食は何事もなく終わった。
「どうします?」
誰にともなく訊いたのは藍川奈那子だった。全員が彼女に顔を向けた。
「寝る場所のことですか?」山伏が訊いた。
「はい」
「御堂さんがおっしゃっていたように、藍川さんは娘さんとゲストルームで、林原さんはマスターベッドルームで、お休みになられたらいいと思います。男性陣は――適当に」
男性たちが同意してうなずいた。
「そう言ってもらえると......」
凛は感謝し、軽く会釈した。
ゲストルームとマスターベッドルーム以外にベッドはなく、眠れるスペースは限られている。寝ころべるのは、シアタールームの三人掛けソファか、リビングルームの二人掛けソファ――膝を曲げて、肘掛け部分を枕にすれば何とか寝られる――だけだ。明らかに足りていない。
錦野光一が「僕はリビングのソファを使ってもいいですか」と訊いた。
山伏が「もちろんです」と答える。「では、残った者はシアタールームを使いましょうか」
「そうですね」天童寺琉が言った。「シアターなら絨毯なので、雑魚寝(ざこね)できますね」
獅子川正が安藤に話しかけた。
「僕は夜型で、ショートスリーパーなので、よければ書斎で小説談義でも」
「はい」安藤が二つ返事で答えた。「僕でよければお付き合いします。獅子川先生には弊社もお世話になっていますし、担当編集者に代わって何なりと」
「せっかくの機会ですしね。眠くなったら僕らもシアターを借りましょう」
話が纏まると、それぞれが各部屋に散らばった。凛はマスターベッドルームに入ると、ノブの横のでっぱりを押して内側から鍵を掛けた。
一人きりになったとたん、安堵と不安が入り混じった複雑な感情が押し寄せてきた。
ダブルのドアの向こう側はシアタールームで、山伏と天童寺琉の二人がいる。
耳を澄ますと、ドアの下の隙間から話し声が漏れ聞こえてきた。山伏が御堂勘次郎消失の話題を出したらしく、そのような単語が忍び込んできた。
凛はドアを離れ、ベッドに腰を下ろした。宿泊の予定はなかったので、パジャマなどの着替えはない。適当に本棚の本を手に取り、時間を潰した。
そのとき、ノックの音がした。
凛は警戒しながらドアに近づき、「誰ですか」と尋ねた。
「私です」
返ってきたのは藍川奈那子の声だった。
凛はほっと胸を撫で下ろすと、ノブを回した。内側からは解錠する必要がない。
凛は彼女と対面すると、訊いた。
「どうかしたんですか」
「部屋、変わりましょうか?」
凛は小首を傾げた。
「美々は小いからこっちのダブルのベッドでも充分二人で寝られますし」
ゲストルームのベッドはクイーンサイズだった。大人二人がゆとりを持って眠れる。
「どうしてですか? ゲストルーム、不便でした?」
「全然。むしろ、至れり尽くせりで――。ドレッサーもありますし、化粧を落としたりするなら、向こうのほうが便利だと思います。私はほとんど化粧してませんし、こっちでも......と」
彼女の配慮に感心した。
正直、その点は気になっていた。化粧を落として寝た場合、起きてからまた化粧できる場所は限られている。洗面化粧台と鏡が揃っているのは、ゲストルームを除けば二階のトイレか一階のトイレかパウダールームだけだが、どこも化粧には不便で、向かう途中で他の招待客とすっぴんのまま鉢合わせする可能性がある。
「藍川さんがよければ――」
彼女は笑顔で「はい」と答えた。
凛は藍川奈那子と部屋を交換し、ゲストルームに入った。ベッドの脇――部屋の片隅に小型の冷蔵庫がある。円形のコーヒーテーブルには、ヨーロッパ風のカップが置いてある。
ベッドの横には洗面化粧台があり、その横にロココ調のドレッサーがある。
凛はスツールに腰掛け、ドレッサーの大型ミラーに向き合って化粧を落とした。
未開封の歯ブラシが差してあったので――ホテルのアメニティさながらだ――使わせてもらった。
寝る前にドアの鍵を確認してから電気を消し、ベッドに横になった。
睡魔はなかなか訪れなかった。
Synopsisあらすじ
何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!
Profile著者紹介
1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。
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