そして誰かがいなくなる第7回
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『アヴェ・マリア』が落ち着いた旋律を奏でているリビングには、溝が入った付柱(ピラスター)が重ねられた正面に、クリーム色の電気暖炉が据えられていた。薪(まき)の上で橙色のフェイクファイアが揺れている。一見したところ本物の炎にしか見えない。
真鍮のアンティークシャンデリアの真下に、猫脚のローテーブルがあり、グリーンを基調にしたベージュの花柄の生地が豪華なロココ調の一人掛けソファが二脚、並べて置かれている。手彫りらしい装飾的なフレームはマホガニーだ。
山伏大悟(やまぶしだいご)は電気暖炉に背を向ける形で、ベルベット生地の小型スツールに腰掛けていた。
老執事に連れられた二人の男女がリビングに入ってきた。二人の顔はよく知っている。
新進気鋭のミステリー作家、錦野光一と林原凛だ。
一緒に現れたということは、二人は
はた目にはお似合いだが、文壇でも女たらしで有名な錦野光一に、才色兼備の林原凛がなびくとは思えないが――。
山伏は立ち上がり、二人に近づいた。
「どうも。文芸評論家の山伏大悟です」
錦野光一が人懐っこい笑顔で応えた。
「いやいや、もちろん存じてますよ。著作も何度か文芸書評で取り上げてくださいましたし」
「はい」林原凛がにこやかに言った。「私も『月刊文報』で『天使の羽ばたき』を評価していただいたばかりです。"今年一の収穫だ"とお褒めいただいたことが自信になりました」
山伏は笑みを返した。
「僕は作家の方々と違って、顔が売れているわけではありませんし、こうして直接お会いしたときは自己紹介しないと、相手を困惑させてしまいますから」
錦野光一が納得したように「ああー」と声を漏らした。「たしかにそうかもしれませんね」
「顔と言えば――」林原凛が室内を見回した。「御堂先生とはもうお会いになったんですか?」
「いや、まだですね。執事の方にコーヒーをいただきながら、漫然と過ごしていました」
彼女がリビングの奥に目を向けた。紫色のカーテンが閉まった窓の前に、二人掛けのヴィクトリアン調の豪華な赤色のソファがあった。その前の円形のコーヒーテーブル――中央にはロココ調の花瓶があり、薔薇(ばら)の造花が飾られている――に、洒落たデザインのカップが一つ置いてある。
「お一人なんですね」
「はい」山伏はうなずいた。「招待客が僕ら三人だけってことはないでしょうし、たぶん、これから何人かやって来るんじゃないでしょうか」老執事に「ね?」と確認する。
黒子のように立っている老執事が答えた。
「そう伺っております。どうぞ、お座りになって、ごゆっくりとお待ちください。コートをお預かりいたします」
「ありがとうございます」
林原凛がトレンチコートを脱ぎ、手渡した。老執事は受け取ると、リビングの奥へ向かった。飾り柱(コラム)の横に置かれているスタンド式のコートハンガーは、クラシカルなデザインの真鍮製で、ゴールドに輝いている。
老執事はトレンチコートをフックにかけると、錦野光一からもダッフルコートを預かった。
「お飲み物をお持ちいたします」
錦野光一がリビングに進み入り、ソファに腰を下ろした。背もたれに背中を預け、ふう、と息を吐く。
林原凛も隣のソファに座った。
老執事が二人に訊く。
「コーヒー、紅茶、ハーブティー、ご用意しております。モカ、キリマンジャロ、アールグレイ――。何を飲まれますか。何なりとお申しつけください」
林原凛が「アールグレイをお願いします」と答え、錦野光一が「俺はキリマンジャロをブラックで」と答えた。
「かしこまりました」
老執事がキッチンのほうへ歩いていく。
錦野光一は老執事の後ろ姿を見送った後、林原凛に顔を向けた。悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべる。
「御堂さんが仮面を被って現れたらどうする?」
彼女が小首を傾げた。
「いや、御堂さんは
「......どうなんでしょうね」
「林原さんも御堂さんの顔は知らないんだろ?」
「はい。全然」
「だよね。"謎多きミステリー作家"御堂勘次郎。どんな姿で現れるにしろ、ワクワクするね。森深くに建っている洋館。大雪の予兆。主である覆面作家――。舞台装置としては整いすぎてる」
「新居お披露目パーティーも名目だったりして?」
「そうそう!」錦野光一が笑い声を上げる。「そもそも、ただの新居お披露目パーティーで俺らを招待するかな? 御堂さんとの接点が希薄すぎない?」
「かもしれませんね。御堂先生は今年、デビュー二十周年を迎えられましたし、繋がりならもっと深い同業者が何人もいるような気がします」
「ま、これからやって来るのかもしれないけどね」
山伏はリビングを眺め回した。クリーム色の壁には、映画『マリー・アントワネット』に登場するようなロココ調の装飾(モールディング)が施されている。老執事によると、イギリスのアンティークだという大型のキャビネットには、真鍮の蝋燭形スタンドランプが置かれていた。
小物に至るまでインテリアが統一されている。御堂勘次郎はかなりこだわってこの邸宅を造り上げたらしい。
老執事がマホガニー製で車輪付きのワゴンを押してきた。「どうぞ」とカップをローテーブルに置く。
錦野光一と林原凛が飲み物に口をつけ、しばらくしたころだった。チャイムが鳴り、老執事が玄関のほうへ姿を消した。ドアが開く音に続き、誰かと会話する声が聞こえてくる。
二、三分してから招待客がリビングに現れた。一人は黒髪ロングで、眼鏡をかけた女性だった。ブラウンのニットセーターを着て、白のワイドパンツを穿(は)いている。
彼女はたしか――。
ミステリー作家の藍川奈那子(あいかわななこ)だ。幼い女の子の手を引いている。
「こんにちは」藍川奈那子が先客に対して頭を下げた。「子連れですみません。夫が急な仕事で、預けられなくなってしまって......。おとなしい子なのでご迷惑はかけませんので」
彼女は娘に「みーちゃん、勝手にその辺のものを触っちゃ駄目だからね」と釘を刺した。
林原凛は自己紹介すると、女の子に手を振った。女の子は母親の脚の裏側に隠れた。
「すみません」藍川奈那子が申しわけなさそうに言った。「人見知りなもので」娘の背中に手を添え、前に押し出した。「みーちゃん。ほら、ご挨拶は?」
女の子はおどおどした顔で、花の蕾(つぼみ)のような唇を開いた。
「美々(みみ)、三歳です」
林原凛が膝を曲げて目線を下げ、「みーちゃん、はじめまして」と応えた。
次に錦野光一が藍川奈那子に名乗った。
「どうぞよろしく」
彼女が「よろしくお願いします」とお辞儀をした。「錦野さんの『大歯車の殺人』はすごく好きな作品です。御堂先生が選考会で推されたのも納得の傑作でした」
彼の表情が一瞬で緩んだ。
「いやあ、デビュー作を読んでくださっていて、嬉しいですね。作家冥利に尽きます。そういえば、藍川さんは"御堂勘次郎フリーク"だとか」
彼女が陶然としたほほ笑みを浮かべた。
「十年前に御堂先生の『日影に燃ゆ』を読んで衝撃を受け、遡って全著作を読み漁りました。それからは新刊は発売日に買って、全部読んでいます」
「それはすごい」錦野光一は苦笑いしながら頭を掻いた。「御堂さんの著作は百冊に迫るでしょう?」
「八十三冊です」
「さすが詳しいですね」
藍川奈那子はデビュー当時から御堂勘次郎の熱烈な愛読者だと公言しており、その名を頻繁に出している。御堂勘次郎に招待されたのはその辺りが理由かもしれない。
話が切れたタイミングを見計らい、山伏も挨拶した。
「文芸評論家の山伏大悟です」
藍川奈那子の一瞥が注がれた。
「ああ......」
彼女の声は冷え冷えとしていて、眼差しにも冷徹な感情があった。明らかな敵意だった。いや、嫌悪と表現したほうが適切だろうか。
「何か――?」
思わず尋ねた。
Synopsisあらすじ
何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!
Profile著者紹介
1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。
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