そして誰かがいなくなる第18回


            8

 山伏大悟は獅子川正と顔を見合わせた。
「今の声――聞きましたか?」
「......はい」獅子川正の顔には緊迫感が表れていた。「二階から聞こえましたよね」
「御堂さんの叫び声のようでした」
「まさか」
 獅子川正の表情に困惑が宿る。
「私にはそう聞こえました」
「......上から、でしたよね?」
「しかし――」山伏は廊下のほうを振り返った。「御堂さんは書斎でしょう?」
「いつの間に二階へ......」
 名探偵の天童寺琉がサーキュラー階段下のスペースから出てきた。面々を見回す。
「叫び声がしましたね」
「様子を見に行きましょう!」藍川奈那子が声を上げた。柳眉が寄っている。「御堂先生が心配です!」
 獅子川正が「そうですね」とうなずき、立ち上がった。そのとき、パウダールームのドアが開き、林原凛が顔を出した。
「今、何か叫び声が聞こえませんでした?」
「聞こえました」獅子川正が答えた。「たぶん、御堂さんの声でした。二階から聞こえましたよね?」
「はい」

「あの叫び声はただ事ではありませんでした。何かがあったのかもしれません。一刻を争います。全員で二階へ!」
 藍川奈那子が「急ぎましょう!」と急(せ)かした。
 その場の全員で二階へ上がり、マスターベッドルームのドアを開けた。驚いた顔の錦野光一が本棚の前に突っ立っていた。
「どうしたんですか、皆さん揃って......」
 彼が当惑したように言うと、藍川奈那子が訊いた。
「御堂先生の叫び声が聞こえませんでした?」
 錦野光一が一瞬、視線を天井に向けた。だが、すぐに面々に戻した。
「いや、読書に集中していたので、気づきませんでした」
 彼が手に持っているのは文芸誌だった。
 山伏は改めてマスターベッドルームを見回した。イギリスのヴィクトリアン調に統一されている。赤を基調にした黒のダマスク柄の壁紙とクリーム色の腰パネルの対比が鮮やかで、バッキンガム宮殿の大広間を思わせるデザインだ。宮殿と同じく、豪華な額縁の絵画が各所に飾られている。
 尖塔のように捩(ね)じれ上がるヘッド部の飾りが目を引く、赤みがかったマホガニーのフレームが重厚なダブルのベッドが鎮座していた。猫脚のベッドサイドテーブル、アンティークのダベンポートデスク――傾斜蓋の天板が付いた背の高い机――、彫り込まれたデザインのフレームの二人掛けソファ。壁際には仕事用のアンティークデスク。正面には電気式の暖炉があり、その両側にデザイン的な本棚が置かれている。
「御堂先生は来られていませんか......?」
 藍川奈那子が錦野光一に訊いた。
「いや、誰も来ていませんね」彼は本棚に文芸誌を戻した。「御堂さんに何かあったんですか? 書斎にいるはずでは?」
「上から叫び声が聞こえたので、全員で上がってきたんです」
「少なくとも、ここには誰も来てませんよ」
「そうですか......」
 天童寺琉がマスターベッドルームに踏み入り、垂れ下がるシーツの端をめくり上げ、ベッドの下を覗き込んだ。
「一体何を――」
 山伏が訊くと、天童寺琉は顔を上げて答えた。
「念のための確認です」
 錦野光一が呆れ顔で言った。
「そんな場所に隠されている人間は死体だけですよ」
 その場の全員の顔が強張った。
 錦野光一はその表情の変化に気づいたのか気づかなかったのか、軽く肩をすくめた。
 藍川奈那子がシアタールームに続くダブルのドアを開け放った。娘の美々がソファに座って一人でアニメ映画を観ていた。場の雰囲気に不釣り合いなキャラクターの甲高い笑い声が上がっている。
「みーちゃん」
 彼女が呼びかけると、娘が顔を向けた。
「おかーさん!」大画面のスクリーンを指差し、興奮した声でまくし立てる。「みてみて! すごい!」
「御堂先生は来なかった?」
「みどーセンセイ?」
「そう。さっきご挨拶したでしょ」
 美々は小首を傾げた後、大きくかぶりを振った。
 天童寺琉がシアタールームに入り、ソファの裏側を確認した。山伏も釣られて目をやった。
 当然、誰の姿もない。
「マスターベッドルームでもシアタールームでもありませんね」天童寺琉が顎を撫でた。「二階のトイレを見てからゲストルームへ行きましょう」
 全員でマスターベッドルーム側から階段前に移動し、二階トイレのドアを開けた。鍵はかかっておらず、無人だ。
「残るは――ゲストルームですね」
 天童寺琉に付き従って廊下を進み、突き当たりにあるゲストルームに入った。フランスのロココ調の内装だ。マスターベッドルームと違って、室内も家具も白が基調になっている。クリーム色の壁にふんだんに施された壁面装飾(モールディング)、王妃が寝るようなクイーンサイズのベッド、装飾が華美な洗面化粧台とドレッサー――。
 一目で分かる。誰もいない。
 全員で顔を見合わせた。
 天童寺琉はいぶかしむ顔つきでクローゼットの折れ戸を開けた。ゴールドのハンガーラックがあり、バーに同色のハンガーが掛けられている。
 続けてマスターベッドルームのときと同じく、ベッドの下を確認した。
「ゲストルームも無人となると――」
 彼は奥の一面に引かれたカーテンを見つめた。
 藍川奈那子が奥へ向かい、両開きのカーテンをがばっと開いた。左右を大窓に挟まれたガラス扉が現れた。
 彼女が摘まみに手を伸ばしたとき、天童寺琉が横から手首を掴んで制止した。
「何をするんですか!」
 彼女が抗議の声を上げる。
「忘れたんですか。窓や扉を開けたら警報が鳴りますよ。御堂さんがそうおっしゃっていたはずです」
 藍川奈那子が「あっ」と声を漏らし、まるで熱した鉄に触れそうになったかのように腕を引いた。
 林原凛が「でも――」と口を挟んだ。「御堂さん本人なら警報を切って外に出ることは可能ですよ」
 山伏はガラス扉に近づき、外を覗き見た。吹雪によって白一色に染まっているものの、扉の先はボーリングピンを思わせる白いバラスター手摺りに囲まれたバルコニーになっている。
 石畳のバルコニーに御堂勘次郎が倒れ伏していることなどはなかった。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

Newest issue最新話

Backnumberバックナンバー