そして誰かがいなくなる第30回
12
一階から娘の名前を呼ぶ藍川奈那子の声を聞こえてきたので、錦野光一はマスターベッドルームを出て、階段の上から「どうしたんですか」と呼びかけた。
彼女の声が聞こえたらしく、山伏も心配そうな顔つきでゲストルームから出てきた。
彼女が階段下に顔を出した。不安に押し潰されそうな表情をしている。
「美々が――美々がいないんです」
「いないってどういうことです?」
「ソファで寝ていたはずなんですけど......」
錦野は顔を顰めると、山伏と共に階段を下りた。リビングへ入り、室内を見回す。
藍川奈那子がソファを眺めまま口を開いた。
「ここで寝ていたんです......」
「ええ」錦野はうなずいた。「それは僕も見てます。皆がそれぞれ動き回りはじめる前ですよね」
「はい。二階のトイレを利用して、マスターベッドルームで錦野さんと少し話してから戻ったら、
「そんな事件性があるみたいに......」
錦野はトイレに目を向けた。ドアの脇で明かりを放つウォールランプが目に入る。
「誰か入ってますね。目が覚めてトイレに行きたくなっただけじゃないですか」
「いえ、トイレは――」
水が流れる音がした後、少しの間を置いてからトイレのドアが開いた。出てきたのは天童寺琉だった。
「美々じゃありませんでした。さっき呼びかけたら、天童寺さんで――」
天童寺琉が錦野たちに怪訝そうな顔を向けた。
「どうかしましたか?」
彼女が半泣きの顔で答えた。
「娘がいないんです」
状況を聞くと、天童寺琉は冷静な口ぶりで言った。
「落ち着いてください。他の部屋は捜しました?」
「いえ......」
「そうですか。だったら何かがあったとはかぎりません。目が開いたとき、そばにお母さんがいなくて、その辺りを歩き回っているのかもしれません。一緒に捜してみましょう」
「お願いします」
彼女が切実な表情で頭を下げた。
「とりあえず、向こうを――」
天童寺琉が廊下のほうへ歩きはじめた。そのとき、廊下の先の木製扉が開き、獅子川正と安藤が顔を覗かせた。その後ろには老執事が控えめに立っている。
「あっ、ちょうどよかった」天童寺琉が話しかけた。「書斎に美々ちゃんが顔を見せませんでした?」
獅子川正と安藤は顔を見合わせた後、揃ってかぶりを振った。
「そうですか......」
藍川奈那子の表情が一瞬で暗くなる。
「どうかしたんです?」
獅子川正が深刻そうな顔で訊いた。藍川奈那子が二階のトイレを使った後、マスターベッドルームで錦野と少し話してから一階へ下りると美々がいなくなっていたらしい、と天童寺琉が説明する。
「ありえないでしょ。いくら小さいとはいえ、そんな短時間で消えるなんて。絶対、邸宅内にいるはずですよ」
「私もそう思っています。だからこうして捜しているんです」
天童寺琉がすぐそばのパウダールームのドアをノックした。
「はーい」
室内から林原凛の声が返ってきた。
「開けても構いませんか?」
「え?」
「確認したいことがありまして......」
少し躊躇するような間の後、「どうぞ」と返事があった。
天童寺琉が扉を引き開けた。
パウダールームの扉を開けると、扉が廊下を占拠して人が通れなくなる。
錦野は中を覗き込んだ。林原凛がボックスソファに腰掛け、ドライヤーを使っていた。流れ落ちる濡れ髪に色気が漂っている。
「もしかして――お風呂使ってた?」
錦野が訊くと、彼女は戸惑いがちに答えた。
「髪がべたついて気持ち悪かったので、服を着たまま洗髪だけ――」
考えてみれば当然だろう。パウダールームのロックも抜かれている。落ち着いて入浴はできない。
天童寺琉が「失礼します」とパウダールームに入った。「美々ちゃんを捜していまして」
「美々ちゃん?」
「はい。見ませんでした?」
「見てないですけど......いないんですか?」
「ソファで寝ていたはずなんですけど、少し目を離した隙にいなくなってしまったようで」
天童寺琉がガラス張りの浴室と反対側のランドリーに順番に目を這わせる。
「ここにはいませんね」
錦野は浴室のガラスドアを開け、バスタブを確認した。それからランドリーに入る。キャビネット風のチェストの上には、十数枚のタオル類が山積みになっているだけだ。
天童寺琉が彼女に言った。
「僕らは美々ちゃんを捜しています。林原さんも髪を乾かし終えたら手伝ってください」
「......もちろんです」
天童寺琉に続き、錦野はパウダールームを出た。扉を閉めると、書斎の前に突っ立っている獅子川正たちと目が合った。
「......一階にはいないみたいですね」天童寺琉が、ふう、と息を吐いた。「全員で二階を捜しましょう。まずはマスターベッドルームから」
錦野は首を捻った。
「マスターベッドルーム? そんなところにいるはずがないですよ。直前まで俺がいましたから。誰にも見つからず二階に上がることは不可能でしょ」
「美々ちゃんが目覚めて不安になって歩き回っているなら、一階にいるはずです。錦野さんの言うとおり、二階に上がったら必ず誰かと鉢合わせしています」
「だったら――」
「だからこそ、なんです」
天童寺琉はそこで言葉を濁した。
その悩ましげな表情を見て、ようやく彼の言わんとしていることが理解できた。
「つまり、美々ちゃんは自分の意思で歩き回っているわけじゃなく、何者かが――」
天童寺琉が小さくうなずくと、藍川奈那子が目を見開いた。彼女が震える声を絞り出す。
「美々は誰かにさらわれた......」
彼が緊迫した顔つきで彼女を見返した。
Synopsisあらすじ
何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!
Profile著者紹介
1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。
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