そして誰かがいなくなる第22回

「......隠し部屋があったりして?」
 凛は深い意味もなく、ふと思ったことを口にした。
「隠し部屋はアンフェアでしょう」獅子川正が苦笑いしながら答えた。「いや、現実とフィクションは違う、というツッコミは分かりますよ、もちろん。でも、隠し部屋があるってことは、御堂さんが自宅の設計段階から計画していたってことですよね? わざわざ隠し部屋を作るってことは、たぶん、消失劇などを演じて、招待客を驚かせたり楽しませたりするためだと思いますが、ミステリー作家の仕掛けるトリックとしてはアンフェアです。そう考えれば、本格推理小説の暗黙のマナーに反する仕掛けはないと考えるべきじゃないでしょうか」
「でも、隠し部屋がトリックになっている名作は数多くありますよね」
 凛は国内外の作品名を挙げた。
「ありますね。でも、その場合、冒頭などで、館自体に何らかの仕掛けがあることを明示してあることが多いですよね。隠し通路や隠し部屋が前提となっているので、読者に対してアンフェアではありません」
「御堂さんも後で隠し部屋の存在を仄めかすつもりだったかもしれませんよ」
「なるほど」錦野光一が口を挟んだ。「隠し部屋の存在を仄めかす前に御堂さんが消えた――。それはつまり、今回の"事件"は御堂さんが仕掛けた催しなどではなく、御堂さんを襲った犯人がいる、という事実を表していることになる」
 獅子川正が反論した。
「それだと"犯人"は御堂邸の隠し部屋の存在をなぜか知っていたことになりますよ」
「......そうですね」
「仮に隠し部屋があるとして、初めて御堂邸にやって来た招待客に知る術はなかったと思います。御堂さんが特定の一人にだけ教えたとも思えません」
 錦野光一は渋面でうなった。
「皆さん」藍川奈那子が言った。「執事の方に話を伺ったほうがいいのではないでしょうか」
 獅子川正がうなずいた。
「そうですね、そうしましょう。御堂さんに仕えている執事なら御堂邸に詳しいでしょうし、御堂さんが消えた謎に心当たりがないか訊いてみましょう」
「皆さんは先に下りてください。私は娘と一緒に。こんな事態になった以上、娘を一人にはしておけませんから」
 山伏が手を上げた。
「僕も一緒にいましょう。一人になるのは危険です」
 藍川奈那子は「ありがとうございます」と頭を下げた。二人でシアタールームへ入っていく。
 凛は他の面々――錦野光一と獅子川正、安藤、天童寺琉と一緒に一階に下りた。老執事はキッチンのアンティーク風のワゴンの前に、困惑顔で突っ立っていた。
「一体何が......」
 戸惑う老執事に事情を説明したのは、天童寺琉だった。老執事は眉間に皺を刻み、視線をさ迷わせている。
「――以上の理由から、今起きている事態は御堂さんの催しの一環などではないと思われます。執事として、御堂さんから事前に何か聞いたりしていませんでしたか?」
「それは――」
 老執事は言いよどんだ。
「何かあるんですね?」
「......会の最中に何かが起きたとしても、慌てず平静に振る舞ってくれ、とは申しつけられておりました」
「そのお話を聞くと、御堂さんが何らかの企みをしていたことは間違いありませんね。しかし、御堂さん自身にも不測の事態が起きてしまった――」
「......申しわけございません。私には分かりかねます」
「本当ですか? 何か隠していませんか。先ほどから動揺されているようにお見受けするのですが」
「それは――」
「隠し事はなしで、お話しいただけませんか。御堂さんの安否に関わるかもしれません。御堂邸に隠し部屋があるなどの話を聞いたことは?」
 老執事はためらいがちに口を開いた。
「実は私は雇われたばかりでして......」
 凛は「え?」と声を上げた。「御堂さんにずっと仕えている執事の方では?」
「......違います。私は執事(バトラー)を派遣している会社に所属しておりまして、一昨日、御堂様に契約していただき、初めて顔合わせをいたしました。私邸内を案内していただき、招待客に洋館の雰囲気を楽しんでもらうための協力をお願いされ、私は長年の執事であるような演技をしておりました」
 執事は雰囲気作りのための演出だった――。
 驚きの真実だった。
 だが、冷静に考えてみれば、実際に執事を雇い続けるには相当な費用が必要だろう。非現実的だ。御堂邸の雰囲気に呑まれ、執事という存在を自然と受け入れていた。
 天童寺琉が改めて確認した。
「では、御堂邸については僕らと同程度の認識しかない――ということですか?」
「......申しわけございません。派遣されたばかりですので。御堂邸のことは、皆さんをおもてなしするのに不自由しない程度にしか、知らされておりません」
 招待客たちが知らない情報を知っていると思っていたが、派遣の執事だったのなら、当てが外れてしまった。
 しばらくすると、藍川奈那子が娘の美々と一緒に下りてきた。後ろには山伏の姿もあった。ホームシアターのアニメ映画に夢中だった娘を納得させるのは大変だっただろう。
 彼女は不自然な場の空気を感じ取ったらしく、「どうしたんですか?」と誰にともなく尋ねた。
 錦野光一が事情を説明すると、藍川奈那子は驚いていた。老執事が「申しわけございません」と改めて謝罪した。
 山伏が「どうします?」と訊いた。「不測の事態で家主がいなくなりましたけど......」
 獅子川正が諦念の籠もった嘆息を漏らした。
「僕らにできることはもうありません。とりあえず、適当に時間でも潰しますか」
 皆がそれぞれ自由に過ごしはじめた。気がつくと、窓ガラスは闇の色に染まっていた。冬の午後六時はもう暗く、室内で灯されたLED電球のオレンジ色の明かりが洋館の雰囲気を強めている。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

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