そして誰かがいなくなる第20回


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 私の著作だけが消えている――?
 林原凛は本棚をまじまじと見つめた。ぽっかりと空いたスペースが不吉だった。
 なぜ――。
「そして誰もいなくなった......」
 背後のつぶやきに振り返ると、山伏だった。
「クリスティーですか?」
 尋ねると、彼がうなずいた。
「何となく共通点を感じませんか?」
 クリスティーの古典的名作『そして誰もいなくなった』では招待客が殺されるたび、置き物のインディアン人形が消えていく。
 まさか――と思う。
 御堂勘次郎が異様な――断末魔のような――叫び声を上げ、私邸から忽然(こつぜん)と消えた。彼の著作もごっそり消えていた。そして、次は――。
「山伏さん」錦野光一が咎(とが)めるように言った。「林原さんが不安がりますよ、そんなことを言ったら」
 彼は「あっ」と声を漏らし、恐縮したように答えた。「すみません、ふと連想したもので......」
 著作の消失が予告だとしたら――。
 ミステリー作家、御堂勘次郎の余興のつもりの悪戯なら何事もないだろう。だが、もし違ったら――。
「この中に御堂さんに危害を加えた人間がいるかも......」
 凛はそう言って面々の顔を見回した。全員の顔に緊張の色が表れている。
「危害って、さすがにそれは――」
 獅子川正が苦笑いしながらかぶりを振った。
「言いたくないですけど、作家には動機がありますよね......」
 錦野光一の右眉がピクッと反応した。
「盗作の告発の話――?」
「......そうです。御堂さんは今夜、誰かのベストセラーの盗作を暴露しようとしていました。私たちとは無関係の作家の作品じゃないか、なんて話も出ましたけど、もし違ったら? 心当たりがある作家が御堂さんを襲ったのかもしれません」
「待ってください」獅子川正が言った。「御堂さんの叫び声は二階から聞こえて、そのとき、僕と藍川さんはリビングダイニングにいました。林原さんはパウダールームです。二階にいたのは錦野さんだけですが――」
「俺が犯人ならそんな状況で犯行に及ぶと思いますか?」錦野光一は不快そうに反論した。「しかもシアタールームには女の子がいるんですよ。御堂さんが消えたのが何らかのトリックによるものなら、衝動的な犯行ではないでしょう。自分一人が容疑者となる状況下で、実行するなんて間抜けもいいところです」
 天童寺琉が「そうですね」と同調した。
「ところで――」天童寺琉の目がきらりと光った――気がした。「僕らが二階へ駆けつけて、御堂さんの叫び声の話をしたとき、錦野さんは反射的に天井を見上げましたね?」
 錦野光一の目が一瞬泳いだ。
「......何の話です?」
「叫び声のことを訊かれたとき、錦野さんは天井をちらっと見ました」天童寺琉が他の招待客たちを見回した。「他に気づいた人はいませんか?」
「......私も見ました」山伏が言った。「錦野さんはたしかに天井に目をやりました。ほんの一瞬でしたけど」
 全員の不審な眼差しが注がれて、錦野光一は居心地悪そうに身じろぎした。
 天童寺琉は『どうです?』と尋ねるような顔をしている。
 錦野光一は苛立ちを噛み殺すように言った。
「反射的に見たかもしれませんけど、それが何なんですか。何かを思い出そうとするとき、意味もなく上のほうを見る癖なんて、誰にでもあるんじゃないですか」
「それはあると思いますよ。しかし、錦野さんの焦点・・は天井に据えられていました。まるで、そこに何かがあるかのように――。考え事をするために視線を適当に上に向けた感じはしませんでした」
 山伏はその光景を思い出したのか、同調してうなずいた。
「何かあったのではないですか?」
 天童寺琉が鋭い眼差しで追及すると、錦野光一は唇を噛み、頭を掻き毟った。しばらく沈黙が続いたが、やがて諦念混じりの嘆息を漏らした。
「......いや、たしかに叫び声のようなものは聞こえた気はします。でも、気のせいかどうか分からない程度でしたし、間違いだったらいたずらに混乱を招いてもいけないと思って、言わなかっただけです」
「混乱を招くってどういう――?」
「......から叫び声が聞こえたんです」
 全員が「は?」と声を漏らした。彼の言葉の意味が理解できなかった。
「......はっきりした声じゃありませんでしたけど、妙な声が聞こえて、上を見ました。それっきりなので、また読書に戻ったんですが、しばらくして皆さんが血相を変えてやって来て」
 藍川奈那子が怪訝な顔で訊いた。
「上から――って三階ということですか?」
「いや」天童寺琉が答える。「御堂邸は二階建てのはずです。上は屋根裏では?」
「屋根裏――」
 天童寺琉が錦野光一に顔を戻した。
「なぜそのことを隠したんですか」
「全員が緊迫した顔で『二階から叫び声が......』なんて言うものだから、言いにくくなってしまったんです。ただそれだけです」
「......なるほど。とりあえず、確認してみたほうがいいですね」
 天童寺琉が書斎を出て行くと、全員が後に続いた。サーキュラー階段を上がって二階のマスターベッドルームへ戻る。
「この上から――?」
 天童寺琉が天井を指差すと、錦野光一は黙ってうなずいた。
 凛は天井を見つめた。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

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