そして誰かがいなくなる第26回
リビング内をうろついていた名探偵の天童寺琉が足を止め、スツールに腰掛けている安藤に話しかけた。
「そういえば、御堂さんが叫び声を上げたとき、安藤さんは書斎で電話番をしていましたよね」
彼は慎重な口ぶりで、「はい......」と答えた。質問の真意を探るかのように――。
他の面々の眼差しが二人に注がれている。
「御堂さんの声は聞こえなかった――という話でしたけど、確かですか?」
「それが何か――?」
「いえね、ゲストルームは書斎の真上にあります。もし御堂さんがゲストルームで叫び声を上げたのなら、リビングやホールにいた僕らより、書斎の安藤さんのほうがはっきりと声を聞いているのではないか、と思いまして」
彼の疑問の意味を理解した。
「なるほど......」山伏が口を挟んだ。「二階のゲストルームが
安藤は困惑を滲ませた顔で答えた。
「実は――僕はちょうど出版社からの電話を受けていまして、それで聞こえなかったのかもしれません」
「電話ですか?」天童寺琉が訊き返した。
「はい。御堂先生に電話番を任されましたから、待機していました。電話が鳴ったので、取りました」
山伏が藍川奈那子と顔を見合わせた。
「電話なんて鳴りましたっけ?」
天童寺琉は顎先を撫でながら、ダイニングの壁際に据えられたゴールドのコンソールに近づいた。大理石の天板に置かれた花瓶の横に、固定型の電話機がある。
彼は腰をかがめ、コンソールの脚のあいだを覗き込んだ。
「皆さん、見てください」
コンソールの前に集まり、下部を覗いた。電話のモジュラーケーブルが抜けている。
獅子川正が怪訝そうに言った。
「"クローズド・サークル"だと、電話線の切断は外部との連絡手段の遮断として定番ですけど......これは抜かれているだけですよね? 一体何の意味が......」
「分かりません。分かっているのは、いつの間にかダイニングの電話線が抜かれていた事実だけです。だから書斎で電話が鳴ってもダイニングでは鳴らなかったんですね」
トイレに差し込まれたメモ、消えた林原凛の著作、抜かれていたモジュラーケーブル――。それらは御堂勘次郎の消失と関係があるのか、ないのか。
謎だけが深まっていく。
天童寺琉はモジュラーケーブルを差し込んだ。
「一応戻しておきましょう」
山伏がダイニングチェアから腰を上げた。
「ちょっとトイレへ」
独り言のように言って、トイレへ歩いていく。ドアを開けて中に入り、閉める。
錦野は再び林原凛に話しかけようとした。トイレのドアが開く音がした。顔を戻すと、山伏が当惑した顔で出てきた。
トイレに入ってから十秒も経っていない。
「あのう......」
山伏は戸惑いがちに口を開いた。
「どうしました?」
天童寺琉が尋ねた。
山伏は少し言いよどんでから、トイレのドアを一瞥した。
「鍵が――」
「鍵?」
「......はい。
錦野は思わず「は?」と声を漏らした。「失礼」空咳をしてから訊く。「鍵がなくなるって、何の話をしているんですか」
山伏は指先でボタンを押すようなジェスチャーをした。
「内側から押して鍵を掛けるやつが――ないんですよ」
全員でトイレの前に移動した。天童寺流がドアを限界まで引き開けた。ドアの内側が見えるようになる。
錦野はノブに顔を近づけた。
ノブの横にあった、小型ネジのような
押し込めば鍵が掛かり、外側からノブが回らなくなるのだ。
天童寺琉はでっぱりが消えた穴をまじまじと眺めた。
「たぶん、ネジ状になってるんでしょうね。だから摘まんで回せば簡単に取れるんです」
「でも、なぜ――」林原凛が小首を傾げた。「トイレの鍵を抜き取って何の意味があるんでしょう?」
「......分かりません」
彼は思案するようにうなった。しばらく沈黙を続けた後、振り返った。
「他の部屋も確認してみましょう」
藍川奈那子が「え?」と反応した。
「トイレだけ鍵を消してしまう理由が思い当たりません。それなら、念のため――と思いまして」
全員で廊下にあるパウダールームへ移動した。ドアを引き開け、ノブの脇を調べる。
鍵のでっぱりは――抜き取られていた。
全員で顔を見合わせた。
「パウダールームまで......」
林原凛が困惑顔でつぶやいた。
「ということは――」
天童寺琉が難問に遭遇したような顔で書斎へ歩いていく。
ドアを押し開け、全員で書斎に入った。内側から確認すると、大方の予想どおり、鍵のでっぱりは抜かれていた。二階に上がってトイレもマスターベッドルームもゲストルームも調べた。同じく鍵は消えていた。
マスターベッドルームに集まって話し合う。
林原凛が不安そうに訊いた。
「一体誰がこんなことを――」
天童寺琉が苦悩の顔で答えた。
「朝から全員が自由に行動していました。各部屋の鍵を摘まんでくるくると回して外す程度、誰にでも簡単にできたと思われます」
「何のために鍵を――」
「簡単だよ」錦野は答えた。「犯人は――御堂さんに危害を加えた犯人がいるとしてだけど、
全員がぎょっとした顔をした。
林原凛の表情に落ちた不安の影が色濃くなった気がする。
「......どういう意味ですか?」
「シアタールームの後ろ側のドアは元からロックがないし、これで全ての部屋は誰でも出入り自由だ。本格推理の定番、"襲われることを恐れて部屋に鍵を掛けて閉じこもる"――ができなくなったわけだ」
「安全の確保ができなくなった――ってことですね?」
錦野は彼女の肩を軽くぽんと叩いた。
「俺と一緒なら安全だよ」
彼女は先ほどと同じく微苦笑を返してきただけだった。
反応の薄さが物足りず、錦野は内心でため息を漏らした。もう少し感謝されて、頼られると思っていた。
獅子川正がマスターベッドルームのヴィクトリアン調チェアに腰を落とした。
「まあ、でも、本格推理小説の定番――という意味では、恐慌に陥って一人で部屋に閉じこもった人間が次の犠牲者になりがちなので、逆に考えれば、そういう展開の心配はなくなった、とも言えます」
藍川奈那子が眉間に縦皺を刻みながら言った。
「でも、鍵が掛からないのはやっぱり不安です。全員で一部屋に集まって夜を明かすのも、ちょっとあれですし......」
猛吹雪は一向に弱まる気配がなく、まだ二、三日は滞在を余儀なくされそうだ。
「ところで――」天童寺琉が口を開いた。「鍵の件とは別に個人的に気になっていることがあります」
全員が彼に目を向けた。
天童寺流はもったいぶるように――あるいは沈黙の効果で注目を集めるように一呼吸置いてから言った。
「御堂さんは覆面作家だったんですよね。僕たちの前に現れた御堂勘次郎は果たして本物だったんでしょうか?」
Synopsisあらすじ
何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!
Profile著者紹介
1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。
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