そして誰かがいなくなる第39回
安藤は下唇を噛むと、南の本棚へ目を投じた。
「......僕は犯人ではありません。担当編集者として、御堂さんから隠し部屋の存在を聞かされていて、知っていただけなんです。昨夜は犯行予告状を受け取って、様子を見に行ったんです」
「隠し部屋への入り方は?」
安藤は本棚に歩み寄り、「これです」と六段目の右端にある一冊の文庫本を指差した。
「実はこの文庫本は
「それが
「はい。これを傾けると――」
安藤はダミーの文庫本の頭に人差し指を添えると、手前に傾けた。ガチャッと音が鳴った。
全員が互いに顔を見合わせた。
「これでロックが外れました」
安藤が隣の本棚に手を添え、ぐっと押し込んだ。重々しい音と共に本棚が動いた。
「これは――」
錦野光一は目を瞠っていた。
本棚が扉となって開き、隠し部屋が現れた。狭苦しい石張りの部屋で、アイアンの手摺りの先に地下への階段がある。
どうやら御堂勘次郎は生粋のミステリー作家らしく、自宅の書斎にとんでもない仕掛けを作っていたようだ。ミステリーの愛読者としてはロマンを感じる。
「どうぞ、先へ」
天童寺琉が促すと、安藤は不承不承という顔つきで隠し部屋に入り、階段を下りはじめた。
安藤を残してしまったら、閉じ込められかねないからだろう。
天童寺琉は隠し部屋に踏み入ると、内側からロックのワイヤーを指で撫でた。
「内側からでも簡単に鍵が開くカラクリになっていますね。外からロックされても心配はありません」
天童寺琉が階段を下りはじめると、山伏も続いた。全員で地下へ下りる。
ヨーロッパの地下遺跡を思わせる石張りの廊下が延びており、仄明かりがたいまつのようにゆらゆら揺れるウォールランプが右側の壁に並んでいる。
御堂邸の下にこのような空間が存在していたとは――。
山伏は廊下をまじまじと眺めながら歩いた。奥に着くと、リビング並みの広さの空間に出た。大型ミラーに鉄格子が嵌まっており、牢屋の先に自分たちが囚われているように見える。
そして――"御堂勘次郎"が重厚な王の椅子(キングチェア)に両手足を拘束され、頭(こうべ)を垂れていた。心臓部には中世ヨーロッパ風の刀剣が突き刺さっている。
「御堂さん......」
山伏は愕然とした。戦慄が背筋を這い上ってくる。
家主の"御堂勘次郎"が刺殺されていた。
誰もがその凄惨な光景に息を呑んでいた。
錦野光一が安藤を睨みつけた。
「あんたがこれを――?」
安藤は弱々しい表情でかぶりを振った。
「僕じゃありません。御堂先生から聞かされていた隠し部屋の存在を思い出して、昨晩、初めてやって来て――。そうしたら御堂先生のご遺体が......」
天童寺琉が御堂勘次郎の死体に近づき、体に触れた。瞳孔を確認した後、腕に触れる。
死後硬直の具合でも調べたのかもしれない。
「やはり、御堂さんの遺体がありましたか。想像したとおりでした。断定はできませんが、死後二、三日でしょう。一週間も十日も経っていることはまずありません。室温が安定しているので、この見立ては外れていないと思います」
錦野光一が天童寺琉に話しかけた。
「叫び声がしたときに殺された――ってことですか」
「可能性はありますね」
「"犯人"は二階で御堂さんを殺害して、それからこの地下室へ運び込んで隠した――と?」
天童寺琉は釈然としないように顎先を撫でている。
「なぜ黙っていたんです?」錦野光一が安藤に訊いた。「御堂さんの遺体を発見して、俺らに黙っているなんて、あんたを疑うなというほうが無理でしょ」
「......起きたら藍川さんが殺害されていて、騒動になっていて、言いそびれたんです」
「言いわけじみてますね、それ。そもそも深夜にこっそり隠し部屋に入ってる時点で犯人でしょ。そうじゃなきゃ、御堂さんの遺体を見つけたらすぐに全員を起こして伝えるはずですよ」
「それは――」
安藤は視線を逃がし、黙り込んだ。
一定の室温に保たれているにもかかわらず、遺体を前にしていたら、気のせいか肌寒さを覚えた。
沈黙が重苦しくのしかかってくる。
林原凛が口を開いた。
「結局、この御堂さんは本物だったんでしょうか。偽者だったんでしょうか」
錦野光一が答えた。
「どうだろうね。偽者だとしたら、誰になぜ殺されたのか。"御堂勘次郎"に成り代わって何を企んでいたのか。本人が殺されてしまった以上、俺らには何も分からないね」
天童寺琉は科学者が顕微鏡を覗くような眼差しで、地下室を歩き回りはじめた。
壁際には宝箱を模したボックスがあり、その上に数種類の陶器の壺が並んでいた。額縁に収められた絵画が何枚も重ねて壁に立てかけられている。
片隅には、書斎の本棚から消えていた御堂勘次郎の著作が山積みになっている。
山伏は三十センチ四方の天井の吹き出し口を見た。一階や二階と温度が変わらないのは、地下室にも全館空調(セントラルヒーティング)が通っているのだろう。
「とりあえず......」錦野光一が言った。「"被害者"ははっきりしましたね。御堂さんです。後は"犯人"の苗字を数字化して入力したら金庫が開くはずです」
林原凛は緊張が絡みつく息を吐いた。
「私、もう上に戻ります。こんな場所にいたら恐怖に押し潰されそうです」
天童寺琉は宝箱形のボックスを撫でながら、「僕はもう少しここを調べてから戻ります」と言った。
山伏は彼女に言った。
「それでは一緒に戻りましょう」
二人で通路に向かうと、錦野光一が「俺も」と追いかけてきた。安藤も無言でついてくる。
天童寺琉以外のメンバーが書斎へ戻った。
「じゃあ、金庫を開けますか」錦野光一が金庫に近づいた。「三桁目、四桁目は『MIDO』の『41』で確定ですね。"御堂勘次郎"が藍川さんより先に殺されていたなら、"御堂勘次郎"が設定したはずの暗証番号の"被害者"は当然彼女じゃないですからね。後は"犯人"の苗字ですけど......」
安藤が「僕は違いますよ」とすぐ否定した。「さっき、その暗証番号で開きませんでしたよね」
錦野光一は小さく舌打ちした。
「......まあ、順番にいきますか」
彼は"被害者"として『林原』と『山伏』、『天童寺』の苗字を数字に置き換えて入力した。『獅子川』の苗字は三桁になるので、下の二桁を入力した。だが、開かなかった。
「駄目か......。一応、執事の人も」
錦野光一は老執事の苗字――『相原』を入力した。だが、結果は同じだった。
「おかしいな......」
彼が怪訝そうに首を捻った。
「......あなたがまだですよ」
口出ししたのは林原凛だった。
錦野光一が「は?」と振り返る。
「自分の名前も試してみるべきでは?」
「無意味だよ」
「それは試してから言ってください」
彼はうんざりしたようにため息をついた。
「俺の苗字は『108』で獅子川さんと同じだ。彼の苗字で開かなかったんだから、俺も同じだよ。犯人じゃない」
林原凛が入れ替わりで金庫に歩み寄り、「念のために......」と言いながら数字を打ち込んだ。
その瞬間――。
電子音がして金庫が開いた。
錦野光一が「え!」と驚きの声を上げた。「どうして――」
驚いているのは林原凛も同じだったらしく、言葉をなくして金庫の前で立ち尽くしている。
「一体誰の名前を――」
林原凛が困惑の顔で振り返ったとき、隠し部屋から天童寺琉が出てきた。面々の様子を一瞥する。
「どうかしましたか」
山伏は彼に言った。
「金庫が......」
天童寺琉が壁の金庫に目を向けた。
「開いたんですか。苗字の総当たりで?」
林原凛が「はい」とうなずく。
「暗証番号は何だったんですか」
「......『4641』です」
錦野光一が首を傾げた。
「『46』ってたしか――」
「はい」林原凛が言った。「
「......藍川さんが"犯人"? だけど、それじゃ"犯人"がすでに殺されてることになるよ。最初に殺されたのが"御堂勘次郎"で、犯人が藍川さんで、その藍川さんも誰かに殺された――」
「そもそも、金庫の暗証番号を設定したのが御堂さんだとしたら、最初から自分が藍川さんに殺されることを承知していたことになってしまいます。それはおかしいのでは? 殺されると分かっていたら警戒するはずです」
「たしかに......」
一体どういうことなのか。
錦野光一は怪訝な顔をしながら金庫に手を突っ込み、革袋を取り出した。
「暗証番号解読の報酬は――何かな」
彼が革袋の口を開け、中から出したのは――。
スマートフォンだった。
「私の......」
林原凛がつぶやいた。
「全員の分があるね」
錦野光一は革袋から他のスマートフォンを取り出し、報酬のように掲げてみせた。
山伏は自分のスマートフォンを受け取った。
「これで外部との連絡が可能になりますね」山伏は天童寺琉を見た。「それにしてもなぜ藍川さんが"犯人"なんでしょう。何か分かりますか」
天童寺琉は、しばし黙ったまま顎を撫でた。書斎の出入り口へ向かい、老執事を呼び寄せる。
「いかがいたしましたか」
美々の面倒をみていた老執事がやって来ると、天童寺琉が彼の耳元に何事かを囁いた。老執事が目を剥き、絶句する。
「......本当でございますか」
声に動揺が混じっている。
「はい。ですからお願いします」
老執事は書斎を去った。
「何を伝えたんです?」
山伏は天童寺琉に訊いた。
「すぐに分かります。少しお待ちください」
錦野光一と林原凛が顔を見合わせた。
何の指示だったのか、何も分からないまま数分待った。やがて廊下から足音が近づいてきた。
老執事が戻ってきたのだと思った。
だが――。
書斎に現れたのは、殺されたはずの藍川奈那子だった。
Synopsisあらすじ
何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!
Profile著者紹介
1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。
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