そして誰かがいなくなる第1回

 御堂勘次郎(みどうかんじろう)は無機質石灰岩(トラバーチン)がレンガのように貼られた地下室の中で、重厚な王の椅子(キングチェア)に両手足を拘束されていた。ヨーロッパ王室の玉座を復刻したアームチェアだ。オールハンドメイドで、全体にロココ調の彫刻が施されており、アーム部分はライオンの顔が彫り上げられている。椅子全体が相当な重量で、身動きが取れない。
 輸入家具の専門店で見つけたキングチェアが、今は自分を監禁する拘束台と化していた。
 石壁には、たいまつ形のウォールランプが等間隔で並んでいた。上向けのガラスシェードの中では、炎が揺らめくようなLEDが橙色の仄明かりを発している。
 御堂は脇に目をやった。
 壁際には宝箱を模したボックスが鎮座しており、その上に十八世紀ヨーロッパの刀剣が置かれている。隣には数種類の陶器の壺が乱雑に並び、額縁に収められた絵画が何枚も重ねて壁に立てかけられていた。
 刀剣を見つめるが、近づくことさえできない。もっとも、模造刀だから手にできたとしても麻縄は切れないだろう。
 なぜこんな目に遭わせるのか。
 目的も動機も分からない。
 信じられない裏切りだ。ジョークなら笑えない。
 全館空調(セントラルヒーティング)が地下まで通っており、快適な温度を保っているものの、緊張と疲労から額(ひたい)に汗が滲み出ていた。拘束を解こうとずいぶんもがいたせいもあり、湿ったシャツが背中に貼りついている。握り締めた拳の中も汗でぬめっていた。
 地下室に時計の類いがないので正確な時間は把握できないが、拘束されてから体感では一時間以上が経っている。一体いつまで放置しておくつもりなのか。
 壁と同じく、床もトラバーチンの石畳状になっている。埃っぽい空気が立ち込めている。
 ――まるでファンタジーゲームの拷問部屋のようですね。
 洋館の建築に携わった建設会社の面々や、大工などの職人が口を揃えてそう言った。
 それが現実になろうとは想像もしなかった。
 鼻で呼吸しながら、正面に並ぶたいまつ形のランプを眺め続けた。揺らめく明かりを見つめていると、催眠にかかりそうだった。
 ゆらゆら、ゆらゆら、ゆらゆら――。
 自分が創作物の中の登場人物で、決められた役割(ロール)を与えられているような錯覚に囚われる。
 本格推理小説ならば、さながら惨劇の幕開けとなる最初の犠牲者。むごたらしく殺され、異常なシチュエーションで発見される役目――。
 発見者たちは当然、その時点では犯人が分からず、自分たちの中に殺人犯がいる可能性を想像し、疑心暗鬼に駆られて心が蝕まれていく。次々と殺されていく登場人物。残された人数がわずかになったとき、探偵役が全員を集めて名推理を披露する。
 本格推理小説のクライマックスであり、最大の見せ場だ。
 難問の数式のように美しく、鮮やかな論理(ロジック)。緻密な推理劇に読者は本を閉じることができなくなる。
 だが、これは間違いなく現実なのだった。手首に食い込む麻縄の痛みがそれを教えてくれる。
 御堂は口を塞ぐガムテープの下で歯噛みした。
 助けが来ることは決してない。何しろ、今このとき、自分と犯人以外にこの地下室の存在を知る者はいないのだから。
 地下室に響くように、談笑の声が漏れ聞こえてきた。招待客たちは何も知らず、無邪気に楽しんでいるようだ。
 御堂は叫び声を上げようとした。だが、くぐもった音がむなしく漏れるだけだった。
 口を塞がれていては、助けを求める声は誰にも届かない。
 白髪交じりの髪の生え際から滲み出た汗の玉が鼻筋を伝い、赤いベルベットの座面にしたたり落ちてシミを作る。
 やがて、階段が軋む音が耳に入った。
 御堂は顔を向けた。通路の向こう側から犯人がゆっくりと姿を現した。緊張で張り詰めた顔つきだ。眼差しにはある種の覚悟が宿っている。
 その表情を見て、心臓がにわかに騒ぎはじめた。鼓動のたび、肋骨を内側から叩かれて胸が痛む。持病の心臓病が発作を起こしそうだ。
 犯人は御堂の前を素通りし、宝箱を模したボックスに近づいた。そして――刀剣を手に取った。フリーメイソンのマークが刻まれた十八世紀の十字剣だ。鞘から抜くと、鈍(にび)色の刀身が現れた。
 振り返り、一歩ずつ迫ってくる。
 御堂は目を剥いた。
 一体何をするつもりだ――。
 問いたくても声は出せない。ミステリー作家をからかっているのか? 壮大なドッキリなのか?
 だが、思い詰めたようなその表情は、笑い話で済ませるつもりがないことを示していた。
 恨まれる理由に思い当たらない。
 右手に握った十字剣を腰の前に構えた。模造刀だから先端は矯めてあるものの、合金製で硬く、力いっぱい突き出せば充分殺傷能力はあるだろう。
 まさか――。
 犯人の目は据わっていた。瞳の奥に宿る殺意は本物だ。
 一体なぜ――。
 恐怖で麻痺しつつある頭の中は、ただただ疑問だけが渦巻いていた。
 犯人は刀剣を構えたまま左腕を伸ばし、御堂の口を覆うガムテープを引っぺがした。鼻の下に生え揃った白い口髭が一緒に剥がれたらしく、激痛を感じた。ガムテープの裏側にはびっしりと髭が付着しているだろう。
 御堂はすぐさま助けを呼ぶ声を張り上げようとした。だが、その瞬間、十字剣が突き出され、左胸に呑み込まれた。
 御堂は断末魔の叫びをほとばしらせた。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

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