そして誰かがいなくなる第33回


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「美々ちゃんがいました!」
 山伏の声が響き渡ったとき、藍川奈那子はシアタールームを飛び出した。声は一階からだった。
 サーキュラー階段を下りると、天童寺琉と獅子川正が廊下に立ってパウダールーム内を見つめていた。
「美々!」
 奈那子は声を上げ、パウダールームに駆けつけた。二人を押しのけるように中に入る。
「美々は無事なんですか!」
 山伏がいるのは浴室だった。ガラス戸が開いたままになっており、こちらに背を向けてバスタブを凝視している。
 山伏が振り返ると、奈那子はその表情を見据えた。彼の顔に恐怖などは貼りついておらず、むしろ安堵の色がある。
 奈那子はごくっと唾を飲み込んだ。
「娘さんは――」山伏が静かに口を開いた。「たぶん、大丈夫です。息はしています」
 彼が脇に避(よ)けると、奈那子は浴室に進み入った。乳白色のバスタブの中に、美々が丸まるようにして横たわっている。
「美々......」
 奈那子は美々に触れた。体温はちゃんとあり、寝息に合わせて胸が上下している。
「よかった......」
 胸を撫で下ろし、娘を抱え上げた。パウダールームを出ようとすると、廊下に全員が集まっていた。
「大丈夫でした。寝ているだけです」
 奈那子はそう言うと、美々をリビングに運んだ。二人掛けのヴィクトリアンソファに運び、横たえた。
「美々。美々――」
 心配そうな眼差しに取り囲まれる中、娘を揺さぶりながら何度も呼びかけた。
 やがて美々がまぶたをこすりながら目を開けた。寝ぼけ眼(まなこ)で母親を見つめる。
「お母さん――?」
 娘の声を聞いたとたん、安堵が全身に広がった。思わず小さな体を目いっぱい抱き締めた。
「よかった、本当に――」
 万が一のことがあったらどうしようかと思った。もう一時(いっとき)も目を離さないと誓う。
 しばらくして落ち着くと、他の面々が話し合いはじめた。
「美々ちゃんは今までどこにいたんでしょう」
 天童寺琉が疑問を投げかけると、錦野光一が顰めっ面でかぶりを振った。
「......俺たち、全ての部屋を捜しましたよね」
「はい」山伏が答えた。「全員でくまなく。一階も二階も調べました。三歳の女の子を隠せそうなキャビネットの中も、ベッドの下も、全部」
「それでも見つからず、バスタブに......」
「浴室も調べましたよね?」
「ええ。俺と天童寺さんがパウダールームに入って、バスルームとランドリーを確認しました。バスタブの中も見ましたけど、その時点では美々ちゃんはいませんでした」錦野光一は林原凛に顔を向けた。「だよね? 林原さんも見てないでしょ」
 彼女は困惑が貼りついた顔でうなずいた。
「私がドライヤーを使っていたときはもちろん誰もいませんでした。錦野さんたちが二階に捜しに行った後、私は髪を乾かし終えて、合流しました」
「その時点では全員が二階にいたよね。やっぱり"犯人"は消失を演じた御堂勘次郎――」
「私たちが二階に集まっている隙に一階で行動している人間がいた――としか考えられません」
 天童寺琉が「それにしても――」と切り出した。「その"犯人"の目的は一体何だったんでしょう。三歳の女の子を一時的に隠して、一時間ほどで返したわけです」
 錦野光一が「たしかに奇妙ですね」と首を傾げた。
「何の意味もない行動です。それどころか、御堂邸に僕たち以外の人間がいることを証明してしまっただけです。それが偽者の御堂勘次郎なのかどうかは分かりませんが」
「本格推理小説なら、混乱を生じさせておいて、分断を煽ったり、個別行動を誘発して、その隙にターゲットを殺害するシーンです。でも、今回は何も起こりませんでした」
 奈那子は口を挟んだ。
「私たちが警戒していたから、"犯人"は行動を起こせなかったんじゃないでしょうか。どんな理由があっても、幼い美々を利用するなんて、許せません」
 美々の姿が消えていて、一階にも二階にも見当たらなかったときは生きた心地がしなかった。
 そんな気持ちに寄り添われることなく、推理合戦をしている男性たちにも苛立ちが募った。理性が辛うじて勝ったが、よっぽど衝動のまま感情をぶつけようかと思った。
 だが――。
 こうして美々が無事に発見されてよかった。
"犯人"の目的が分からない現状、誰がいつ狙われるか――。
 奈那子はますます強く娘を抱き締めた。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

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