そして誰かがいなくなる第42回
23
錦野光一は天童寺琉を見た。
「犯行現場が地下室――?」
「そうです」天童寺琉がうなずいた。「御堂さんは地下室で、おそらくキングチェアに拘束された状態で殺されたんです」
「じゃあ、俺たちが聞いた叫び声は、御堂さんの絶叫をあらかじめテープに録音でもして、それを流したと?」
「いくらなんでもそんな」林原凛が口を挟んだ。「テープの音声だったら、不自然さに気づいたのでは?」
「その場で聞いたなら気づいただろうけど、そうじゃないんだし、分からなくても仕方ないんじゃないかな」
「私たちは一階で叫び声を聞きましたけど、錦野さんは二階にいましたよね? 録音音声だと気づきました?」
「いや――。そもそも、俺もその場で聞いたわけじゃないしね」
「錦野さんは屋根裏から聞こえたって言いましたよね。その問題も気になります」
錦野は天童寺琉に顔を戻した。
「叫び声は天童寺さんも聞きましたよね? あれは――」
「今から少し実験してみましょう」
天童寺琉は再び老執事を呼び、何事かを耳打ちした。老執事はうなずき、地下室へと続く隠し扉の向こうに姿を消した。
「では、僕らはリビングへ」
彼に付き従って全員でリビングルームへ移動した。安藤の顔色は心なしか土気色になっている。
「ここで一体何が――」
錦野は当惑しながら訊いた。
「まあまあ。慌てずに」天童寺琉は腕時計で時刻を確認した。「そろそろですね」
彼が人差し指を唇に添え、沈黙が降りてきたときだった。叫び声が聞こえ、全員の視線が天井を向いた。
「今のは――」
錦野は面々の顔を眺め回した。
「執事の人の声でした」藍川奈那子が言った。「二階から聞こえました。地下室に下りたはずじゃ――」
天童寺琉がにやりと笑い、「地下室を見に行きましょう」と廊下へ向かった。
全員で書斎に戻って隠し部屋に入り、階段を下りた。地下室へ移動すると、御堂勘次郎の死体の隣に老執事が立っていた。
「いつの間に――」
錦野は唖然としながらその様子を眺めた。
二階から叫び声が聞こえ、すぐ地下室へ移動した。それなのに老執事がもうここに立っている。まるで同じ人物が二人存在しているかのように――。
天童寺琉が老執事に話しかけた。
「遺体と二人きりにしてしまって、申しわけありませんでした。実験のために必要なことだったんです」
林原凛が急いたように言った。
「これはどういうことなんですか? 一瞬で地下室と二階を行き来したんですか?」
天童寺琉は「いいえ」とかぶりを振った。「
「え? でも、叫び声は二階から――」
「その秘密はあれです」
天童寺琉は天井を見上げた。彼の目線の先には――全館空調(セントラルヒーティング)の吹き出し口があった。
「屋根裏を調べたとき、黒い大蛇のようなダクトが這い回っているのを見ました。全館空調は全ての部屋の室温を一定に保てるのがメリットで、屋根裏の空調システムから各部屋に延びたダクトを通して、空気を送り込んでいるらしいですね」
「何となく分かります」
「つまり、
錦野ははっとした。
「お気づきになりましたか。
「俺がマスターベッドルームで
「そうです。地下室で絶叫した御堂さんの声は、全館空調のダクトを通して全ての部屋に届きました。リビングとマスターベッドルームで聞こえた声の大きさの違いの謎も、それで説明できます。叫び声の発生場所が地下室だったので、一階より二階のほうが小さく聞こえるのは至極当然です」
「ここが犯行現場ということは――」
林原凛がつぶやくように言いつつ、安藤に目を向けた。
「はい」天童寺琉が言った。「必然的に、犯行時刻にたった一人で書斎にいた安藤さんが犯人です」
安藤が下唇を噛み締めた。
「犯行の手順はこうです。安藤さんは、書斎で一人きりになった御堂さんを訪ね、言葉巧みに一緒に地下室へ向かい、そこで襲いかかって彼を拘束します。その後、タイミングを見て、御堂さんを刺殺します。その際の叫び声が全部屋の天井――全館空調の吹き出し口から聞こえます。僕らは慌てて二階へ駆け上がりました。当然、御堂さんの姿はありません。犯行を終えた安藤さんは、隠し部屋から書斎に戻って本棚扉を直し、僕らがやって来るのを待っていたわけです」
天童寺琉はどうですかと言わんばかりに両腕を開いた。
「これが"御堂勘次郎"消失のトリックです」
安藤はもう言いわけすらしなかった。黙り込んだまま、視線を外している。
毒々しい血の色で書かれた文字が記憶に蘇る。
『御堂勘次郎が暴露する盗作作品を知りたければ、マスターベッドルームを調べろ』
御堂勘次郎の声が天井から聞こえて、全員が二階へ駆けつけると知っていたから、思わせぶりなメモでマスターベッドルームへ誘導したのだろう。二階を犯行現場だと誤認させ、容疑者に仕立て上げるために。
錦野はメモの話をそのときの状況とともに告白した。
「もちろん、俺も盗作した覚えはありませんよ。でも、意味深なメモだったので、気になって調べたんです。まさかそれが罠だったとは思いもせず......」
山伏が戸惑いがちに口を挟んだ。
「しかし、担当編集者がなぜ......。そんなトリックまで弄して御堂さんを殺害するなんて」
安藤は目を逸らし続けている。
天童寺琉が彼を見ながら言った。
「おっしゃるとおり、原稿のやり取りをしているだけの担当編集者と作家のあいだに殺人の動機が生まれるとは考えにくいです」
「ではなぜ......」
「核心に入る前に一つ」天童寺琉が人差し指を立てた。「僕らは"御堂勘次郎"が本物なのか偽者なのか、という問題を論じました。そもそも、どうして御堂さんを疑ったのか、覚えていますか?」
錦野は彼を見返し、答えた。
「安藤さんとのやり取りに不自然さがあったからですよ」
――編集者としても、自分の担当作が取り上げられると嬉しいものだね。
御堂勘次郎がそう言うと、安藤は困惑を見せながら『獅子川さんの担当は僕ではありませんよ』と答えた。
――ああ、そうだったか。すまんすまん、勘違いしていた。別の作家と間違えていたかもしれん。
――ボケるような年齢でもないんだがね。
「はい」天童寺琉が言った。「安藤さんとの会話が引っかかっていた僕が疑問を口にして、全員で話し合いました。覆面作家"御堂勘次郎"の顔はもちろん、声すら誰も知らない。成り代わるなら恰好の人物です」
「推理小説の定番のパターンですよ」
「しかし、結局のところ、僕らには本物なのか偽者なのか、判断することはできませんでした」
「誰も本物を知らないんだから、そもそも、あれこれ推測したところで答え合わせができませんしね」
天童寺琉は一呼吸置き、低く抑えた声で言った。
「僕たちは間違っていたのかもしれません」
「何がです?」
「逆だったんですよ」
「逆?」
天童寺琉は安藤に視線を移した。
「......
Synopsisあらすじ
何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!
Profile著者紹介
1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。
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