そして誰かがいなくなる第12回


            4

 どうやら招待客が出揃ったようだ。
 林原凛は全員を見回した。
 作家は四人。自分以外には錦野光一、獅子川正、藍川奈那子。そして、文芸評論家の山伏大悟、仁徳社の担当編集者である安藤友樹、名探偵の天童寺琉――。
 御堂勘次郎を含めれば八人だ。
「では、書斎へ案内しよう」
一階のトイレの場所を教わった後、皆と一緒に廊下へ進み入った。アーチ天井の廊下にはクリーム色の腰パネルがあり、壁は薄水色に塗装されている。天井からは四灯の小型シャンデリアが二つ、等間隔で吊るされていた。真鍮製で、中心に地面に向けて矢じりが刺さっているようなデザインだ。
「絵画が素敵ですね」
 御堂の真後ろを歩く藍川奈那子が立ち止まり、壁に掛けられた豪華な額縁入りの絵画を眺めていた。
「エミール・ヴァーノンですよね」
 彼が振り返り、嬉しそうに反応した。
「良く知っているね」
「大学では美術を専攻していましたから」奈那子がはにかみながら答えた。「"美しい時代(ベル・エポック)"のフランス人画家ですよね」
 石段に腰掛けて手摺りに片肘をつき、真っ赤なポピーの花を左手に持った女性の絵だ。ビニールのようなシースルーのシャツを着ていて、胸の谷間も半分以上覗いている。
「複製画の安物だがね。原稿用紙一枚の原稿料でお釣りがくる。盗まれても痛くはないよ。むしろ、前面ガラスの額縁のほうが高いくらいだ」
「そうなんですね。全然そんなふうには見えません。お高いとばかり――」
「私に絵画の審美眼はないからね。一億の絵も一千万の絵も一万の絵も区別がつかん。区別がつかないなら、別に安物でも構わんだろう?」
 彼はそう言って豪快な笑い声を上げた。
 噂に聞いていた御堂勘次郎は、高慢な偏屈者――というイメージだったが、実際にこうして会ってみると、意外に気さくだ。
 凛は反対側の壁を見た。掛けられている絵画は――これは誰でも知っている名画だ。
 美術専攻でなくても分かる。
 モナ・リザ――。
 作者はイタリアの美術家、かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ。
 壁面装飾(モールディング)が施された柱や、アーチ天井の廊下に飾られていると、ヨーロッパの美術館のような雰囲気を醸し出している。
 廊下の右側には、磨りガラスのハング窓が並んでいた。縦長で大きめの窓だ。
 御堂勘次郎は、廊下の左側にある茶褐色の木製扉を引き開けた。
「ここがパウダールームだよ」
 暗赤色のシャビーな壁紙が古びたヨーロッパの城(シャトー)風の室内だった。壁の下部には、ベージュの大きめのブリックタイルが貼られている。正面には、装飾的なデザインの洗面化粧台がどっしりと構え、重厚な額縁のミラーが招待客たちを映している。
 室内の後ろには、赤いベルベット生地のボックスソファが壁に寄り添うように置かれていた。壁上部の時計は、ハープを模したデザインで、茶褐色だ。アンティーク真鍮(ブラス)仕上げのダブルタオルバーに、赤系のタオルが掛けられている。壁紙の色に合わせてあるのだろう。御堂勘次郎は本当に細部までこだわり抜いてデザインしたようだ。
 右側はガラスドアの浴室になっている。クリーム色の大理石調のタイルが貼られ、両側に飾り柱(コラム)が立っていた。同じく大理石調のタイルのステップがあり、その上にクリーム色の花台――三人の天使像が大きな皿を支えているデザインで、薔薇の造花が飾られている――が置かれていた。
「洗面は自由に使ってくれ」
 御堂勘次郎はパウダールームを出ると、そのまま廊下を突き当たりまで進んだ。装飾的な木製ドアを引き開け、室内に進み入る。彼に付き従って中に入った。
 バロック様式の書斎だった。装飾が豊かな茶褐色の本棚に囲まれており、正面には植物を模した彫刻の暖炉が据えられている。エイジング塗装がされているらしく、彫刻に黒ずんだような色味があり、陰影がくっきりしていた。百年以上前から存在するギリシャの図書館を連想させられる。床は色鮮やかな赤茶色のヘリンボーン――"ニシンの骨"を意味し、『ヘ』の字形の床材を並べたデザインだ――だった。
「素敵ですね!」
 藍川奈那子がはしゃいだように声を上げた。彼女の脚に纏わりついていた娘も、「映画みたい!」と飛び跳ねている。
 キャスター付きの地球儀は渋みを帯びたマホガニー色で、年代物のような雰囲気を醸し出している。隣にはベージュのシェードが被さったスタンドランプがある。
「これは大したものですね......」
 文芸評論家の山伏も感嘆の声を上げた。
 錦野も「おおー」と嘆息し、書斎を眺め回している。
「まさに作家の書斎――って感じで、憧れます」
 御堂勘次郎は「ありがとう」と穏やかに笑った。「職人の技術の賜物だよ、これは。払える金額を提示して、ヨーロッパの図書館(ライブラリー)の画像を何枚か渡して、こんな雰囲気の書斎を自由に造ってほしい、とお願いしてね。その結果がこれだよ」
 暖炉の両脇には、溝が彫られた付柱(ピラスター)があり、その柱頭はアカンサス模様のコリント式になっていた。
 マントルピースの上の壁面には、リビングのようなミラーではなく、夕焼けのロンドンを描いた絵画が飾られている。その両側には、椀形のシェードが上向きになっている、クラシカルなデザインのウォールランプが付けられていた。絵画の真下には厚みのあるシェルフがあり、写真立てとチェスの駒が並んでいた。左からポーン、ルーク、ビショップ、キング、ナイト――と置かれている。
 書斎の奥には幅広い両袖のプレジデントデスクが鎮座していた。デスクの天板にはモスグリーンの革が貼られている。そこには、真鍮製の蝋燭形デスクランプ、ゴールドの装飾が施された羽ペン、小型の茶色い地球儀、ヴィクトリアン調の置時計が置かれていた。
「御堂先生はいつもここでご執筆を?」
「ああ」御堂勘次郎はうなずいた。「私の仕事場だよ」
 藍川奈那子が本棚の書籍を眺めながら言った。
「この書斎で素晴らしい物語が生まれているんですね。憧れの先生の仕事場を拝見できて光栄です」
「大袈裟だよ、藍川さん」
「御堂先生は謎のベールに包まれていましたから」
 今日、ミステリアスな覆面作家――という秘密のベールが剥がれ、何の変哲もない中年男性の顔が現れた。少々、拍子抜けしたが、問題は彼の宣言にあった。
 盗作の告発――。
 一体誰の作品だろう。わざわざ呼び集めたのだから、この招待客の中に"罪人"がいることは間違いない。容疑者は――自分を除いて三人。
 盗作の罪なのだから、当然、作家だろう。
 自分は安泰だ――とのんきに構えてはいられない。
 もちろん、創作者として法的にアウトな行為をしたことはない。だが、多かれ少なかれ、今までの人生で接してきた表現物の影響を受けていることは否めない。
 いわゆる"無意識の盗作"を否定できるほど、自分の記憶力に自信があるわけでもない。
 自分で閃(ひらめ)いたアイデアのつもりでも、単語や小物などの些細(ささい)な引き金(トリガー)によって二十年前に読んだ漫画や小説のワンシーンが脳裏に浮かんだ可能性を一体誰が否定できるだろう。何百万と生み出されてきた作品群の中では、どんなに奇抜に思える閃きでも、必ず類似のアイデアはあり、事実無根のこじつけでも、誰かがネットに疑惑を書き込んだだけで信じる人々は出てくる。そして――作者が社会的破滅を迎えるまで攻撃されるのだ。
 御堂勘次郎ほどの作家に盗作疑惑を吹聴されたら――。
 想像するだけで恐ろしい。
 しかも、槍玉に上げられた作品が『天使の羽ばたき』だったら、当然、青山賞の受賞はないだろう。選考の過程で盗作疑惑を口にされたら、選考委員の誰もが推してくれなくなる。
 青山賞で作家人生が変わる好機なのに――。
 御堂勘次郎本人に探りを入れたかったが、盗作の暴露を気にしていると思われたら、他の招待客たちに疑惑の目を向けられるだろう。それだけは避けなければいけない。
 凛は他の面々の顔色を窺った。
 動揺を押し隠している人間はいるだろうか。心当たりがあって、内心焦っている者は――。
 表情を探ってみたものの、はた目には全員、御堂勘次郎の書斎を純粋に楽しんでいるように見える。彼の宣言の存在など、他愛もないジョークとして忘れてしまったかのように。
 不安を感じているのが自分だけだとしたら――。
 他の全員が全く気にしていないとしたら――。
 凛は内心でかぶりを振った。
 考えすぎないようにしよう。平静を装っているだけで、誰かの作品を故意に盗作した作家がいるかもしれない。
 そのとき、藍川奈那子が「あっ」と声を上げた。彼女のほうを見ると、入り口そばの本棚を眺めていた。右手を伸ばし、一冊の単行本を手に取る。
「私の著作が――」
 御堂勘次郎が彼女に顔を向けた。
「ああ、君たちの作品は全て楽しませてもらったよ」
「光栄です!」
 藍川奈那子のテンションがさらに上がった。
 普通なら喜ぶべきところだろう。
 招待客の作品を全て読んでいる――。それは裏を返せば、全員が容疑者・・・になる、ということだ。誰の作品の盗作に気づいたのか。
 凛は一呼吸置くと、改めて本棚を見回した。近年の話題作もあれば、大作家たちの代表作もある。マイナーな名作、翻訳小説、新人賞の受賞作などなど――。
 プレジデントデスクの両側には、多種多様な専門書籍がぎっしりと詰まっていた。
 その真後ろに茶褐色のアンティーク風ドア――上半分以上が磨りガラスになっている――があり、隣にマホガニーのコートハンガーが立っていた。反対側には、伸び上がる植物を模したようなアイアン製の電話台があり、レトロなデザインのヨーロッパ風固定電話が置かれている。
 完璧に雰囲気・・・が作り上げられており、家主がデスクに突っ伏して殺害されている光景が容易に想像できる。ミステリーならそこから謎がはじまる。作家として理想の書斎というだけでなく、作家の想像力を掻き立ててくれる。
 山伏が小説を手にとってはパラパラとめくり、本棚に戻していた。
「ここに一週間くらい籠もりたいですね。本好きにとっては最高の場所です」
 錦野が茶化すように言った。
「叶うかもしれませんよ」
 山伏が「え?」と振り返る。
 錦野はドア上部の半円(ハーフラウンド)窓を指差した。磨りガラスではないので、猛吹雪が叩きつけている様が見える。
「吹雪はますます激しくなっているみたいですし、当分はやまないかもしれませんね」
 当分――。
 数日は吹雪が続く可能性がある。
 その事実が否応なく不安を煽(あお)る。
 御堂勘次郎が「さて」と言った。招待客たちを見回しながら言う。
「では、そろそろ昼食にしようか」

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

Newest issue最新話

Backnumberバックナンバー