そして誰かがいなくなる第13回

 御堂勘次郎が書斎を出て行くと、全員が続いた。ダイニングに待機していた老執事に「昼食を」と指示する。
「かしこまりました。すぐにご用意いたします」
 老執事がキッチンへ向かった。IHコンロの上に用意されていた大ぶりの鍋の前に立つ。
 スイッチを押すと、ぐつぐつと音を立てはじめた。料理はあらかじめ用意されていたのだろう。
 見ると、いつの間にか六人用のテーブルが伸長し、八人用に変わっていた。ロココ調の装飾が彫られた茶褐色のダイニングチェアも、四脚ずつ、向かい合うように置かれている。
 テーブルの中央の両側には、中世ヨーロッパの宮殿を思わせる五灯の真鍮製燭台があり、本物のように揺らめくLEDの蝋燭が立っていた。同じく真鍮製のデコラティブなナプキンホルダーがあり、ワインレッドのナプキン数十枚が立てられている。
 各々の席の前には、サーモンとほうれん草のクリームシチューとカットされたガーリックバケット、ニース風のサラダが並べられた。ドリンクは香りから察するにジャスミンティーのようだ。
「席は自由に座ってくれ」
 御堂勘次郎がそう言って、奥側の中央の椅子に腰掛けた。錦野光一が彼の右隣に座ったので、凛は対面の左端に座ることで距離を取った。
 以前から下心丸出しで、錦野とは極力関わりたくない。表向き爽やかな仮面を被っているが、その実態は――。
 他の招待客たちが順番に座席についていくと、食事会がはじまった。幼い美々は疲れたのか昼寝中だ。
 最初は全員が黙々と食事を口に運んだ。ときおり、「美味(おい)しいですね」と誰かが感想を口にする。
 やがて、御堂勘次郎が口を開いた。
「静かすぎる食事は退屈だね。文壇に関わる者たちが一堂に会しながら、喋りもしないんじゃ、面白みに欠ける。せっかくだから、私から一つ、話題を提供しよう」
 凛はスプーンを置き、彼の顔を見返した。全員の視線が御堂勘次郎に集まっている。
「......フィクションの登場人物に人権・・はあると思うかな?」
 誰もが一瞬、言葉の意味を咀嚼(そしゃく)するように間を置いた。
「それはつまり――」山伏が尋ねる。「文字どおりの意味の、人権、ですか?」
 御堂勘次郎は含みを込めた笑みで応えた。
 解釈も含めての話題――ということか。
 錦野が言った。
「物語の中においては、当然、フィクションの登場人物たちに人権があると思います」
「錦野さん」獅子川が口を挟んだ。「御堂さんがおっしゃっているのはそういう意味ではないのでは?」
 錦野光一が眉を顰めて彼に視線を注ぐ。
「いや、もちろん分かっていますけどね。話の口火を切るための意見です」
「すみません、難癖をつけたつもりはないんですが......」
 礼儀正しく一歩引くことで、不快感をあらわにした錦野が狭量であるような印象が生まれた。
 錦野が怒りを抜くように嘆息した。
 御堂勘次郎が笑みをこぼした。
「創作の話になると、作家なら誰しも熱が入るものだ」彼は凛に目を向けた。「林原さんはいつもながらセンセーショナルな出だしで、読者の心を鷲掴(わしづか)みにするね」
「本当ですか? そう言っていただけると、光栄です」
「『天使の羽ばたき』は全裸の美女の惨殺死体が発見されて、名探偵が登場する。しかし、凄惨なシーンを書くと、読者からの批判もあるんじゃないかな?」
「......そうですね。私はフィクションのエンタメとして、読者だけを意識して物語を作っているんですけど、たまに娯楽と作者を同一視する人がいて、辟易(へきえき)しています」
 御堂が興味深そうに「ほう?」と右眉を持ち上げた。
「私の作品の被害者は、男性も、拷問されて殺されたり、悲惨な死に方をしますし、性別で言えば男性の犠牲が圧倒的に多いんですけど、美女の凄惨な死のほうが印象に残るのか、そこに過剰反応されて......。女性の作者だから、という理由で、『こんなふうに猟奇的に殺されたい願望があるんだろ』とかSNS(ツイッター)で書かれたり、わざわざ返信(リプライ)されたり」
 藍川奈那子が「分かります」と相槌を打った。「友人の女性官能作家からはそういう話、山ほど聞きます。『自分もこういう行為をしたいんだろ。だから書いてるんだろ』って絡まれて、うんざりしているそうです」
「明らかなセクハラですよね、そういうの。内容と作者の性癖を同一視して、本人の目に入る場所であーだこーだツイートするの」
「そういうのは男の僕もあるよ」錦野が乾いた笑いを漏らした。「ヒロインに女子高生を据えただけで、ロリコンとか言われて、うんざりしたよ、正直。僕の作品のヒロインは、二十代から三十代がほとんどなんだけどね」
 女性読者が多い彼は、いろんな層に楽しんでもらうためにヒロインの年齢や設定には多様性を持たせている、とインタビューで語っていた。
 凛はジャスミンティーに口をつけた。
「登場人物を被害に遭わせると、キレる人が一定数いる、って事実が衝撃でした。キャラクターの人権を尊重しろ、とか叫び立てるんですよ? 信じられます?」
 藍川奈那子が同情する口ぶりで言った。
「それ、絶対に林原さんのアンチですよ。それか、たまたま目に入った作品が気に入らなくて、難癖つけてるクレーマー」
「そう思います?」
「だって、一話で妹以外の家族を鬼に殺された少年が妹を守るために強くならなきゃ、って、子供なのに傷だらけになりながら戦う漫画がアニメ化、映画化されて、国民的大人気作品になるんですよ。主人公の少年をそんな不幸のどん底に落としても、誰一人、その少年の人権を無視してる、なんて言わないですし」
 彼女もツイッターアカウントを持っているから、多かれ少なかれ難癖のリプライを受け取った経験があるのだろう。舌が滑らかになっている。
 御堂勘次郎が笑いながら答えた。
「SNSなんてものは、百害あって一利なしだよ。そんなものは、世の中の悪意が可視化されただけだと思うね」
「それでも、少しでも宣伝になれば――と思って利用しています。微々たる宣伝力ですけど」
 山伏が話に参加した。
「僕も作品や記事の紹介のためにアカウントは持っていますけど、面倒だな、と思うことはありますね。その点、今日はスマホを取り上げられてしまいましたし、SNSのような俗世と離れて、心穏やかに過ごせそうです」
「ちなみに――」安藤が訊いた。「皆さんのスマホはどこに保管されたんですか、先生」
 御堂勘次郎が「ふふ」と悪戯っぽく笑った。「他人が勝手に触れない場所に厳重に保管しているよ。少々趣向を凝らしていてね。この集りの最後に取り戻せるように考えている」
 凛は不安を抱えながら尋ねた。
「取り戻せるように――とおっしゃるということは、御堂さんが普通に返してくださるわけではない、という認識でよろしいですか?」
「ああ。その認識で問題ないよ」
「返ってこない可能性も?」
「......それはどうだろうね。まあ、君たちなら問題ないと思うよ。たぶん、ね」
 意味深な言い回しだ。
「話を戻すと、物語のキャラクターに現実の人間と同様の人権はない――という結論でいいかな?」
 全員が「はい」とうなずいた。
「作家にとっては意見の対立が生まれない話題だったね」
「現実の人間と同様の人権があるなら、僕らは誰もフィクションの登場人物を殺したり、不幸にしたりできなくなりますから」
 獅子川正が答えた。
「そうですね」藍川奈那子がうなずく。「フィクションだからどんな事件も起こせるんです」
「うむ」御堂勘次郎が言った。「では、フィクションの登場人物が現実の個人をモデルにしている場合はどうだろう?」
「現実の個人ですか?」凛は訊き返した。
「たとえば、私が君たちと同じ名前を使ってミステリーを書いて、作中で殺した場合は?」
「人権うんぬんというより、無許可だと問題が生まれそうです」
「御堂先生の著作に登場できるなら、殺される役目でも、犯人の役目でも、私なら嬉しいです」
 そう答えたのは藍川奈那子だ。
 実際、そういう人たちは少なくない。作家だと告げると、すごいですね、と持ち上げられた後、殺される役でもいいのでいつか自分を登場させてください、と言われることがある。映画やドラマに出演するような感覚なのかもしれない。自分が被害に遭っても、犯人にされても、空想事だから楽しめるのだ。
 山伏が言った。
「自分と同じ名前のキャラクターが作中で殺されたらいい気はしない、という人もいれば、作り物として楽しむ人もいて、それは人それぞれでしょうね」
「それはそうだね」御堂勘次郎がうなずいた。「食事を止めてしまったね。さあ、食べてくれ」
 全員が「はい」と答え、食事を再開した。
 しばらく経ったとき――。
「本格推理小説の世界なら、このタイミングで招待客の一人が毒殺される――という感じかな」
 御堂勘次郎がさらっと言った。
 錦野が噎(む)せ返り、真鍮のナプキンホルダーからワインレッドのナプキンを手に取って口元を押さえた。
「失礼――」
 錦野は軽く会釈した。
 御堂勘次郎が大口を開けて笑う。
「単なるジョークだよ、錦野君」
 錦野が苦笑した。
「お人が悪い......」
「まあ、昼食時に事件は起きないものだよ。洋館での毒殺事件は晩餐会(ばんさんかい)と相場が決まっている」
 凛はフォークを置いた。
「晩御飯が怖くなります」
「意地悪を言ってしまったね。しかし、ミステリー作家ならその程度の妄想は働かせないかな?」
「たしかに」獅子川正が答えた。「本格推理の舞台としては申し分ありませんし、吹雪に閉ざされている今、何かが起こりそうな気配が漂ってます」
「だろう?」
「僕も先ほどから、自分ならここでどういう事件を起こして、どういうトリックを仕掛けようか、つい考えてしまっています」
「妄想だけにしてくれよ」
「もちろんですよ。犯罪者になるのはまっぴらごめんです」
「いやいや、そういう意味ではなく、私の邸宅を舞台にしないでくれよ、という意味だよ。事件が起こった舞台で生活し続けるのは寝覚めが悪い」
 御堂勘次郎は再び大笑いした。
 吹雪はますます強くなってきているようだった。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

Newest issue最新話

Backnumberバックナンバー