そして誰かがいなくなる第2回

  プロローグ

    一年前――

 ――何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ。
 それが初顔合わせでの第一声だった。
 その後は二週間に一度の頻度で長時間の打ち合わせを続けてきた。
 チャイムの音に立ち上がり、玄関ドアを開けたとたん、初夏の熱気がむわっと纏(まと)わりついてきた。
「さあ、中へ」
 御堂勘次郎は、建設会社の面々をS県E市の自宅兼オフィスに迎えた。室内へ案内する。
 ガラス製のローテーブルを挟み、黒革のソファが設置されている。内装は都会のオフィスを模しており、モダンだ。仕事場を兼ねた住居として十年以上使っている。
 部屋に入ると、営業担当の眞鳥裕生(まとりゆうき)が飾り棚に目を向け、「おっ」と声を上げた。彼の目は二段目に飾られている短剣に注がれている。
「また新しいインテリアが増えてますね」
 眞鳥はガラス扉に顔を近づけ、短剣をまじまじと眺めた。
 御堂は、ふふ、と笑った。
「さすがいつも目ざといね。十二世紀のイングランドの獅子(しし)心(しん)王、リチャード一世がモデルになったライオンヘッドダガー――の模造刀だ」
 合金製で、柄に網目模様があり、ヒルトの両側にライオンが彫刻されている。
 他にもフリーメイソンのマークが施された十字剣もある。全長は約九十センチ。刀剣の柄と鞘の先端部分に装飾があり、くすんだアンティークゴールドになっている。
「雰囲気ありますね」眞鳥は子供のように目を輝かせていた。「こうして飾ってあると、遺跡から発掘された宝剣に見えます。さすが御堂さん。いつも思いますけど、興味深い物を探し出す嗅覚が素晴らしいです」
「いやいや、今ではネットで何でも簡単に見つかるからね。足より指先の時代だよ」
「御堂さんはその指で魅力的な物語を紡がれているんですから、凄いです」
 建設会社の面々は、作家だと告げると興味を持ってくれて、これまで刊行してきた推理小説を何冊も読んでくれたという。ミステリー作家としては大変ありがたく、個人的にサインもした。
「さ、座ってくれ」
 御堂はソファを指し示すと、彼らと向かい合って座った。面々を順に見る。
 眞鳥の左隣に座っているインテリア・デザイナーの畠中智子(はたなかともこ)は、黒のボタンダウンシャツをシックに着こなしていた。掻き上げた髪を後ろで結んでいる。右隣に座る建築家の葉山邦和(はやまくにかず)は、白のシャツを着ていた。グレーヘアを額の真ん中で分けている。
 三人とは綿密に打ち合わせを重ねてきた。図面はどんどん仕上がっており、ミステリー作家としての構想が着実に形になりはじめている。
 葉山が大型の鞄を取り上げ、十数枚の設計図を取り出してローテーブルに広げた。彼は一級建築士として、細かな要望にも嫌な顔一つせず、図面を修正してくれている。
「前回の打ち合わせの内容を反映した図面がこれです」
 邸宅の間取りだけでなく、壁の装飾(モールディング)のデザインや、大型家具の配置も正確に記載されている。
 御堂は図面に目を通した。
 リビングダイニングはクリーム色を基調としたロココ調で、チェアレールで仕切られた腰パネルの上には、デコラティブな壁面装飾が施されている。豪奢な額縁を連想させるデザインだ。天井と壁の取り合い部では、歯形(デンティル)の廻縁(クラウン)が目を引く。
「いいね、素晴らしい」
「気に入っていただけて良かったです」葉山の表情が緩む。「御堂さんが希望されているモールディングは、CADデータがなかったので、手描き入力でデザインしています」
「それは苦労をかけたね。申しわけない」
「いえいえ、いい経験になりました」
 葉山は微笑で応えた。
 彼は人当たりがよく、真面目で、"魅力的な家"を造ることを子供のように楽しんでいる。
 ある意味、エンタメ作家に共通する、いくつになっても読者を楽しませたいという純粋な情熱を持っている。本格推理小説を書いている作家は特にそうだ。アガサ・クリスティー、エラリー・クイーン、コナン・ドイル、江戸川乱歩、鮎川哲也などを読んで心を躍らせた子供のまま、体だけが大人になったようなものだ。
「好き勝手に修正をお願いされる苦労は身に染みているからね」
 御堂の軽口に揃って笑い声が上がった。
「編集者もタイプは様々だが、気軽に『ここを直してください』『あそこをこうしてください』とお願いする。まあ、たしかにそのほうがいいかもしれない、と思って直すわけだが、これまた大変でね。その箇所だけの修正で終わらないんだよ。一つを変えると、別の箇所にも影響が出て修正が必要になり、さらにまた別のところを――と、修正の連鎖だよ」
 眞鳥が「それは大変ですね」と相槌を打つ。
「その点、今の私の立場は楽なものだよ。ある意味、編集者のポジションで、こうしてほしい、ああしてほしい、と好き放題に要望を伝えて、修正を待つだけでいい」
「御堂さんも苦労されているんですね」
「編集者がしっかり読み込んで、指摘や案をくれるのはもちろんありがたいよ。作品への熱心さの表れだからね。だけど、それを必死で直すのは作家だし、勘弁してくれよ、という気持ちになることも事実でね」
 御堂は小さく笑った。
「想像するだけで大変そうです」
「作家は全体を把握しているから、一部の修正がどこにどう影響を及ぼすか、常に意識しておかなければならない。そういう意味では建築に似ているかもしれん。柱を一本抜いてくれ、と言われたら、きっと全体の構造を見直さなければいけなくなるだろうし、簡単ではないと思う」
 葉山が「ですね」と苦笑いした。似たような要望は客からさんざん出されてきたのだろう。
「まあ、何にしてもこうして好き放題、提案するだけの今の立場は気楽なものだよ。むしろ、修正に次ぐ修正で負担をかけて申しわけないね」
「とんでもありません」眞鳥が答えた。「お客様が後悔のないよう、どんな要望でも伝えていただきたいです。建ってから、打ち合わせでは言えなかったけどこれやあれが不満で――と言われてしまうよりよほどいいです。だから僕はまず喋りやすい雰囲気を作ることを心掛けています」
「なるほどね。君たちとの打ち合わせは楽しいよ」
 話が盛り上がると、体温の上昇を感じた。
 御堂は額の汗を拭うと、リモコンを取り上げた。壁上部に備えつけられた大型のエアコンに向ける。
「今日は特に暑いな。少し温度を下げよう」
 リモコンを操作すると、エアコンがうなりを上げはじめた。
 眞鳥がにこやかな顔で言った。
「御堂さんのご自宅が完成したら、快適に暮らせますよ。それは保証します」
「高気密、高断熱が売りだったね」
「はい。モノコック構造によって造られる2×4(ツーバイフォー)工法の住まいは、床、壁、天井が隙間なく接合されますから、構造体そのものが高気密、高断熱になります。特に現場発泡断熱材は隙間面積がきわめて小さくなります。窓も熱を遮断するLow‐Eペアガラスを用います。これは当社の標準(スタンダード)設備で、室温のキープに効果が高いです」
「今の自宅は夏は暑いし、冬は寒い。毎年、春や秋が待ち遠しくなるよ」
「当社の住宅は外気温を全く感じないほどですから、季節を感じられないことが欠点でしょうか。室内の温度は常に一定ですから、お客様はつい薄着のまま外に出て、冬だったことを思い出して、慌てて上着を取りに戻ったり――」
 そう言って眞鳥は快活に笑った。
 御堂はうなずいた。
「高気密ということは、室内はかなり静かそうだね」
「そうですね。室内にいると、雨音なんかはほとんど聞こえないので、外に洗濯物を干していると、雨に気づかず、大変! なんてこともあります」
 再び笑い声を上げる。
「なるほど」御堂は軽くうなった。「私としては室内に忍び込んでくる土砂降りの雨音や、響き渡る雷鳴が好きなんだが」
「ミステリー的ですね」畠中が言った。「大雨と雷――。まさに何かが起こる前兆のような」
「だろう?」御堂は彼女に顔を向けた。「嵐の夜に客人を招待してみたくなる」
「雰囲気あるでしょうね」
 畠中は光景を想像したように、うっとりした顔で独りごちた。
「事件が起こるにしても、被害者の役回りはご免こうむるが」
 御堂は笑った。
 眞鳥が「犯人役がお好みですか?」と愉快そうに尋ねた。
 御堂は少し考えてから答えた。
「やはり館の主(あるじ)と言えば黒幕かな。物語の最後に登場して、登場人物たちの度肝を抜く役回り――。どうせならどんでん返しの立役者を演じたいね」
「それはいいですね。想像するだけでワクワクします」
「私も胸が躍るよ」御堂は図面に目を落とした。「で、今日の打ち合わせは――」
 眞鳥が設計図を見ながら言った。
「今回、お話ししたいことは何点もあるんですが......。まずは二階のトイレの位置に関して」
「何か問題が?」
「問題というほどではないんですが、トイレに入る位置を少し変えませんか? 今の間取りだとシアタールームから入るようになっていますよね」
「シアターで映画を鑑賞しつつ、催したらトイレへ直行――。なかなか便利だと思うが」
「おっしゃることは理解できますが、個人的には廊下から入れるようにしたほうが良いと思います」
 御堂は首を捻った。
「どうして?」
「当社では全館空調(セントラルヒーティング)が標準(スタンダード)設備であることは、以前お話ししたとおりです」
 欧米では各部屋にエアコンを設置するという考え方がなく、高気密にすることで建物全体から熱を逃がさない工夫がされているという。全館空調とは、一ヵ所に空調装置を設置し、配管を通して各部屋に空気を送るシステムだ。二十四時間、全ての部屋が均一な温度に保たれる。快適なだけでなく、中高年に起こりうる寒暖差によるヒートショックの心配も減る。
 だが、一番の魅力は――。
 見栄えの問題だ。
 洋館の場合、各々の部屋にエアコンを設置したら無粋だと説明を受けた。アンティークの家具で統一された部屋の壁上部に、白い長方形のエアコン――。たしかに現代的で悪目立ちするだろう。廻縁(クラウン)も大型のエアコンで途切れてしまう。
 一方、全館空調であれば、天井に二十センチ四方の吹き出し口があるだけだから、意匠に干渉しない。
 眞鳥は資料の写真を取り出した。木造建築の天井裏や壁裏に、黒色の大蛇を思わせる配管が這い回っている。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

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