そして誰かがいなくなる第32回

「あなたの推理は成り立ちません」
「なぜ?」
「......全員がいた場所を思い出してみてほしい。藍川さんは一階に下りた後、美々ちゃんがいないことに気づいて、名前を呼びながら捜しはじめました。俺と山伏さんはその声を聞いて、一緒に一階に下りました。三人で美々ちゃんを捜すと、天童寺さんは一階のトイレから出てきましたし、林原さんはパウダールームで髪を乾かしていました。あなたと安藤さんと執事は書斎から顔を出しました。俺と山伏さんが一階に下りたとき、全員が一階にいたんです・・・・・・・・・・・
 獅子川正が「そんなはずは......」と弱々しくつぶやいた以外、全員が言葉を失っていた。
 沈黙を破ったのは天童寺琉だった。
「つまり、美々ちゃんを一階から消してしまう方法は、獅子川さんが推理したトリックを使うしかないですが、実行可能な"犯人"は邸宅内に誰もいなかった――というわけですか」
 安藤が口を挟んだ。
「そもそも美々ちゃんが二階にいないんですから、獅子川さんのトリックが使われたかも分からないのでは?」
 獅子川正は目を細めると、慎重な口ぶりで切り出した。
「......誰にも実行不可能とは言い切れないでしょう。山伏さんなら可能です」
 突然矛先が向いた山伏は、素っ頓狂な声を漏らした。
「藍川さんがマスターベッドルームに入った直後、ゲストルームを出て一階へ下り、美々ちゃんを抱えて二階へ戻ってトイレに潜むんです。彼女が階段を下りると、すぐトイレを出て、ゲストルームへ戻ります。その後、彼女が娘を捜して声を上げはじめると、何食わぬ顔で顔を出し、錦野さんと一緒に一階へ――」
「待ってください!」山伏が慌てた様子で首を横に振った。「私はそんなことはしていません」
「すみません、あくまで可能性の話です」
「いや、それにしたって――」
「獅子川さん」錦野は言った。「それはかなり強引ですよ。時間的に相当無理があります。第一、偶然の要素が多すぎます。たまたま美々ちゃんが昼寝して、たまたま藍川さんが二階のトイレを使って、たまたまその後でマスターベッドルームに入って俺と少し話した――。山伏さんには予測できない行動ですし、そんな不確定要素ばかりの中で美々ちゃんをどうこうするなんて、不可能です」
「それはまあ......」
 獅子川正は言葉を濁し、黙り込んだ。指摘されて自分の推理の穴を理解したのだろう。
「しかも、他の招待客全員にアリバイがある状態でそんなトリックを使ったら、自分が犯人だと教えるようなものでしょ」
 手の込んだトリックを弄するなら、自分を容疑者から外れるようにしなければ逆効果になる。
 再び沈黙が降りてきた。しばらく誰も口を開かなかった。
「あのう......」
 林原凛が控えめに口を開いた。
 全員が彼女を見る。
 林原凛は静かに息を吐き、抑え気味の声で言った。
「一人だけ――いるじゃないですか」
 錦野は「え?」と訊き返した。
「......御堂さんです。姿を消した御堂さんなら何でも可能です。叫び声を上げて襲われたように見せかけて、裏で動いているとしたら――」
 彼女が答えると、天童寺琉が眉間の皺を深めた。
「もし隠し部屋なんかが存在するとしたら、美々ちゃんはそこに隠されているかもしれませんね」
"死の偽装"は本格推理小説の定番の展開ではある。第一の犠牲者が実は生きていて、その後の連続殺人の真犯人だった――という物語は手垢(てあか)が付きすぎていて、ミステリー慣れしている読者ならほとんど驚かないだろう。
 御堂勘次郎が――本物か偽者かは謎だが――死を偽装し、この"犯行"をしているのだとしたら......。
 一体何の目的があるのか。
 意味もなくこれほど手の込んだことはしないだろう。怨恨か、私利私欲か、それとももっと別の何か――。
「もう一度捜しましょう」林原凛が言った。「全員で一緒に動いていたら死角・・が多すぎますし、効率を考えたらバラバラになって捜したほうがいいと思います」
 山伏が「それは危険では?」と異を唱えた。
「何千平方メートルもある洋館というわけではないですし、誰かが叫び声を上げたらすぐ駆けつけることができます。個々で動いてもそれほど危険はないと思います」
「御堂さんはその状況で消えたんですよ」
「叫び声が聞こえたとき、私たちは先に書斎を確認してから二階へ上がりました。結構タイムロスがあったんです。しかも、消失が御堂さん自身のトリックだったなら、私たちが間に合わなかったのも当然です。でも今は違います。全員が警戒している状況ですから、何かを仕掛けてくることは簡単ではないと思います。むしろ、全員があちこちにいるほうが、近くで何かが起きたとき、すぐ駆けつけることができる分、安全ではないでしょうか」
「......なるほど、たしかにそうかもしれませんね」
 彼女の論理には納得できるものがあり、散開して美々を捜すことになった。
 錦野はマスターベッドルームへ移動した。一度確認したとはいえ、念のため、ベッドの下を覗き込んだ。
 やはりいない――か。
 南側にあるカーテンを引き開け、ガラス戸から外を眺める。人一人が立てる程度の半円のバルコニー――ロートアイアンの柵がある――になっており、吹雪に晒されている。
 こんな場所に放置されていたら凍死しているだろう。
 いくらなんでも"犯人"が三歳の女の子をむごたらしく死なせるほど冷酷無比ではないことを願う。
 錦野は右側――ヴィクトリアン調の重厚なベッドの横――にあるドアを見た。
 たしかこの先は――。
 ドアを開けると、奥行き二メートルほどのスペースが現れた。正面には茶褐色のキャビネットと大型ミラーがあり、錦野自身を映し出していた。
 左側は出窓になっており、建物正面にそびえるドーリア式の飾り柱(コラム)を見ることができる。右側にはロートアイアンのフェンスがあり、サーキュラー階段と吹き抜けの一階ホールを見下ろせる。
 錦野はフェンスを掴み、一階を眺めた。天童寺琉がアーチ天井の下をうろついている。
 全員で捜しても見つからなかったら――。
 錦野は不安を抱きながら邸宅内を捜し回った。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

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