そして誰かがいなくなる第6回

 招待客――か。
 御堂勘次郎が誰をどんな理由で招待したのか。届いた招待状によると、建築した洋館のお披露目だという。
「やっぱり御堂さんにゆかりがある作家かな」
「そうかもしれないですね」
「俺は御堂さんのおかげでデビューしたわけだし、分かるけど......林原さんは何で招待されたのかな?」
 いぶかしむ眼差しが注がれた。
 凛は彼から視線を外し、窓の外を眺めた。濃緑の常緑樹群が後方へ流れていく。
「御堂さんとデキてたりしないよね?」
 軽口だと分かっていても、眉がピクッと痙攣したのが分かった。錦野から顔を逸らしていなかったら、その反応を勝手に解釈されただろう。
「......まさか」
 凛は無感情に答えた。
 錦野が苦笑いする。
「そんな不機嫌にならないでよ」
「なっていません。大丈夫です」
 素っ気なく応じると、錦野が愛想笑いを浮かべた。
「......でも、どんな基準で招待されたんだろうな」
 しばらく気まずい沈黙が続いた。車内にはタクシーの走行音だけが響いている。
 凛は内心でため息を漏らすと、口を開いた。
「私が青山賞にノミネートされたからだと思います」
 錦野が目を瞠った。
「......青山賞? 本当に?」
「清文社からノミネートの連絡がありました。たぶん、近日中に発表があると思います」
 錦野は言葉をなくしていた。
 青山賞はプロの作家の作品が対象で、その一年の中で最も優れた一作を決める。いくつかの賞を受賞した作家が目標にする大きな賞だ。ノミネートされるだけでも栄誉で、メディアから取材の連絡が来る。
「......そうか」
「はい」
「......おめでとう。それはすごいね」
 錦野の声は若干上ずっていた。動揺が見え隠れしている。デビューしてからの彼は青山賞どころか、他の賞にもノミネートされた経験がない。自分の二年後にデビューした"後輩"に先を越されたと思っているのだろう。
 同じ賞の出身でもないのだから、本来は先輩後輩という間柄ではないのだが――。
「そういえば、御堂さんは青山賞の選考委員だったね」
 青山賞は六人の有名大御所作家が選考委員を担当している。御堂勘次郎はそのうちの一人だった。
「でも、ノミネートが理由で招待されたなら、林原さんが特別扱いされてる気はするね。それとも、ノミネートされた全員を招待しているとか?」
 その可能性は想像しなかった。自分のノミネート作『天使の羽ばたき』が評価されているなら、御堂勘次郎に少しでも好印象を与えておきたい――という打算があり、迷わず参加を決めた。
「いや、さすがにそれはないか」彼は独り言のように自説を自ら否定した。「賞のライバルを一堂に集めるなんて、悪趣味にすぎる」
 いくらなんでも――と思う。
 青山賞の候補者全員を集めるのだとしたら、ノミネートされていない錦野が招待された理由が分からない。
「他の候補者は分かってるの?」
「いえ」凛は首を横に振った。「聞いていません」
「そっか」錦野は青山賞の話題を嫌うように話を変えた。「林原さん、新刊は? 執筆はしてるの?」
「......してますよ。先週、『ミネルバの眼差し』を発売しました」
「ああ、そうだったね。おめでとう」
 つくづく作品には・・・・興味を持っていないんだな、と内心で呆れる。
「今度読むよ」
 この場での社交辞令だと分かっている。
「はい、ぜひ」
 凛は事務的な表情を作ったまま答えた。
 道なき道をさらに一時間ほど走ったとき、森が切り開かれた場所に出た。洋館が――姿を現した。ボーリングピンを思わせるバラスター手摺りの玄関階段があり、パルテノン神殿を思わせるドーリア式の飾り柱(コラム)が二本ずつ、両開きの茶褐色のドアの両脇にそびえている。屋根には屋根窓(ドーマー)がある。
 建物の前にタクシーが停車した。
「お」錦野が感嘆の声を上げた。「これは――」
 森の奥地に建っている洋館を目の当たりにすると、本格推理小説の世界に迷い込んだ気がしてくる。
「ちょっとワクワクしますね」
 素直な感想だった。
 運転手が代金を告げると、錦野が財布を取り出した。
「ここは俺が払うよ」
 凛はショルダーバッグに手をかけた。
「いえ、割り勘で――」
「女性に払わせたりしないよ」
 錦野は笑顔を見せると、現金を取り出した。
 下心を感じていい気はしなかったものの、押し問答をしたら空気が悪くなると思い、素直に「ありがとうございます」と応じた。
 錦野は満足げにタクシー代を払った。
 二人揃って下車すると、御堂勘次郎の洋館を見上げた。間近で見ると、縦の溝が刻まれた四本の飾り柱(コラム)は迫力充分で、ここが日本ではないように思えた。
 凛は周辺を見回すと、イギリス風の郵便受けに目を留めた。こんな場所まで配達に来るのだろうか。原稿(ゲラ)のやり取りは一体どうしているのだろう、と純粋な疑問が湧く。
 郵便受けの隣にチャイムが設置されている。
 凛は郵便受けに歩み寄り、チャイムを鳴らした。三十秒ほど待つと、玄関ドアが開いた。
 出迎えたのは白髪の老人だった。一瞬、御堂勘次郎本人かと思ったが、老人はイギリス風の燕尾服(えんびふく)――文字どおり裾が燕(つばめ)の尾のように割れている――を着ていた。年齢に反して背筋はぴんと伸びており、実際の伸長以上に背を高く見せている。百七十五センチ前後だろうか。
「執事の相原(あいはら)と申します」
 隣の錦野が顔を寄せて「執事だってよ」と囁いた。面白がっている口調だった。
「御堂様にご招待されたお客様でございますね。ご招待状はお持ちでしょうか」
 凛はショルダーバッグから招待状を取り出し、差し出した。
「お預かりいたします」
 老執事は招待状を確認すると、錦野に顔を向けた。彼は少し慌てた様子で鞄を探り、招待状を取り出した。
「間違いありません。林原凛様と錦野光一様でございますね。どうぞ中へ」
 玄関に踏み入ると、パンテオン神殿風の二本の飾り柱(コラム)に支えられたアーチ天井があった。コリント式で、柱頭はアカンサスの葉を模した装飾だ。その先に吹き抜けのホールがある。壁はクリーム色だ。
 存在を主張する半円のサーキュラー階段の踏み板の中央には、赤色のカーペットが敷かれている。
 階段の手摺りの脇には、真鍮製のホールランプが置かれていた。装飾的なデザインで、四つ叉の槍を立てたようにも見える。四灯の蝋燭形のランプは、今は点灯していない。
 対面の壁際には、ヴィクトリアン調の猫脚カウチが置かれており、真鍮の一灯式ウォールランプに挟まれる形で大型のミラーが掲げられていた。男性の平均身長ほどはあるだろうか。植物と花の彫られたフレームはくすんだアンティークゴールドだ。
 鏡にサーキュラー階段が映り込んでおり、ホールの広さが二倍にも見える。
 圧巻の光景を眺め回していると、錦野が愉快がるように言った。
「ミステリーならあれが落下して圧死だな」
 彼の視線の先に目をやると、吹き抜けの天井から吊り下がっている真鍮のシャンデリアがあった。フランスのロココ調の細工が施されており、植物的なデザインで、十二灯式だ。大型だから二十キロはあるだろうか。さすがに圧死は大袈裟だが、細いチェーンが切れて直撃したら人命は確実に奪うだろう。
「どうぞお上がりください」
 老執事が穏やかな声音で言った。御堂邸のホールを観察する時間を充分与えてくれる気遣いで、しばらく黙っていたようだ。
「失礼します」
 凛は靴を脱ぐと、スリッパを履いてホールに上がった。大理石調のフローリングになっている。
 ホールの奥には、子供の天使像が立っている小型噴水があり、左手に提げている瓶(かめ)から水が流れて循環している。
 凛は、玄関と同じく二本の飾り柱(コラム)に支えられたアーチ天井の仕切りを抜け、リビングに進み入った。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

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