そして誰かがいなくなる第40回


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「これは一体――」
 林原凛は目の前の光景が信じられず、誰にともなくそうつぶやくのが精いっぱいだった。
 藍川奈那子が小さくお辞儀をした。
 錦野光一が表情に当惑を浮かべながら訊いた。
「藍川さんは殺されたんじゃ......」
 天童寺琉はそれには答えず、彼女の前まで歩を進め、隠し部屋が発覚して"御堂勘次郎"の遺体が地下室で見つかった経緯を説明した。彼女は目を剥き「御堂先生が......」とつぶやいたきり、黙り込んだ。
 錦野光一が焦(じ)れたように「俺らにも説明を」と急かした。
 天童寺琉が凛たちを振り返った。申しわけなさそうな顔をしている。
「林原さんが犯人を特定するために細工を弄したように、実は僕も同じことをしたんです」
「まさか......」
「はい。藍川さんに殺されたふりをしてもらいました。屋根裏を調べたとき、錦野さんがおっしゃった話がヒントになったんです」
 錦野光一が「俺の?」と訊き返した。
「推理小説の定番トリックを教えてくださったでしょう? それを応用させていただきました」
 そのときの台詞が記憶に蘇る。
『浴室を覗き込んだ人物が「こっちにも誰もいませんでした」と報告するんですけど、実はその時点で浴槽に被害者が隠されていて、消失したように見せかける――とか』
「......なるほど」錦野光一が言った。「第一発見者が一人で被害者の死を宣告したら、生存を疑うべきでしたね」
 遺体が発見されたとき、医学に明るい人物が『誰も触るな!』と一喝して死を確認するが、実はその時点では被害者が生きていて――睡眠薬で眠っているだけとか――、全員が去った後で今度は本当に殺害してアリバイを偽装する、というようなトリックは古典的だ。
 山伏が苦笑した。
「実際、殺人被害者を目の当たりにしたら、遺体に触れて生死を確認するなんて、思いつかないものですね」
 天童寺琉が続けた。
「危機感を生み出すことで、自白・・を促したんです。"犯人"以外の人間が別の目的で動いていることは明白だったので、目の前で"殺人"が起これば名乗り出てくれると思ったんです」
 藍川奈那子が殺されたことで錦野光一は不安に陥り、今まで黙っていた事実――ゲストルームの鍵がかかっていたこと――を暴露した。
 全ては天童寺琉の手のひらの上だったということか。
「すみません」天童寺琉は謝りながら、ポケットからモジュラーケーブルを取り出した。「藍川さんの殺害が偽装でしたので、通報されるわけにはいきませんでした。それで、固定電話を一時的に使えなくさせていただきました」
 藍川奈那子の死は偽装で、モジュラーケーブルは天童寺琉が外していた。
 となると――。
「問題は"御堂勘次郎"殺害の"犯人"だけですね」山伏が言った。「一時的に美々ちゃんを消した・・・人間と同一人物でしょうか?」
 しばし沈黙の後、凛は覚悟を決めて口を開いた。
「私です」
「え?」
「......美々ちゃんを隠したのは私です」
 藍川奈那子が凛を睨みつけた。
「......林原さんが?」
 凛は罪悪感を覚えながら答えた。
「すみません。危害を加えるつもりはなかったんです。全ては・・・"犯人・・"に隠し部屋を知っている人物がいると思わせるためだったんです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「どういうことですか?」
「次の標的が私かもしれない、って話になったとき、何とかして"犯人"を突き止めないと殺されると思いました。そこで犯行予告状を作って"犯人"に隠し部屋に案内させる方法を閃きました。でも、ただ単に『隠し部屋の存在を知っている』と書いたところで、根拠はないですし、カマをかけているだけだと見破られてしまいます。本当に隠し部屋の存在を知っている第三者が犯行予告状を書いたと思わせる必要があったんです」
「だから美々を――」
「御堂邸をくまなく捜しても美々ちゃんが見つからなければ、隠し部屋を使ったトリックとしか思えないはずです。隠し部屋の存在を自分一人が知っていると信じている"犯人"は焦るはずです。でも、大勢と行動している中、単独で隠し部屋に向かうのは難しいでしょうし、確認するとしたら夜中だと思いました」
 錦野光一が凛に訊いた。
「林原さんは隠し部屋の存在を知らないのに、どこに美々ちゃんを隠したの?」
 藍川奈那子が「私も知りたいです」と追従した。「娘は安全な場所にいたんですか?」
 凛は「ついて来てください」と踵を返した。書斎を出ると、廊下にあるパウダールームの扉を開けた。
「私はここに美々ちゃんを隠していました」
 錦野光一が「ここ?」と眉を寄せた。「でも、林原さんがドライヤーを使ってたとき、俺らは調べたよね。浴室も見たし、バスタブの中も確認したし、隣のランドリーも――」
「あのとき、美々ちゃんはここにいたんです」
「隠せる場所なんて、ないでしょ」
「これです」
 凛は、壁際に寄せられているボックスソファ――座面が長方形で、赤いベルベット生地に宝石のような鋲(びょう)が一定間隔で打たれている――に視線を向けた。
「実はこれ――」
 凛はボックスソファに手を添え、持ち上げた。ベルベット生地の上蓋が開いた。
「収納ボックスを兼ねているんです」
 中は空洞で、ちょうど子供一人が体を折り曲げて隠れられるようなサイズになっている。
 全員が唖然としていた。
「ボックスソファの中には、予備のタオル類がたくさん納められていました。私はそれを取り出して、代わりに美々ちゃんを隠したんです」
 ランドリーに置かれたキャビネット風のチェストの上には、ボックスソファから取り出したタオル類が山積みになっている。
 山伏が言った。
「そういえば、御堂さんの案内でランドリーを拝見したときは、そこにタオルなんかはありませんでしたね」
「やられたよ」錦野光一が呆れ顔でかぶりを振った。「俺らがここを開けたとき、林原さんはボックスに座って濡れた髪を乾かしてたね、ドライヤーで。汗が気持ち悪くて洗髪したっていうのは、嘘だったわけだ。風呂で洗った髪を乾かしているなんて言われたら、男の心理として、長居することに後ろめたさを感じるし、中をそこまで徹底的に捜したりはしないからね。たまたま美々ちゃんが眠ったから、そのトリックを思いついたわけ?」
「それは――」
 凛は思わず視線を逸らした。
「まさか全部仕組んだ?」
「......私、少し不眠症で、睡眠薬を携帯しているんです。それを使って眠らせたんです」
 ――ジュース飲みたい!
 美々がそう言うと、老執事が「かしこまりました」と応じた。それを好機だと考えた。「私も手伝います」と申し出て、リンゴジュースに睡眠薬を混ぜた。それを美々に手渡した。
 美々が眠たさを訴えると、二階のベッドに連れていかれないよう、先手を打って、リビングのソファで横になるように促した。後は藍川奈那子がその場を離れるタイミングを待つだけだった。彼女が娘に付きっきりだったら、何かしら口実を設けて、彼女を引き離すつもりだった。
 幸い彼女がトイレに行くため、二階へ上がり、天童寺琉もトイレへ消えた。その隙に美々を抱きかかえ、パウダールームのボックスソファに隠した。洗髪を装ってドライヤーを使った理由は、錦野光一の解釈の他にもあった。パウダールームを離れられない状況を作るためだ。美々を隠しているボックスソファを放置することに不安があったのだ。
 何より、ドライヤーを使っていたら、美々の寝息や寝言が漏れたとしても激しい送風音で掻き消せる。
 天童寺琉が嘆息交じりに言った。
「やむを得なかったとしても、小さなお子さんに睡眠薬を飲ませるのは感心しませんね。小児への薬の服用には本来慎重であるべきです」
 凛ははっとした。
 非日常的な状況下で平静さを欠いていた。普段ならそのような行為はしなかっただろう。
「すみません......」
 頭を下げたものの、藍川奈那子は何も答えなかった。薄桃色の唇を引き結んでいる。
 気まずい沈黙が降りてくる。
 それを破ったのは錦野光一だった。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

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