そして誰かがいなくなる第25回


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 錦野光一はリビングのソファで目覚めた。真っ暗闇の中、アンティークのキャビネットに置かれている四灯の真鍮製ランプのスイッチを入れた。
 仄明かりが薄ぼんやりと室内を照らし出した。南の窓際に歩み寄り、カーテンを引き開けた。吹雪は白い帯となって窓ガラスに叩きつけている。
 二度寝しようと思ったものの、一度目が覚めたらもう眠気はなく、意識ははっきりしていた。
 錦野はパウダールームに入り、洗顔した。完全に目が覚めた。マホガニー色の縁に囲まれた大型ミラーを眺め、髪形を整える。寝癖を直し、右や左から映してみる。
 悪くないな――。
 満足し、パウダールームを出た。アンティークキャビネットやチェストの中を見たりしながら、時間を潰した。
 やがて皆が順番に起きてきた。
 錦野は他の面々を眺め回しながら言った。
「とりあえず、全員が無事に朝を迎えましたね。一人起きてこない招待客がいて――みたいな展開にならず、ほっとしています」
 早朝で元気がないのか、誰もが苦笑で応えた。林原凛が「不謹慎ですよ」と咎める。
 錦野は肩をすくめてみせた。
 藍川奈那子が、まぶたをこする娘の背を撫でつつ、口を開いた。
「私たちは無事でも、御堂先生はいらっしゃらないままです。心配です。警察に通報すべきなんじゃ......。固定電話をお借りしたら電話は使えますし」
 全員が顔を見合わせた。互いの顔色を読んでいるような、沈黙が何秒か続く。
「通報は――」獅子川正が渋面でうなった。「少しためらいますね。大事にして御堂さんに迷惑がかからないかどうか」
「でも、御堂先生に何かが起こったなら、一刻を争います」
「ミステリー作家が叫び声を残して私邸から忽然と消えた――。警察が取り合ってくれるでしょうか。ミステリーツアーのお遊びと思われる可能性があります。何よりこの吹雪です。通報しても警察は足止めですよ」
「それはまあ......」
「とはいえ、僕らも手をこまねいているわけにはいかないでしょうし、朝食を摂ったら全員で御堂邸をまた調べましょう。預けたスマホのことも気になります」
「そうですね」錦野は鼻頭を掻いた。「御堂さんがこのままだと、自分たちでスマホを見つけなきゃ、いつまでも取り戻せない可能性もありますし」
 話し合いが終わると、老執事が用意した朝食を全員で摂った。食後は散開して御堂邸を調査した。
 錦野はキッチンの前にいる林原凛に近づき、声をかけた。
「マスターベッドルーム、調べてもいいかな?」
 彼女は首を捻った。
「どうして私に訊くんですか」
「林原さんの部屋だろう? 私物が置いてあったら、許可なく調べるわけにはいかないしね」
「あー」彼女は納得したようにうなずいた。「それなら私じゃなく、藍川さんに訊いてください」
「藍川さんに? なぜ?」
「昨日、部屋を交換したんです。ドレッサーがある部屋のほうがいいんじゃないか、って気遣ってくれて」
「なるほど。そうだったんだね」
 錦野は林原凜のもとを立ち去ると、リビングの奥の二人掛けソファに娘と腰掛けている藍川奈那子に話しかけた。彼女は「私物は置いてないので大丈夫です」と答えてくれた。
「ありがとう」
 錦野は二階へ上がると、改めてマスターベッドルームを調べた。アンティークデスクの引き出しを開け、ダベンポートデスクの傾斜蓋を開け、本棚の書籍を一冊一冊確認した。ベッドのシーツをまくり上げ、下も覗き込んだ。
 やはり、何度探しても盗作疑惑に繋がるような"何か"は見つからなかった。
 トイレに差し入れられたメモは一体何だったのか。
 メモの目的は、炙り出し・・・・だったのか?
 全員にメモで仄めかし、行動を起こした者を容疑者として特定する――。
 たとえば、一人にはマスターベッドルーム、別の一人にはパウダールーム、別の一人にはゲストルームに手がかりがある――という具合に仄めかし、誰が動き出すか観察していたとか。
 だが、そんなことをして何の意味がある? 御堂勘次郎が消えた後なら、そのような手段で盗作容疑者を絞り込む理由も、まあ、分からなくもない。
 しかし、メモは御堂勘次郎が消える前に差し入れられた。夜まで待てば疑惑の作品名は暴露されたのだ。その前に容疑者を特定したとして何の意味があるのか。
 御堂勘次郎が暴露できない状況に陥ると知っていた者の仕業だとしたら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・――。
 そこまで考えたとき、ふと思い至った。
 メモは盗作容疑者を絞り込むためではなく、御堂勘次郎を襲った容疑者を作り出すための罠だったのではないか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 御堂勘次郎の叫び声がしたとき、自分一人、ここ――マスターベッドルームにいた。後ろめたい行動だったから、当然、一人きりで動いていた。そのせいでアリバイがなく、他の面々に疑惑の目を向けられた。
"犯人"の目的がそれだったとしたら――。
 まんまと嵌(は)められてしまった。
 錦野は舌打ちすると、マスターベッドルームを出て一階へ下りた。ソファに座っている者、ダイニングチェアに座っている者、意味もなく歩き回っている者――。様々だったが、誰の表情も暗く、口数は少なかった。
 ベルベットのスツールに腰掛けていた獅子川正が「何をしていたんです?」と訊いてきた。
「何か見落としがないか、調べてました」
「何か分かりました?」
「残念ながら何も」
「そうですか......」
 謎のメモの存在を明かしたほうがいいのかどうか、正直、判断しかねた。
 メモの内容を信じてマスターベッドルームを探っていたと知れたら、盗作作家のそしりを受けるかもしれない。事実無根でも、心の中では疑われるだろう。
 今はまだそのときではない。
 錦野は全員を眺め回した。
 メモが単独行動をさせるための罠だったとしたら、逆にアリバイがある人物が怪しくなる。遠隔で御堂勘次郎に叫び声を上げさせたとしたら、そのタイミングで単独行動はしていないだろう。必ず二人以上で行動しているはずだ。
 全員の証言をもとに纏めると、林原凛は一人でパウダールームにいた。担当編集者の安藤は一人で書斎にいた。御堂勘次郎から電話番を任されたという。
 藍川奈那子はリビングでハーブティーを飲んでいた。獅子川正と山伏もリビング。老執事はキッチン。天童寺琉はサーキュラー階段下のスペースで読書――。
 アリバイがあるのは五人か。御堂勘次郎が襲われたのだとしたら、その中に犯人がいるのか?
 錦野はふう、と嘆息した。
 そのとき、林原凛がつぶやくように言った。
「御堂さんは現れないままですね......」
 錦野は彼女に顔を向けた。
「そうだね。これが御堂さんの悪戯や催しだとしたら、何らかのアクションがあるはず――。一日が経っても招待客を放置したままなんてことはしないと思う」
「私もそう思います。イベント開始を告げる何か――ですよね。メッセージが書かれたメモとか、そういう」
「ああ」
「......考えたくないですけど、これは悪戯や催しじゃなく、御堂さんに不測の事態が起きた可能性が高まりましたね」
「林原さんの著作が消えていた理由も不気味だしね」
 彼女の顔に陰りが差した。
「俺が守るよ」
 錦野は彼女の目を真っすぐ見つめた。林原凛は微苦笑を浮かべただけだった。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

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