そして誰かがいなくなる第37回


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「何の冗談ですか、錦野さん」林原凛は彼の顔を見返した。「変な言いがかりはやめてください」
 錦野光一は薄ら笑いを浮かべていた。
「言いがかり?」
「はい、そうです。私はそんなことしていません。部屋の鍵を抜き取るなんて、自分の身の安全を捨てるようなものです」
「君が犯人なら危険はないよね」
「私は何もしていません。この状況下で鍵を掛けられなくするなんて、自殺行為です。誰がどんな悪意を持っているか分からないのに――」
だから鍵が掛かってたんじゃないの・・・・・・・・・・・・・・・・?」
「え?」
 錦野光一は振り返り、他の面々を眺め回した。
「林原さんが寝てたゲストルーム、扉の鍵がしっかり掛かってたんですよ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 凛は目を見開いた。
 山伏が「どういうことですか?」と錦野光一に訊いた。
「昨晩、彼女にちょっと話があって、ゲストルームを訪ねたんですよ。そうしたら――扉に鍵が掛かってたんです。ゲストルームの鍵も抜き取られていたはずなのに」
 天童寺琉が顎を撫でながら進み出た。
「各部屋のロックはおそらく先端がネジ状になっていて、回せば簡単に抜き取ることができます。裏を返せば、同じように回せば戻せる――ということです」
「でしょうね」錦野光一がうなずいた。「消えたロックを持っている人物じゃないと、戻すことはできません。つまり、部屋のロックを抜き取ったのは林原さんだってことです」
 全員が凛に驚きの眼差しを向けた。
「本当なんですか、それ......」
 獅子川正が詰め寄る。
「それは――」
 凛はリビングの隅へ視線を逃がした。
「どうなんですか」
 安藤も厳しい口調で問い詰めた。
「私が鍵を掛けたのは――」凛は錦野光一に目を向けた。「錦野さんに身の危険を感じたからです」
 彼が顔を顰めた。
「俺が――何?」
「私を狙ってましたよね?」
「俺が殺人犯だって?」
「......そうは言ってません。私が言っているのは、男女の、そういう意味の、狙う、です」
 今度は錦野光一の目が泳ぐ。
「何を馬鹿な――」
「深夜に私の部屋を――ゲストルームを訪ねてきたのは、"夜這い"のためですよね?」
「言いがかりだよ、それは。事件のことで個人的に話があって、それで――」
「事件って何ですか」
「"御堂勘次郎"消失事件だよ、もちろん」
「御堂さんの事件の何を話すつもりだったんですか? しかも、私にだけ」
「いや、それは――」
 錦野光一が言いよどみ、そのまま沈黙した。言葉を探すように視線をさ迷わせる。
「錦野さんが私に言い寄っているのは分かっていました。冗談めかしていましたけど、本気でしたよね?」
「誤解だよ、林原さん」
「錦野さんは、御堂さんが消えたことを事件だと思っていませんでしたよね。御堂さん流の、ミステリー作家としての悪戯の一種だと思っていたはずです。それなのに、事あるごとにみんなの不安を煽るような発言をしてました。私を怯えさせたかったんでしょう・・・・・・・・・・・・・・・? 私が怖がって錦野さんを頼るように――」
『犯人は――御堂さんに危害を加えた犯人がいるとしてだけど、まだ終わらせるつもりがないんだ』
 鍵がなくなっている状況を全員で確認したとき、錦野光一はそうつぶやいた。
 そして――。
『俺と一緒なら安全だよ』
 不安を煽ってから肩を叩かれ、自信満々の顔でそう言われた。
 見え見えの下心と手管だったから、冷笑を返した。
「矛盾する言動の数々は、危機の中で頼りになる男を演じるため――」
 戸惑いを見せていた錦野光一だったが、ぐっと唇を噛み、凛に顔を向けた。
「......あのさ、いい加減な被害妄想で話を逸らさないでくれるかな。俺は事件の相談のために林原さんを訪ねただけだし、そもそも、今は君が全部屋のロックを抜き取ったことを問題にしてるんだよ」
 凛は他の招待客たちを順番に見た。一身に注がれる嫌悪や疑惑の目――。
 獅子川正が口を開いた。
「林原さんがロックを抜いた犯人なら、僕が見せられた犯行予告状も自分で用意したってことですね」
 錦野が"夜這い"に来たと分かったのは、彼の暴露による結果で、さすがにそこまで予期して行動していたわけではなかった。自分が次の犠牲者になるかもしれない状況で、鍵を掛けないまま就寝することは恐ろしく、抜き取っておいたロックを戻して鍵を掛けた。
"犯人"が殺害のためにやって来て、ゲストルームに鍵が掛かっていることを知っても、公表はしないと踏んでいた。夜中に女性の部屋をこっそり訪ねて侵入しようとするまっとうな・・・・・理由などなく、公表した時点で"犯人"だと名乗り出るようなものだ。
 だが、錦野は単なる下心でやって来ただけだったから、鍵が掛かっていた事実を公表した。
 それは誤算だった。
 仕返しの感情もあり、彼の下心と"夜這い"を暴露したが、追い詰められているのは自分のほうだった。
 ――もう隠し事はできないようだ。
 凛は諦観のため息を漏らした。
「たしかに私は部屋のロックを抜き取りました」
 山伏が「やっぱり......」とつぶやいた。
「でも、それは誰かを狙ったりするためではありません」
「他に理由なんてないでしょう?」
「......私は・・"犯人・・"を突き止めるために鍵を掛けられないようにしたんです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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 錦野光一は彼女の言いわけ・・・・の意味が理解できず、言葉を返せなかった。
 獅子川正が首を捻りながら、「どういう意味です?」と訊いた。誰もが彼女の言葉を待っている。
「順を追って話します。初日、本棚から私の著作が消えていたことで、次に狙われるのは私かもしれないと思いました。怖かったです。"犯人"を暴かなければ、自分の身が危ない――と」
 一呼吸置くと、全員が黙ったまま続きを待っていた。
「御堂さんが叫び声を上げて忽然と消え、みんなで御堂邸じゅうを捜し回っても見つかりませんでした。本当に隠し部屋があるとしか思えません。"犯人"は御堂さんを襲った後、隠し部屋に隠したんです」
 獅子川正が反論した。
「"御堂勘次郎"が偽者のなりすましで、消失は自作自演だった可能性もありますよ」
「もちろんそうです。"御堂勘次郎"が偽者だとして、御堂邸で見つからないということは、隠し部屋に身を潜めているはずです。どちらにしても、隠し部屋を見つけることが重要です」
「......まあ、そうですね」
「そこで私は意味ありげな犯行予告状を作りました。獅子川さんの推測どおりです」
"幼子の消失は隠し部屋を使ったトリックである。次なる犠牲者は口の軽い愚か者である。隠し部屋に次なる犠牲者が倒れているであろう......"
「御堂邸に隠し部屋がある前提で、その隠し部屋の存在を知っている人間を装って、犯行予告状を書いたんです。それを皆さん一人一人に渡しました。部屋に一人でいるとき。トイレに入っているとき――。扉の下の隙間から差し入れました。獅子川さんだけは一人きりになってくれるタイミングがなかったので、私が受け取ったてい・・で、犯行予告状を見せました。天童寺さんは盗作騒動の明らかな部外者なので、事件を起こす動機もありませんし、同じくタイミングがなくて渡していません」
「なぜ僕らにそんなものを?」
「"犯人・・"に行動を起こしてもらうためです・・・・・・・・・・・・・・・
「"犯人"に?」
「"御堂勘次郎"が自作自演で事件を演出したんだとしても、単独犯とは思えません。私たちの動きを把握できる"共犯者"が内部にいるはずです。私は"犯人"または"共犯者"に行動を起こさせたかったんです」
「......なるほど。あの犯行予告状の内容を見たら、隠し部屋で何かが起こっているかもしれない、と考えて、動くでしょうね」
「そうです。必ず気になって隠し部屋に様子を見に行くはず――と考えました」
「そこまでは理解できます。それでなぜロックを?」
 凛は他の面々を見回した。
「隠し部屋があるとして、それは一体どこでしょう?」
 錦野は眉を寄せた。
「どこって――」
「リビングやダイニングのような開けた場所・・・・・に、秘密の扉があるとは考えにくいです。そんな目立つ場所に隠し部屋があったら、こっそり出入りできません。隠し部屋への出入り口を作るなら、利便性を重視するはずです」
「だろうね」
 凜が廊下へ向かい、その先の書斎の扉を開けた。全員でついていく。
「パウダールームや、ここ――書斎が怪しいでしょうか。二階に隠し部屋は難しいでしょう。一畳程度の空間ならまだしも、人が動き回れる程度の部屋となると、二階では外観がいびつ・・・になって、不審がられます」
「そりゃそうだね」
「"犯人"または"共犯者"は全員が寝静まった後で動くと思いますが、部屋に鍵を掛けた状態で隠し部屋に移動されたら尻尾を掴めません。そこで私はどの部屋にも鍵を掛けられないようにしたんです。特定の部屋だけロックが奪われていたら、"犯人"に罠だと感づかれる恐れがあり、全部屋のロックを取り外すしかありませんでした」
「......それで?」
「私はゲストルームの扉の前に座って、物音に注意していました。すると、深夜三時ごろのことです。扉が開け閉めされる音と、かすかな足音が耳に入りました」
 凛はその人物の喉元を注視した。ごくりと音が聞こえそうなほど大きく喉仏が上下した。
「私はゲストルームをこっそり出ると、二階ホールから様子を窺いました。人影はダイニングルームのほうへ消えました。私は自分の足音が相手に聞こえないと確信できるまで待ってから、階段を下りました。錦野さんはリビングのソファで寝入っているようでした。"夜這い"に失敗してふて寝していたんでしょうか」
 錦野は不愉快さを噛み締めた。事実だから何も言い返せなかった。
「人影は廊下を進んで、書斎へ消えました。私は書斎に近づき、扉に耳を当てました。すると、中からギーッと重い音がして、静まり返りました。私は一分ほど待ってから、思い切って中に入りました。ロックを奪っていなければ、内側から鍵を掛けられていたでしょうから中には入れません。作戦が功を奏したわけです」
 そこまで語ってから、凛はヘリンボーンの床に視線を落とした。表情に悔恨の情が滲み出ている。
「......私がロックを抜き取らなかったら、藍川さんは殺されずにすんだのに――」
 彼女が藍川奈那子の遺体を前に涙した理由を理解した。
 凛はゆっくりと顔を上げた。
「書斎は無人でした。デスクの陰も確認しましたが、誰も潜んでいませんでした。裏口の扉も内側から鍵が掛かっていました。密室の中で人影は忽然と消えていたんです。これは書斎に隠し部屋があることを意味しています」
 錦野は喉の渇きを意識しながら、書斎内を見回した。四方が備えつけの本棚で囲まれている。
 ここに本当に隠し部屋が――?
 天童寺琉が「人影の正体は分かっているんですか」と訊いた。
 凛は一人の人物を睨みつけた。
「人影はあなたでした、安藤さん」
 彼女が名指ししたのは仁徳社の編集者だった。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

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