そして誰かがいなくなる第31回
「悪い想像が外れていることを願います。ですが、一階にいないという状況から推測すると――」
「いやいや」錦野は言った。「先に一階をもっとくまなく捜すべきでしょ。本当に隠し部屋があるかもしれませんよ」
「隠し部屋なんて眉唾物です」獅子川正が反論した。「美々ちゃんが二階に隠されている可能性は充分あります」
「藍川さんはそれまでずっと娘さんと一緒に過ごしていて、トイレのために二階へ上がったんです。で、一階へ下りて娘さんが消えていることに気づいたんですよ。マスターベッドルームには俺が、ゲストルームには山伏さんがいました。二階へ運んできたらどちらかと鉢合わせするはずです。廊下を通ってシアタールームに入ることは物理的に可能ですけど、俺はマスターベッドルームからシアタールームに繋がるドアを開けていましたから、犯人が廊下からシアタールームにこっそり入ってきても俺に気づかれます」
「そうとも言い切れませんよ。さっきの話だと、藍川さんは二階のトイレを使った後、マスターベッドルームで錦野さんと少し話したんですよね?」獅子川正は藍川奈那子に顔を向けた。「そのとき、部屋のドアは閉めました?」
彼女は記憶を探るように視線を上げた。
「たしか――閉めました。開けたままだと何だか無防備な気がして、ほとんど本能的に」
「やはりそうですか」
錦野は「だったら何です?」と訊いた。
「......"
錦野はその光景を想像し、はっとした。
「いいですか」獅子川正が続ける。「トイレの電気を点けなければ、中に人がいるかどうかは外から分かりません。トイレを使ったばかりの藍川さんがまたすぐトイレを使うことはないので、安全な隠れ場所です。もちろん、錦野さんや山伏さんが使う可能性はゼロではありませんが、藍川さんが娘を一人きりで長時間放置するとは考えられず、おそらくすぐ錦野さんとの話を切り上げて一階へ戻るでしょう。そして美々ちゃんの消失に気づいて、すぐ声を上げるはずです。その短い時間に錦野さんか山伏さんがトイレを使う可能性はきわめて低いと考えられます」
「しかし、それはたまたま藍川さんがトイレの後でマスターベッドルームに入って、しかもドアを閉めたから実行できるトリックですよね」
「つまり?」
「藍川さんがトイレを出た後、そのまま階段を下りていたら、美々ちゃんを二階へ運ぶことはできません。藍川さんがマスターベッドルームに入った後、扉を開けたままだったら、こっそりトイレに潜むこともできません。すぐそばですから、必ず気づかれます」
二階トイレの扉を最大まで引き開けたら、マスターベッドルームのドアに接するほど二つの部屋は近い。藍川奈那子がマスターベッドルームの扉を開けたままだったら、"犯人"がトイレに入ろうとした瞬間に物音や気配でバレてしまうだろう。
「"犯人"は眠っている美々ちゃんと一緒に二階トイレに隠れて、一階へ下りていく錦野さんと山伏さんをやり過ごしてから、悠々とマスターベッドルームに隠れたんです。これが美々ちゃんがリビングから消えて、一階のどこにもいない真相だと思います。二階を捜せば見つかるはずです」
獅子川正が率先してサーキュラー階段を上りはじめた。錦野は他の面々に続いて二階へ上がった。
天童寺琉がハンドル形の取っ手を押し下げ、二階トイレの扉を開ける。クリーム系の壁紙が貼られた狭めのトイレだ。高さが二メートル七十センチあるという天井は一般的な住宅より高く、面積の割には広く見える。もちろん子供が隠れていることはなかった。
「いませんね......」
続けて彼がマスターベッドルームに入った。
「ここにはいないでしょ」錦野は入り口から言った。
「決めつけは危険です。全ての部屋を調べねば」
全員でマスターベッドルームに入った。ベッドの下や陰を覗き込んで確認した。美々の姿はない。
「......他の部屋を調べましょう」獅子川正が言った。「ゲストルームにいた山伏さんが一階に下りた隙に、そっちに隠したのかもしれません」
「その前にこっちでしょ」
錦野はシアタールームのドアを開けた。ぱっと見るかぎり、美々の姿はなかった。
三人掛けのソファの後ろを調べた。スピーカーの後ろ側や、バーカウンターの陰も調べた。
だが――。
「ここじゃないですね」
錦野はかぶりを振ると、廊下に出た。そこに髪を乾かし終えた林原凛が合流した。
「美々ちゃん、見つかりました?」
心底心配そうに訊く。
「......いえ」天童寺琉が首を横に振った。「後はゲストルームだけです」
全員でゲストルームへ入る。ベッドの下やドレッサーの下を覗き込んだ。しかし、美々は見つからなかった。
全員で顔を見合わせる。
「これはどういうことでしょう......」
山伏が眉を顰めたままつぶやいた。
獅子川正はベッドのそばに立ち尽くしたまま、見開いた目で虚空を睨んでいた。
「二階にもいないなんて――」
天童寺琉が奥のカーテンを引き開け、吹雪に襲われて雪が積もっているバルコニーを眺めた。
「アラームが鳴っていない以上、外には誰も出ていないはずですが......」
「美々......」
藍川奈那子は不安に塗り潰された顔で、今にも泣き出しそうに見えた。噛み締めた下唇が震えている。
幼い女の子はどこへ消えたのか。
錦野は改めて記憶を探った。
マスターベッドルームで藍川奈那子としばらく話した後、彼女が一階へ下り、娘の消失に気づいた。一階から呼びかける彼女の声を聞き、階段を下りた。一緒に山伏も一階に下りた――。
「おかしい......」錦野は言った。「これはおかしいです」
獅子川正が「何がです?」と顔を向ける。
Synopsisあらすじ
何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!
Profile著者紹介
1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。
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