そして誰かがいなくなる第41回
「藍川さんに確認したいことがあります」
彼女は錦野光一に顔を向けた。
「......何でしょう?」
「ちょっと書斎へ」
錦野光一の後について全員で書斎へ戻った。彼はシェルフの隠し金庫の中に貼られたメモを指差した。
「これです。おそらく御堂さんが残した文章でしょう。被害者の苗字は御堂さんで、"犯人"の苗字は藍川さん、あなたでした」
彼女は当惑を見せた。
「......私には何のことか」
「意味もなく藍川さんを"犯人"にはしないのでは?」
「そう言われても、心当たりがありません。私が、尊敬する御堂先生を殺したりするはずがありません。それだったら、隠し部屋の存在を一人だけ知っていた安藤さんこそ、一番怪しいじゃないですか」
矛先が向いた安藤が反論した。
「......二階から御堂先生の叫び声がしたとき、一人きりでマスターベッドルームにいた錦野さんが一番の容疑者のはずです」
「何で俺が――」
錦野光一が怒鳴り返しそうになったとき、天童寺琉が緩やかに首を横に振った。
「いえ、錦野さんは御堂さんを殺していないでしょう」
安藤が「なぜ決めつけられるんです?」と反発した。
「
「いや、だからそれは四桁の数字を全部入れていくのが面倒だったからでしょう? 錦野さん自身がそう言ったじゃないですか」
「重要なのはその後の台詞です。先ほど錦野さんはこう言いました。『御堂さんの金庫を勝手に開けるのはさすがにまずいと思って......』と」
「だから何です? 普通の心理だと思いますが......」
「それは御堂さんが生きていたら――の話です。
安藤が「あっ――」と声を漏らした。
「そうです、錦野さんが御堂さんを殺害した犯人なら、金庫の開錠に挑戦することをためらう理由がないんです。総当たりで金庫を開けて、中身を確認したはずです」
「......でも、確認しなかったとは言えないですよね? 実際にはもう金庫の中を確認して、預けたスマホだったからとりあえず元に戻して素知らぬ顔をしていた可能性もあります」
「はあ?」錦野光一が眉間に皺を刻んだ。「そんなことして何の意味があるんです?」
「知りませんよ、僕は」
「第一、犯行時刻のアリバイの話なら、安藤さんこそ、ここ、書斎で一人でしたよね」
「......僕は御堂先生に頼まれて電話番をしていました。御堂先生が二階で叫び声を上げたとき、他社編集部からの電話に応じていたんです」
「それだって事実かどうか」
「事実です」
言い争いが激しくなったとき、電話のコール音が鳴り響いた。
全員が書斎の奥に顔を向けた。アイアンの電話台の上にある固定電話が鳴っている。
錦野光一が固定電話に向かおうとしたとき、天童寺琉が腕で制止した。
「何を――」
天童寺琉が安藤に顔を向けた。
「どうぞ、取ってください。御堂さんから電話番を任されていたんでしょう? 犯行時刻に出版社と電話で話していたときと同じように、出てみてください」
「は、はあ......」
安藤はためらいがちに固定電話に近づき、受話器を取り上げた。
「もしもし......」
慎重に話しかける。
天童寺琉がスマートフォンを耳に当てた。
「もしもし?」
安藤が受話器を耳から離し、天童寺琉を見やる。
「一体何を――」
「僕の声は聞こえますか?」
安藤が改めて受話器を耳に当てると、天童寺琉が「もしもし」と話しかけた。そして――安藤は困惑顔で天童寺琉を見る。
「何も聞こえませんよ......」
「それは変ですね。僕は机の引き出しにあった御堂さんの名刺を見てご自宅に電話しました。実際に電話は鳴りました。それなのに、通じていません」
「僕にそんなことを言われても――」
「では、少し実験をしてみましょう。電話を切ってください」
安藤は当惑を浮かべたまま受話器をフックに戻した。再び天童寺琉が電話を鳴らした。
「
「そんなことをして何の意味が――」
「まあ、騙されたと思って」
安藤は眉間に深い皺を刻んだまま、言われたとおりにした。
「こんなことしても電話が切れるだけで何の意味も――」
天童寺琉が「もしもし。どうですか」とスマートフォンに話しかけた。受話器を耳に当てている安藤の表情が一変した。目に強い困惑が表れる。
「聞こえます......」
天童寺琉がにやりと笑みをこぼした。
「やはりそうですか」
「これは一体どういう――」
「この電話機は国内製品ではありません。同種の電話機に関してスマホで検索したところ、『電話は鳴っても取ったら声が聞こえない』、『電話機として使えない』というレビューが書き込まれていました。しかし、商品説明欄には、電話として使えます、と書かれています。つまり、
錦野光一が「それが今のやり方ですか?」と尋ねた。
「僕が引っかかったのは、錦野さんの話でした」
「俺の?」
「はい。錦野さんは、タクシー会社からの電話を御堂さんが切ってから話しているふりをした、と言いました。実は切ったのではなく、
「でも、なぜそんな突拍子もない発想が......」
「もう一度電話がかかってこなかったからです」
「どういう意味ですか」
「タクシー会社から電話がかかってきて都合が悪かった御堂さんは、受話器をフックに戻して切ってから話しているふりをした――。もしそんな行動をしたとしたら、
「たしかに......」
「実際はもう電話はかかってきませんでした。つまり、錦野さんの証言が嘘か、それとも電話を切る動作に何か意味があったのか。二つに一つです。そう考えたとき、電話機の仕様に気づいたんです」
凛は天童寺琉を見た。
「電話機の使い方は分かりました。でもそれが何か重要なんですか?」
天童寺琉はわずかに口元を緩めた。
「
一瞬遅れてその意味に気づいた。
天童寺琉が安藤に視線を移した。
「
安藤の瞳に動揺がちらついていた。
「それは――」
「しかし、あなたは僕が教えるまで電話の仕様を知りませんでした。それは電話を受けていたという話が――あなたが主張するアリバイが嘘だということです。なぜそんな嘘をついたのか、その理由は想像に難くないですね」
非難の眼差しを一身に受けた安藤は、声を震わせながら反論した。
「待ってください。僕は犯人ではありません。たしかに電話を受けていたという話は嘘でした。でもそれは、疑われることが怖かったからです。書斎に一人きりだった僕にはアリバイがありません。御堂さんに危害を加えた犯人にされたくなくて、とっさにそんな愚かな嘘をついてしまったんです」
天童寺琉が残念そうにかぶりを振った。
「いいえ、それはあり得ません」
「なぜ?」
「皆さんは、御堂さんを捜し回った後、ダイニングの固定電話のモジュラーケーブルが抜かれていたことを覚えていますか?」
数人が「はい」と答えた。
「それは安藤さんの仕業です。犯行時刻、電話を受けていないのに受けていることにする、と決めた時点で、あらかじめダイニングの固定電話のモジュラーケーブルを――おそらく、マスターベッドルームの固定電話も同じだったでしょう――抜いておいたんです。書斎の電話だけが鳴る状況を作り上げておくことで、他の部屋で電話が鳴っていなくても書斎では鳴ったから電話に出ていた――というアリバイを主張するために」
――"クローズド・サークル"だと、電話線の切断は外部との連絡手段の遮断として定番ですけど......これは抜かれているだけですよね? 一体何の意味が......。
――分かりません。分かっているのは、いつの間にかダイニングの電話線が抜かれていた事実だけです。だから書斎で電話が鳴ってもダイニングでは鳴らなかったんですね。
そういえば、そんな会話が交わされた。
「つまり、あなたは
安藤は言葉をなくし、立ち尽くしていた。
「......し、しかし! 犯行は二階で行われたはずです。書斎にいた僕は一番犯行現場から遠い場所にいました。物理的に犯行は不可能です。それとも、僕が御堂邸の外に出て、ロープでも使って二階へこっそり上がったとでも?」
天童寺琉の眼差しは冷徹だった。
「逆なんですよ。御堂さんを殺害した犯人は、地下室に一番近い場所にいた人物です」
「ま、待ってください。それではまるで地下室が――」
「そうです」天童寺琉がきっぱりとうなずいた。「
Synopsisあらすじ
何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!
Profile著者紹介
1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。
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