そして誰かがいなくなる第9回

「御堂様より申し付けられております。このような場でスマートフォンや携帯電話などの現代的な機器に縛られていては無粋だろう、とのことでした」
 全員が顔を見合わせた。
 現代人ならスマートフォンを半日でも手放せないだろう。友人知人からの連絡ならまだしも、作家なら締め切りがあるし、担当編集者からの急を要する電話もある。文芸評論家も同様で、書評や解説の仕事で版元とやり取りしなければならない。
 真っ先に動いたのは、御堂勘次郎フリークの藍川奈那子だった。鞄からスマートフォンを取り出し、老執事のトレイに置いた。
「御堂先生がおっしゃることはもっともです。賛成です」
 彼女が先陣を切ったことで、林原凛も腰を上げた。
「......そうですね。締め切りが近い原稿は一昨日のうちに仕上げて送ってありますし、何か連絡があったとしても今日一日くらいは大丈夫です」
 二人がスマートフォンを差し出すと、錦野光一は嘆息を漏らし、自分のものをトレイに置いた。
「ま、半日のことですからね。現代社会のしがらみから離れて、森の奥の洋館を堪能するとしますか」
 この流れで自分だけ駄々をこねるわけにはいかないだろう。
 山伏は自分のスマートフォンを出すと、メールやLINEをチェックした。何通か溜まっている。解説文の進捗状況を問うメールや、食事の誘いなど――。
 今すぐ返事が必要なメールやLINEはなかった。
「どうぞ」
 山伏はスマートフォンを預けた。
「ご協力ありがとうございます」
 老執事は編集者に顔を向けた。その眼差しの意味に気づいたらしく、安藤は戸惑いを見せた。
「あのう......僕も預けなければなりませんか?」
 老執事は柔和なほほ笑みを絶やさないまま答えた。
「お願いいたします」
「仕事柄、担当作家から急ぎの連絡があるかもしれません。手放すのはちょっと――」
「御堂様は例外なく全員の携帯機器を預かるように、と命じられました」
「来週校了のゲラも抱えていまして――」
 安藤が食い下がると、錦野光一が冷笑交じりに言った。
「今日一日くらいは平気でしょ。電話を無視して担当作家から文句を言われても、大作家との会食がありまして――って言えば、済む話でしょう?」
「いや、そういうわけにも――」
「いくでしょ。俺なんか、校了直前に誤植に気づいて担当に連絡したら留守電で、深夜になってからようやく折り返しがあったかと思えば、酔っ払った声で、ある大作家との会食だったなんて言われましたよ。こっちは最後の最後まで見直してんのに、いいご身分だな、って思いましたね」
 藍川奈那子と林原凛がわずかに笑った。彼女たちにも多かれ少なかれ似た経験があるのだろう。
「ほら」錦野光一が言った。「作家だって大事な連絡はあるのに預けてるんですよ。編集者が我がまま言ってどうするんです?」
 安藤はうなった後、スマートフォンを差し出した。
「責任を持ってお預かりいたします」
 老執事がトレイに集めたスマートフォンを持ち、廊下の先へ姿を消した。
「スマホがないと落ち着かないですね」林原凛が誰にともなく言った。「肌身離さず持っていましたし......」
 藍川奈那子が「ですね」と応じる。「個人情報も満載ですし。少しそわそわします」
 錦野光一が面白がるように言った。
「これで俺たちは吹雪の洋館に閉ざされたわけだ。御堂さんからスマホを返してもらうまでは、外部との連絡は一切不可能」
 山伏はダイニングに目を向け、壁に寄り添うように置かれているゴールドの半月形コンソールを指差した。フランスの宮殿に置かれているようなロココ調で、乳白色の大理石天板が貼られている。
「ほら、あれがありますよ」
 コンソールの上には、真紅の薔薇の造花が活けられた豪華なデザインの花瓶があり、その横に一際目を引く固定電話がある。白の本体に、黄金色の女神が寝そべっているデザインだ。
 林原凛は固定電話を見やった。
「あれはインテリアじゃないんですか? 使えるんでしょうか?」
 錦野光一が肩をすくめた。
 山伏はマントルピースの上の置き時計に目を投じた。時刻の確認すらもスマートフォンに頼りすぎて、久しく腕時計をしていない。
 秒針の動きを眺めていると、すぐ十一時半になった。
 廊下の先からドアが開け閉めされる音がして、スリッパの足音が聞こえてきた。
 全員が一斉に顔を向けた。
 姿を現したのは老執事だった。
「皆様、大変長らくお待たせいたしました。御堂様がお越しになるそうです」
 緊張した空気が漂った。
 当然だろう。今まで公の場に一切顔を見せず、編集者と電話すらしていない覆面作家、御堂勘次郎が初登場するのだ。ミステリーファンなら胸躍るシチュエーションだ。
 再びドアが開く音がした。
 スリッパの音が近づいてくると、全員が同時に腰を上げた。廊下に視線を注いで待つ。
 落ち着いた足音と共に姿を見せたのは、長身の中年男性だった。怪しげな仮面を付けていることもなく、奇妙奇天烈な服装をしているわけでもない。
 全館空調(セントラルヒーティング)だという室内は温度が一定で暖かいせいか、彼は薄手の黒い開襟シャツを着ている。黒々とした髪を撫でつけ、鼻は高い。目は穏やかで、柔和な雰囲気を醸し出しているものの、毅然としたたたずまいだ。四十代か、五十代か、年齢は判然としない。正直、堂々とした作風や文体から、もう少し年配のイメージもあった。
「お待たせしてしまったね」低音の響きがいい声だ。「ようこそ、我がへ」
 彼が覆面作家、御堂勘次郎――。
 あまりにあっけなく覆面作家の正体があらわになり、少々拍子抜けした感もある。
 だが、彼の熱烈なファンである藍川奈那子は、興奮を隠しきれない声でつぶやいた。
「あなたが......」
「ああ。いかにも私が御堂勘次郎だ」
「お会いできて光栄です。御堂先生の大ファンとして、作家の立場を忘れそうです。いろいろとお伝えしたい想いもあって、事前に頭の中で考えていたんですけど、今、緊張で全部飛んでしまいました......」
「そんなに緊張しなくてもいい。こうして次世代を担う作家たちを招くことができて私も嬉しいよ」
「素敵な新居で、うっとりします」
「ミステリーを愛する人たちに楽しんでもらいたくてね。こういう"何かが起こりそうな洋館"はワクワクするだろう?」
「はい!」彼女の緊張は少し緩んだようだった。ほほ笑みながら答えた。「実は――最初に抱いた感想がそれ・・でした。ですが、不穏で失礼かと思い......」
「いやいや、むしろその感想こそ本懐だよ」
 御堂勘次郎の穏やかな笑みで場の空気が緩んだ。
 話の切れ目を見計らった錦野光一が進み出た。
「初めまして。錦野です。このたびはご招待いただき、どうもありがとうございました」
 御堂勘次郎が彼を見て小さくうなずいた。
 錦野光一が続けた。
「御堂さんに『大歯車の殺人』を推していただいて、デビューできました。直接お会いしてお礼をお伝えするこのような機会を待ち望んでいました」
 先ほどまでのリラックスした態度とは打って変わり、彼は教授に呼び出された学生のように固くなっていた。殊勝な態度は敬意の表れか、それとも、なのか。
「『大歯車の殺人』はベストセラーになったようだね」
「おかげさまで売れてくれました。御堂さんにいただいた帯文――"本格推理史上、かつてない大仕掛け。新世代の傑作だ"は業界で注目を集めまして、それで流れが決まったように思います」
「作品自体の力――『大歯車の殺人』が傑作だったからだよ。私はそれを知らせる手助けをしたにすぎん」
「本当にありがとうございます」
 錦野光一が恐縮したように耳の裏を掻いた。
 続いて林原凛が挨拶した。
「御堂勘次郎ミステリーのファンとして、こうしてご自宅にご招待いただいて、嬉しかったです」
 声のトーンが高くなっている。意識的だろうか。
 全ての文芸誌や雑誌、新聞を追っているわけではないが、彼女がインタビューなどで御堂勘次郎の名前を出しているのを見たことがない。
「そう言ってもらえて嬉しいよ。文壇でも評判で、ずいぶん勢いに乗っているようだね」
 彼女が青山賞にノミネート中であることは、耳に入っている。『天使の羽ばたき』が評価されたのだ。選考委員の一人である御堂勘次郎に気に入られたい打算はあるかもしれない。
「ありがたいことに――」林原凛は控えめな笑みで応えた。「過分なほど評価していただいています」
「素晴らしいことだ」
「はい」
 会話が途切れると、山伏も自己紹介した。
「御堂さんのご健筆を頼もしく思います。一昨年の『御堂勘次郎特集』で解説を書かせていただいた際、既刊の多くを再読しましたが、題材もアイデアも豊富で、まるで趣味嗜好や考え方が違う"御堂勘次郎"が何人もいて、それぞれ担当する作品が違うのではないか、と思うほどでした」
 御堂勘次郎は大笑いした。
「自分が何人もいたら楽だろうね。締め切りに追われているときは、真剣にそう思うよ」
「今日の招待客はどのように選定を――?」
 御堂勘次郎が笑みを消した。
「付き合いの長さというわけでもなさそうですが」
「......それは言わぬが花、ということにしておこう。謎こそエンターテインメントなのだから」
「分かりました。訊かないでおきましょう」
 山伏が答えると、最後に担当編集者が挨拶した。
「仁徳社の安藤です。普段からメールでやり取りはさせていただいていますが、お目にかかるのは初めてで、少し緊張しています。改めましてよろしくお願いいたします」
 御堂勘次郎が「ああ」とうなずいた。「いつも世話になっているね。仁徳社は私の著作に力を入れて売ってくれるから、感謝しているよ」
「とんでもありません。こちらこそ、御堂先生の玉稿をいただき、感謝しています。力作を預かった以上、社としましても全力で仕掛けていきたいと思っています」
「期待しているよ。今度の作品は人生をかけた勝負作でね」
「楽しみにしています」
「うむ」
 御堂勘次郎は間を置き、面々を見回した。
「さて、本日のパーティーの趣旨を発表させてもらうとしよう」
 彼の大真面目な顔つきを目の当たりにし、改めて場の空気が張り詰めた。
 御堂勘次郎が一呼吸置いてから口を開いた。
「私は今夜、あるベストセラー作品が盗作であることを公表しようと思う」
 一瞬で全員の表情が強張った。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

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