そして誰かがいなくなる第27回


            11

 一体何を言っているのか――という目を誰もが天童寺琉に向けていた。
 藍川奈那子は呆れてかぶりを振った。
「御堂先生が本物なのかどうかって――おっしゃっている意味が理解できません」
 数人が無言でうなずく。
「私たちは御堂先生にご招待いただいて、ここに集まったんですよ?」
 天童寺琉は動じた様子もなく、面々の顔を見回した。
「今回の対面まで覆面作家である御堂勘次郎の顔を見た人間はおろか、声を聞いた人間もいません。少なくともこの場には」
「それはそうですけど、いくらなんでもその疑いは御堂先生に失礼すぎます」
「僕もふと閃いた直感を口にしたわけではないんです。実は少し引っかかることがありまして」
「何ですか」
 唐突な話に不快感を覚えていたから、詰問口調になった。憧れの御堂先生の素性を疑うなんて――。
 天童寺琉は落ち着き払った口ぶりで答えた。
「昨日、僕が獅子川さんと一緒にここへやって来たときのことを思い出してみてください。編集者の安藤さんが獅子川さんの『長野の流星群』の話をしましたよね」
 ――僕からも感謝します。弊社から刊行した獅子川さんの『長野の流星群』では、山伏さんに誌面で取り上げていただきました。
「はい......」奈那子は慎重にうなずいた。「それが何か?」
「それに対して御堂さんが安藤さんに何と言ったか、覚えていますか?」
 ――編集者としても、自分の担当作が取り上げられると嬉しいものだね。
「変な話はされていなかったと思いますが」
「厳密に言えば、御堂さんの台詞が問題というより――僕が気になったのは、安藤さんの返事に対する御堂さんの反応です。御堂さんが『自分の担当作が取り上げられると嬉しいものだね』と言うと、安藤さんは困惑して否定しました。『獅子川さんの担当は僕ではありませんよ』と」
 そういえば、そんなやり取りがあった。
「それは御堂先生の勘違いでしょう?」
 彼の話が引き金になって、そのときの会話が蘇ってくる。
 ――ああ、そうだったか。すまんすまん、勘違いしていた。別の作家と間違えていたかもしれん。
 ――いえいえ。
 ――ボケるような年齢でもないんだがね。
 ――僕もうっかりはしょっちゅうです。御堂先生にご迷惑をおかけしていなければいいんですが。
 ――迷惑をかけられたことはないよ。いつも感謝している。
「御堂さんは勘違いだったと苦笑いして、『ボケるような年齢でもないんだがね』と冗談めかして話は終わりました」
「それが全てでは――?」
「もちろん、言葉どおり、うっかりだったかもしれません。しかし、単なる勘違いだったにしては、御堂さんの反応は過剰・・だったようには感じないでしょうか。わざわざ『ボケるような年齢でもないんだがね』と付け加えました。どことなく作為的な――迂闊(うかつ)なミスを誤魔化(ごまか)すようなわざとらしさを感じませんか?」
 奈那子は眉を寄せた。天童寺琉の話を否定できるだけの根拠は示せない。
 編集者が他の担当作家の話題を口にすることは日常茶飯事だ。担当している誰々さんがこんなことをおっしゃっていました――という程度の話はよく聞かされる。もちろん、担当作家のデリケートな話題をぺらぺら吹聴することはなく、それぞれライン・・・は見極めていると思う。
 自分自身、どの社の担当編集者が他に誰を受け持っているか、一度聞いたらしっかり覚えている。
 しかし、誰にでも思い違いや記憶の混同は起こり得るはずで、その可能性自体は誰にも否定できない。
 錦野光一が苦笑いを浮かべた。
「推理小説じゃ、覆面作家なんて、いの一番に正体を疑うべき対象ですけどね......。でも、現実に大先輩を疑うなんて、さすがに非礼すぎて」
「まだそうと決まったわけじゃありませんよ」奈那子は口を挟んだ。「いくらなんでも偽者なんて――」
「しかし、急に怪しさを帯びたのは事実です。御堂さんはデビューからずっと正体を隠してきた覆面作家ですよ。長年謎にしてきた正体を明かすイベントを催すとしても、それは俺たちみたいな中堅の若手作家たち相手ではないのでは?」
「じゃあ、あの御堂先生は一体誰だっていうんですか」
「それは分からないですよ。小説の定番の展開なら、本物はすでに殺害されていて、犯人がなりすました――」
「不謹慎なことを言わないでください」
 錦野光一は肩をすくめた。
「まあ、それはさすがに妄想がすぎるかもしれませんけど、天童寺さんの疑念を聞いて、ふと思い出した不審なことがあるんです」
「......何ですか」
「御堂さんは昨日、ダイニングで電話に出ましたよね。タクシー会社から、とのことでした」
「それは覚えてます。吹雪が落ち着き次第、迎えに伺います、という電話でしたよね」
「御堂さんによると、そうらしいですね」
「御堂先生が嘘をおっしゃった――とでも?」
 錦野光一が緊張を抜くように息を吐いてから言った。
「実は俺、見ちゃったんですよね。御堂さん、受話器を取り上げた後、一瞬だけフックに戻して、話しているフリ・・をしたんです」
 誰もが言葉をなくしていた。
 最初に口を開いたのは天童寺琉だった。
「御堂さんは電話を切ったんですか?」
「周りの人は誰も御堂さんを見ていなかったので、気づいたのは俺だけだと思いますね。御堂さんは一度、受話器を置いたんです」
「タクシー会社との会話は作り物だった――。もしそうだとしたら、迎えの話は存在しないことになります。吹雪がやんでもタクシーが来てくれないということです」
 林原凛と山伏が困惑した顔を見合わせた。
「錦野さん」天童寺琉が言った。「あなたはどうしてその話をずっと隠していたんですか」
 錦野光一は顰めっ面を作った。
「......人聞きの悪いこと言いますね、天童寺さん。別に隠していたわけじゃないですよ。あまりに素早くて自然な動作だったので、俺の見間違いだった気がしたんです。でも御堂さんに偽者疑惑が出てきたことで、記憶が蘇ったんです。思い返してみれば不審な挙動だったわけですから」
 言いわけじみている気がした。
 タクシー会社と架空のやり取りを続けている光景を見ていたなら、普通は忘れないだろう。とはいえ、彼を追及しても否定されて終わりだ。
 奈那子は錦野光一の顔をじっと見つめた。
 電話の話が事実だとしたら、今の今まで黙っていた彼にも不審を感じる。だが、彼に何かしらの思惑があったなら、このタイミングで正直に告白しないだろう。黙ったままでもよかったはずだ。
 本当にうっかり忘れていただけなのだろうか。
 天童寺琉は手のひらで顎先を撫でている。
 山伏が難問に直面した表情で言った。
「錦野さんのお話を信じるなら、御堂勘次郎偽者疑惑に信憑性が生まれますね。唐突すぎてこれをどう判断していいのか、正直、決めかねますが」
 個人的には信じたくない気持ちがある。御堂勘次郎と悲願の初対面を果たし、大喜びしたのに――。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

Newest issue最新話

Backnumberバックナンバー