そして誰かがいなくなる第36回
18
山伏大悟は他の面々を眺め回した。
誰もが口を閉ざしていた。
事件かどうかも分からない御堂勘次郎の消失では推理劇を繰り広げていたミステリー作家たちも、招待客の中から現実に犠牲者が――死者が出たとあってはそのような余裕はないようだった。
殺人もトリックもフィクションだからこそ楽しめる――という当たり前の事実を思い知った。御堂勘次郎の問いかけに、フィクションのあり方を議論しながら食事したことが大昔のように思える。
山伏はつかの間ためらったすえ、「あの......」と切り出した。全員の視線が集まってから、懐のポケットに手を入れた。
「実は昨夜、これが――」
取り出したのは、折り畳んである手紙だった。開いて文面を見せる。
"幼子の消失は隠し部屋を使ったトリックである。次なる犠牲者は口の軽い愚か者である。隠し部屋に次なる犠牲者が倒れているであろう......"
「これは――」
錦野光一が顔を顰めた。
「......犯行予告です」山伏は下唇を噛み締めた。後悔の念が胸を掻き毟る。「口の軽い人間が次の犠牲者になる、と書いてあったので、言い出せませんでした。まさかこんなことになるとは思いもせず――」
錦野光一が躊躇を見せながら手紙を取り出した。
「実は俺も同じです」
彼が提示した手紙にも同様の犯行予告が記されていた。
「錦野さんにも......」
「俺の場合、脅迫的な部分を気にしたわけじゃないんですけど、なぜ自分にこんな手紙を送って来たのか――結果的には俺だけじゃなかったんですけど、そのときは"犯人"の真意をあれこれ考えてしまって、言い出せなかったんです」
安藤が「僕も同じものを――」と手紙を取り出した。それを機に林原凛も手紙を見せた。
獅子川正が困惑気味に言う。
「僕はなぜか受け取っていません。ただ、犯行予告状の存在は昨晩、林原さんから見せられて知っていました」
天童寺はその光景を見回した。
「僕も犯行予告状は受け取っていません。獅子川さん以外の皆さんには来ています。たぶん、藍川さんも受け取っていたのではないでしょうか」
山伏は口を挟んだ。
「さすがにこれは警察に通報すべきです。御堂さんへの迷惑がどうとか、配慮している場合ではありませんよ。実際に事件が起きたわけですから」
山伏は、部屋の片隅に置かれているヴィクトリアン調のテレフォンソファ――文字どおり、片側に電話台のような台座があるソファだ――に目をやった。シェード付きのテーブルランプが置かれた台座の横に、アンティーク調の固定電話がある。
「実はですね――」
天童寺琉は眉を曇らせると、テレフォンソファに歩み寄った。そして――固定電話本体を取り上げる。
「これを見てください」
彼が固定電話の底を全員に向けた。
林原凛が「あっ」と声を上げた。「モジュラーケーブルが......」
天童寺琉が小さくうなずいた。
「そうなんです。モジュラーケーブルが奪われているんです。これでは電話が使えません」
「一体誰が――」
「"犯人"でしょう。僕も藍川さんの遺体を発見して、すぐ通報しようとしたんですが、このありさまで」
天童寺琉が悔しげに下唇を噛む。
「......一階へ下りましょう」山伏は言った。「下の電話を使って通報を――」
提案しながらも嫌な予感は拭い去れなかった。
天童寺琉が慎重な顔つきでうなずく。
「そうですね。ここにいても僕らにできることはありません。現場の保存も重要ですし、下りましょう」
全員で一階に下りた。
嫌な予感は的中した。ダイニングルームの固定電話のモジュラーケーブルも、書斎の固定電話のモジュラーケーブルも、奪われていた。
山伏は唖然としたままつぶやいた。
「これじゃ、外部との連絡が......」
「はい」天童寺琉が答えた。「一階の電話もやられていますね。通信手段が潰されました」
全部屋の鍵が抜き取られ、藍川奈那子が殺され、固定電話のモジュラーケーブルも奪われてしまった。"犯人"の狙いは何なのか。動機は何なのか。まだ犯行を続ける気なのか。
山伏は彼らを順番に見回した。
「まさか私たちの中に犯人が――」
「いやいや」獅子川正が反論した。「犯人は"御堂勘次郎"になりすましている偽者では?」
「現実的に考えて、この広さの邸宅で第三者が自由に動き回れるとは思えません」
「犯行があったのは夜中でしょう? 僕らは全員、寝ていましたから、動き回ることは可能だと思います」
「第三者がどこかに潜んでいたとして、私たち全員が本当に寝ているかどうかは分からないでしょうし、そんな中で出歩いたら誰かと鉢合わせするかもしれません。さすがにリスクが高すぎて、難しいんじゃないでしょうか」
「隠しカメラが実在するとしたら――。様子を監視しているなら、安全です」
山伏はリビング内を見回した。マントルピースの上や、天井の装飾や隅――。
だが、ぱっと見るかぎり、怪しいレンズは見当たらなかった。
第三者が――"御堂勘次郎"の偽者が本当に邸宅内の様子をどこからか監視しているのか?
仮にそうだとしても、"隠れ場所"から出てきてしまったら、各部屋の様子は監視できなくなる。たまたま部屋を出てきた誰かと遭遇してしまうリスクも否定できない。
山伏はそう反論した。
獅子川正はうなった後、「それはそうですね......」と譲歩した。
「つまり――」天童寺琉が言った。「我々の中に藍川さんを殺害した犯人がいる可能性が高くなった、ということですね。招待客なら、誰かと鉢合わせしても、トイレに行きたくなって目が覚めた、とでも説明したら誤魔化せますから」
招待客たちが疑念の眼差しでそれぞれの顔色を窺いはじめた。緊張が張り詰めている。
「......なぜ彼女だったんでしょう」
獅子川正がつぶやくように言った。
山伏は「え?」と彼に目を向けた。
「書斎の本棚から消えていたのは、林原さんの著作でしたよね。それを見て、僕らは『そして誰もいなくなった』のように、次の犠牲者を示しているんだと考えました。でも、なぜか殺されたのは藍川さんです」
錦野光一が緊張を帯びた声で口を挟んだ。
「林原さんと間違えられて殺されたのかも......」
山伏は彼に顔を向けた。
「間違われたって?」
錦野光一は林原凛を一瞥してから答えた。
「林原さんと藍川さん、部屋を交換していたんです。俺も昨日、林原さんから聞いて知ったんですけど」
獅子川正が「そうなんですか?」と林原凜に訊いた。
「......はい。最初の晩、藍川さんがマスターベッドルームを訪ねてきて、部屋を替わりませんか、って。ドレッサーや洗面化粧台があるゲストルームのほうが便利じゃないですか、って言われて、ありがたい申し出だったので、交換したんです」
「そうだったんですか......。では、"犯人"はそれを知らなかった人間ってことになりますね」
真っ暗闇の中で人影を見て犯行に及んだから、"標的"が入れ替わっていることに気づかなかったのだろう。女性だったから、当然、林原凛だと思い込んだ――。
天童寺琉は釈然としない顔をしていた。
「藍川さんは本当に勘違いで殺されたんでしょうか。彼女は美々ちゃんと一緒に寝ていたんです。いくら暗がりの犯行とはいえ、子供がいたら気づくのではないでしょうか」
彼の指摘はもっともだった。
言われてみれば、二人で寝ていることに気づかなかった、などということがあるだろうか。
天童寺は窒息死だと言った。それがたしかなら、"犯人"は娘の横で藍川奈那子を殺害したことになる。
天童寺琉が人差し指を立てた。
「とりあえず、僕の推理を語らせてください」
全員の視線が彼に集まる。
「答えが出ていない謎はいくつかあります。"御堂勘次郎"は本物なのか、なりすましなのか。なりすましだとしたら、目的は何なのか。叫び声を上げて姿を消したのは自作自演なのか。全部屋の鍵を抜き取ったのは誰なのか。そして――藍川奈那子さんを殺害した犯人は誰なのか」
他の人々が無言でうなずく。
「いったん、いくつかの謎は置いておきましょう。結論として、僕は鍵を抜き取った人物が藍川さんを殺したと考えています。部屋の出入りを容易にしておいて、彼女を狙ったんです。鍵を閉められていたら、手出しができませんから。誰が何をするにしろ、昼間は目立ちすぎます」
天童寺琉が語ると、獅子川正が言った。
「問題はそれが誰か――ということです」
「絞ることは可能です。殺害時刻は夜中でした。僕と獅子川さんと山伏さんと安藤さんの四人はシアタールームを使っていました。僕含め、全員がぐっすり寝入っていたと思いますが、そうだとしてもこっそり扉を開けて隣のマスターベッドルームに入って、藍川さんを殺害する――。それにはリスクが伴います」
「まあ、たしかに......」
「単独で眠っていたのは、執事の方を除けば、ゲストルームの林原さんとリビングの錦野さんです」
天童寺琉の視線の動きに合わせ、他の面々が二人に目を向ける。突き刺さる疑惑の眼差し――。
「待ってください!」林原凛が抗議の声を上げた。「私は無実です。藍川さんを殺すなんて――」
山伏は彼女の涙を思い出した。あれはとても演技には見えなかった。
彼女の否定を受け、視線が錦野光一に移る。
「俺だって――」彼が動揺を覗かせた。「違いますよ。一人で寝てただけで犯人にされたらたまらない」
獅子川正が「証明できますか?」と訊いた。
「......証明なんて、無理でしょ。眠ってるんだから」
「つまり、アリバイはないということですよね」
「それはあなたも同じでしょう?」
「僕は三人と一緒に寝てましたよ」
「四人同室だったから抜け出せない――なんてのは先入観だし、根拠はないでしょ。他の三人が寝静まっている隙に抜け出したかもしれない」
「一人で寝ていた錦野さんこそ、怪しいのでは?」
山伏はふと気づき、二人の口論に割って入った。
「それは少しおかしくないですか? そもそも、藍川さんは林原さんと間違われて殺されたのではないか――という話でした。林原さんから部屋を交換したことを聞かされていた錦野さんなら、勘違いするはずがありません」
獅子川正が目を眇(すが)めた。
「その前提が思い違いだった可能性もあります。
錦野光一が「は?」と怒りの籠もった声を漏らした。
「考えてみれば、『そして誰もいなくなった』を模して事前にわざわざ犯行を予告する意味はありません。そもそも、『そして誰もいなくなった』では
獅子川正が語ると、天童寺琉が「なるほど」とうなずいた。「つまり、本棚から林原さんの著作を消したのは、次の犠牲者が彼女だと思い込ませて、本当のターゲットを狙いやすくするため――ということですか」
「僕はそう思います」
「はあ?」錦野光一は不快そうに顔を歪めている。「俺を犯人に仕立て上げる結論ありきの妄想でしょ、それ。第一、林原さんの本が消えていることに誰よりも早く気づいて指摘したの、獅子川さん、あなたでしたよね?」
――これ、見てください! 僕らの著作が並んでいた本棚から林原さんの本だけ消えています!
獅子川正はたしかにそう言った。彼の指摘で全員が林原凛の著作の消失に気づいた。
「本の消失が藍川さんを狙いやすくするための小細工なら、それを
獅子川正が戸惑いがちに首を横に振る。
「僕が犯人なら、自分で
「誰も気づく気配がなかったから、自分で気づいたふりをしなきゃならなかった――とも推理できますよね」
二人が睨み合う姿を、山伏は困惑しながら眺めていた。
自分たちの中に本当に殺人犯がいるのか? ミステリー作家が同業者をなぜ殺害するのか。
動機も手口も想像できない。
「疑い合うのはやめましょう」制止したのは林原凛だった。「無益ですよ、こんなの」
錦野光一が彼女の顔を見据える。
「......林原さんこそ、怪しいんじゃないか」
「私が?」
彼女が顔に困惑を滲ませた。
「俺は知ってるんだよ」錦野光一が彼女に人差し指を突きつけた。「部屋の鍵を抜き取ったのは、彼女だ!」
Synopsisあらすじ
何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!
Profile著者紹介
1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。
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