そして誰かがいなくなる第44回


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 錦野光一は、書斎のデスクに置いてあるスマートフォンを他の面々と見つめていた。
 衝撃の余韻が抜けきらない。
 天童寺琉が電話を切り、「さて」と顔を上げた。その厳しい眼差しの先には、観念したように無言で立ち尽くす"安藤"の姿があった。
「本物の安藤さんは仁徳社編集部にいました。あなたは安藤さんになりすました偽者です」
 林原凛が「じゃあ、この人は誰なんですか」と訊いた。
 山伏が言った。
「警察が来たらもう誤魔化せませんよ」
"安藤"が唇を歪めた。
「推測は可能です」天童寺琉が言った。「本物の安藤さんとの電話で、招待状や原稿を盗める人間はかぎられている、という話でした。当然ですね。誰でも編集部に出入り自由なら大変なことになります」
 藍川奈那子が「もちろんです」とうなずいた。
「"打ち合わせなどで編集部を訪れた作家先生"――と安藤さんは言いました」
「じゃあ、偽の安藤さんは作家――」
「おそらく、そうでしょうね。仁徳社編集部を訪れたとき、安藤さんのデスクにある原稿と招待状を見つけたんです。"彼"――便宜上そう呼びますが、"彼"は同封された手紙を読んで衝撃を受けます。何しろ、招待客を集めた会で、誰かの盗作を暴露する計画だと書かれていたからです」
「御堂先生の原稿と招待状が置かれていたら気になる気持ちは理解できますが、いくらなんでも勝手に開封するなんて――」
「その疑問に関しては後で本人から伺いましょう。とにかく招待状の手紙を読んで会の目的を知った"彼"は、"安藤さん"がまだ見ていない招待状と原稿を持ち去り、編集者になりすますことを計画したんです。自分の盗作が暴露される前に口封じするために・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・――」
「自分の盗作を――」
「そうです。"彼"には盗作の心当たりがあったので、自分の作品が暴露されると思い込んだんです」
「"彼"は一体何者なんですか」
「ここで思い出してもらいたいのは、錦野さんのトイレ中にメモが差し入れられた話です。錦野さんを容疑者に仕立て上げるための罠だったことは明白です。当然、差し入れる動機がある人物は、御堂さんの殺害を計画している"彼"しかいません。しかし、錦野さんの話によると、トイレから飛び出て、誰がメモをよこしたか特定しようとしたとき、"彼"は獅子川さんと会話中で、アリバイ・・・・がありました」
「そうでした」錦野は言った。「誰もにアリバイがあるか、工作が不可能な状況だったから、誰がメモを差し入れたか、分からなかったんです」
「前提としてメモを差し入れたのは"彼"。しかし、その"彼"はソファに座って獅子川さんと会話中だった。途中で立ち上がってトイレの扉の下からメモを差し入れたら当然バレてしまいます。その問題を解決する論理(ロジック)は一つ」
 天童寺琉は人差し指を立てると、獅子川正に顔を向けた。
二人がグルだということです・・・・・・・・・・・・・
 全員の目が一斉に獅子川正に注がれた。
「冗談はやめてください」獅子川正は顔を顰めていた。「誰かも知らない相手とグルになって殺人――?」
「そうですよ、天童寺さん」藍川奈那子が言った。「さすがに荒唐無稽ですよ」
「持論のために無理やりこじつけた論理(ロジック)ですよ、それは」獅子川正が反論した。「"彼"以外の誰かがメモを差し入れたんでしょう」
「いいえ」天童寺琉が首を横に振った。「それはあり得ません。他の誰かがそのような不審な行動をしていたら、ソファで話していた獅子川さんに必ずバレていたはずです」
「......僕らはトイレに背を向ける形で向き合っていました。後ろで誰かが動いていても気づかなかったはずです」
「その可能性は否定しませんよ。しかし、僕は確信しています。お二人が共犯関係にあるのだ、と」
「馬鹿な。殺人なんかに協力するはずがないでしょ」
「普通に考えればそうです。赤の他人の殺人計画に乗っかるには、相当な動機が必要です」
「でしょう? だったら――」
二人が赤の他人でなかったらどうでしょう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 錦野は「え?」と驚きながら、二人の顔を交互に見た。「肉親とか――?」
「いえいえ」天童寺琉が手のひらを振った。「違いますよ。お二人は運命共同体と言いますか......。ある意味では家族より深い繋がりがあるんです。僕らは御堂さん以外に覆面作家の存在を知っているはずですよ。そうですよね、獅子川さん」

 錦野はあまりの衝撃にたじろいだ。
「獅子川真って、コンビ作家のもう片方......」
「はい」天童寺琉がうなずいた。「伺ったお話だと、獅子川正さんと獅子川真さんはコンビで作品を作っていて、相方の真さんは人見知りで表に出てこないプロット制作担当だそうですね。御堂さんと同じく、顔は一般に知られていません」
"安藤"の顔は蒼白になっていた。獅子川正も視線が定まらず、動揺が見え隠れしている。
「お二人は初対面を演じていましたから、僕らは全員、見事に欺かれていましたね」
 ――良かったですね、獅子川さん。あ、ご挨拶が後になってしまって、すみません。僕は仁徳社の編集者で、安藤と申します。御堂先生を担当しています。
 ――初めまして。仁徳社は頑張って著作を売ろうとしてくれたので、感謝しています。結果が振るわなかったのは、ひとえに僕の力不足です。
 ――今のご時世ではどの作家も苦労しています。作品の責任はでありません。むしろ、良い作品をいただいたにもかかわらず、弊社の力不足で、ご満足いただける結果に繋がらず、仁徳社の編集者として責任を痛感しています。
 全員が揃って挨拶したとき、獅子川正と"安藤"はそんな会話を交わしていた。
「獅子川正さんは、御堂さんの消失を事件・・にすることを避けたがっていましたね。僕らが通報を躊躇するように誘導したり......。立場を考えればそれも当然ですね。警察に調べられたらまずいですからね」
 林原凛が獅子川たちを交互に見た。
「本当なんですか......」
 二人が答えずにいると、天童寺琉が言った。
「もう隠し事は不可能です。御堂さんの死体が見つかり、アリバイトリックが露呈し、警察にも通報済みです。警察がやって来たら正体を隠すことはできませんよ」
 何秒かの間があった。沈黙が雄弁に二人を責めている。
 やがて"安藤"が噛み締めた下唇を震わせ、諦念の籠もった声で答えた。
「おっしゃるとおり、僕は――獅子川真です」
 改めて場に動揺と困惑が広がった。
 担当編集者を名乗っていた"安藤"は、コンビ作家の獅子川真だった――。
「......全て、天童寺さんの推理どおりです」
 悲嘆が絡みついた声だった。
「盗作の話も――?」
 錦野は彼に聞いた。
 獅子川真は相方と顔を見合わせた後、弱々しくうなずいた。
「連載中の作品が見切り発車で、締め切りが迫っているのに肝心のメイントリックが思いつかず、追い詰められていたんです。そのとき、アメリカの小説サイトでたまたま見つけて読んだことがあった短編小説のアイデアが頭に浮かんできたんです。海外のサイトの、英語の、マイナーな小説なので、バレないと思ったんです。でも、アイデアを盗作した連載小説が話題になるにつれ、不安が増していきました。『こんなアイデア、前にも見たことがある』なんてレビューを見ると、盗作がバレて吊るし上げられる恐怖にとり憑かれました。そんなとき、正に招待状が届いたんです。正が御堂邸に招待されていました。僕は御堂さんの真意を疑いました。完全に疑心暗鬼になっていた僕は、その時点で正に自分の過ちを告白し、相談したんです」
 獅子川真が相方を見ると、今度は獅子川正が語った。
「僕が打ち合わせで仁徳社を訪ねたのはその二日後でした。編集部には何人かの編集者がいましたけど、僕は自分の担当編集者の・・・・・・・・・安藤さんを待って、その辺りをうろついていました。そんなとき、郵便物の係の人が大小の封筒を運んできて、安藤さんのデスクに置いたんです。どちらにも御堂さんの名前がありました。封筒は僕らが受け取った招待状と同じでした。僕は招待状を思わず手に取っていました。担当編集者宛の招待状なら、何か目論見・・・が書かれているかもしれないと思ったんです」
 藍川奈那子が独りごちた。
「それが招待状を勝手に盗み見た理由――」
「密かに招待状を開封すると、同封の手紙に、ある作品の盗作を明かすつもりだ、と書かれていました。僕は慌てました。それは間違いなく僕らの作品のことだと思ったからです。まさか御堂さん自身の罪の告白とは夢にも思わず......。僕は何とか阻止しなければいけないと思い、招待状と原稿を持ち去りました。安藤さんがまだ招待状の存在を知らなければ、真がなりすませると思ったんです。本来なら御堂邸に行けるのは、招待状を受け取った僕だけです。でも、安藤さんになりすませば、真も御堂邸に行けます。その時点でよからぬ考え・・・・・・が頭にあったとも言えます」
「やはり安藤さんは獅子川さんの担当編集者だったんですね」天童寺琉が言った。「御堂さんの記憶は正しかったんです。しかし、自分たちの繋がりを悟られないようにでしょう、安藤さんになりすました獅子川真さんが初対面を演じ、その結果、御堂勘次郎が本物か偽者か、という疑惑が生まれたんです。それによって、安藤さんのほうが偽者ではないか、と僕に疑われることになりました」
 獅子川真が「結果論ですが、迂闊でした......」とつぶやくように言った。
 獅子川正が話を戻した。
「何にしても、よからぬ考え・・・・・・が具体的になったのは、御堂さんの原稿の存在でした」
 天童寺琉が「原稿の内容は?」と訊いた。
「もちろん御堂さんの新作ミステリーです。それは御堂邸を舞台にした殺人劇の本格推理小説でした・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ここを舞台に?」
「そうです。冒頭では、地下室で"御堂勘次郎"が殺害されるシーンが書かれていました。フィクション性を強めるためか、実際の御堂さんより歳を取っている設定らしく、外見は"白髪交じりの髪"と表現されていましたが」
「あなた方はもしかして――」
「はい。僕らは御堂さんの原稿の中のトリックを再現したんです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 そういうことか。御堂邸の構造を利用したトリックを部外者が考えついたことが謎だった。家主の御堂勘次郎自身が考えたトリックだったなら、納得できる。
「原稿では、冒頭の殺人シーンの他は、トリックの解決シーンのみで、中盤がごっそり抜けていました。だからこそ御堂さんは僕らを招待したんです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「どういう意味ですか」
「食事の席で御堂さんは、フィクションの登場人物の人権がどうの、と話題を提供されました。唐突な話題でした。それは登場人物である僕らの感触を確かめるための質問だったんです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 錦野は「は?」と眉を顰めた。
今回の集まりの本当の目的は・・・・・・・・・・・・・自分自身が考えたトリックが実現可能か・・・・・・・・・・・・・・・・・・僕たちを使って実験することだったんです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ――では、フィクションの登場人物が現実の個人をモデルにしている場合はどうだろう?
 ――たとえば、私が君たちと同じ名前を使ってミステリーを書いて、作中で殺した場合は?
 御堂勘次郎はそんなことを話した。彼の大ファンである藍川奈那子は、『御堂先生の著作に登場できるなら、殺される役目でも、犯人の役目でも、私なら嬉しいです』と返していたことを覚えている。
 ――私の家は私にネタにさせてくれよ。
 御堂勘次郎がそう言ったのは、すでに自作で使う具体的な構想があったからか。
「天童寺さんを招待したのも、実際の名探偵に自分のトリックが見破れるか試すためだったんですよ。天童寺さんに見破られなければ、自信を持って作品に使えます。原稿の内容を知っている担当編集者に――真に仄めかした話です」
 天童寺琉は合点がいったようにうなずいた。
 獅子川正が続ける。
「おそらく、御堂さんは小説の原稿と同じく、自分が殺人被害者を演じる予定だったんです。実際に会って話をしてみて、犯人役は藍川さんに・・・・・お願いすることにしたんだと思います。だから、隠し金庫の暗証番号の"犯人"は藍川さんの苗字に設定されていたんです。本来はそれがこの会のメインの催しだったんです」
 なるほど、それで謎が解けた。なぜ生前の・・・御堂勘次郎が"犯人"を知っていたのか、ずっと不思議だった。自分を狙う"犯人"を知っていたら、殺されないように警戒するはずだ、と。
 隠し金庫の暗証番号は、本物の事件とは関係なく、御堂勘次郎の催しの一環だったなら矛盾はなくなる。
 今度は獅子川真が語りはじめた。
「御堂さんが書斎で一人きりになってしばらくしてから、僕はノックして部屋を訪ねました。どうやら御堂さんはすでに僕を疑っていたようです。獅子川正の担当編集者であることを否定したせいで、不審を招きました。御堂さんはその場では自分のほうが間違っていたと引き下がりましたが、実際は怪しんでいたようです。僕は新作のトリックを知っている人間です、と伝えて、地下室へ誘いました。御堂さんもまさか殺意を持たれているとは想像もしなかったんでしょう、僕の正体に興味をそそられたようで、二人きりで地下へ下りました。後は天童寺さんの推理どおりです。御堂さんを襲って拘束し、タイミングを見計らって"絶叫"させて刺殺しました。本を消すアイデアも原稿のとおりでしたが、あえて実行したのは、そのほうが御堂さんの催しに見えて通報を阻止できると考えたからです」
 御堂勘次郎は自分が作中で披露しようとしたトリックで殺されてしまった――というわけか。
 獅子川真がまぶたを伏せたままかぶりを振った。
「結局、僕は他人のトリックを盗用して自分の作品を裏切って、疑心暗鬼に陥って、また他人の――御堂さんのトリックを盗用して罪を見破られて......」
 はは、と乾いた笑いがこぼれる。
 書斎には絶望的な空気が立ち込めていた。

そして誰かがいなくなる

Synopsisあらすじ

何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!

Profile著者紹介

1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。

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