そして誰かがいなくなる第11回
「いい時間の到着だったね」
青年が恐縮したように彼に顔を向ける。
「もしかして――」腕時計をちらりと見る。「遅刻してしまいましたかね。時刻どおりに着いたつもりでしたが」
御堂勘次郎が「いや」と首を横に振り、大聖堂をかたどった掛け時計を見た。「君だけには他の招待客より三十分遅い待ち合わせ時刻を指定していたからね。時間ぴったりだよ」
「はからずも注目を集めてしまいましたね」
「
「いやいや」
青年が苦笑いを浮かべた。
林原凛が「名探偵――?」と誰にともなく漏らした。
「ああ」御堂勘次郎が答えた。「彼は天童寺琉(てんどうじりゅう)。現実の難事件をいくつも解決している名探偵だよ」
どうして探偵が――というのは、全員の頭に浮かんだ疑問だろう。誰かの盗作を暴露するための新居お披露目会に、名探偵が招待される――。
一体なぜ?
まるで何か事件が起こることを予告しているかのようだ。
不信感が芽生えたとき、面々が抱く疑問は想定内だったのか、御堂勘次郎が訳知り顔で言った。
「現実で難事件を解決している名探偵――。ミステリー作家としては興味をそそられるだろう? 別に他意はないよ。今日の催しを盛り上げるためのサプライズだよ、私からの」
藍川奈那子が嬉しそうにはしゃいだ声を上げた。
「ワクワクします! 御堂先生の『宝物館の殺人』の再現のようで、作品の大ファンとしてはまるで先生の作り出す物語世界に入り込んだ気がします」
「そう言ってもらえると嬉しいね。天童寺氏を招いた甲斐があるというものだよ」
御堂勘次郎の説明を真に受けていいものかどうか、正直、測りかねた。
錦野は天童寺を観察した。
「しかし――名探偵には見えないですね」
天童寺が首を傾げた。
「いや、本格推理の名探偵と言えば、奇人変人が相場なもので」錦野は笑った。「冴えない外見でとぼけたりあたふたしたりして犯人を油断させるか、飛び抜けた美貌の持ち主か――」
文芸評論家の山伏が同調した。
「名探偵の"奇癖"をテーマにした論評なら、以前に執筆したことがあります。国内外を問わず、古今東西、様々な奇癖の名探偵が生まれていて、我々はそれを楽しんできたわけです。名探偵があふれる創作の世界の中で、少しでもシャーロック・ホームズやポアロのような、時代を超えて愛される個性的なキャラクターを生み出すために作家の方々は苦労しているんだろう、と思いますよ」
「まさに――です。俺も苦労しましたよ。『大歯車の殺人』の名探偵・白扇豪(はくせんごう)は賛否分かれましたね。少しやりすぎたかな、と思いますが、後悔はしていません」
天童寺が言った。
「今度、拝読して参考にします」
「いやいや」錦野は手を振った。「白扇豪を真似たら世間から奇人扱いされますよ」
「そうなんですか。ますます興味深いです」
天童寺が爽やかに言うと、御堂勘次郎が彼に言った。
「『大歯車の殺人』は錦野君のデビュー作だよ、名探偵の造形も個性的だけど、何より大仕掛けのトリックとそれを解く論理(ロジック)が美しかった。デビュー作としては傑出した作品だよ」
「へえ、それは楽しみです」
錦野は御堂勘次郎の表情を窺った。
『大歯車の殺人』を盗作として告発するつもりなら、これほど絶賛はしないだろう。
自分の作品のことではない――と思う。
御堂勘次郎が言った。
「何にしても、私は天童寺氏こそ誰よりも名探偵の資質を持っていると思うね」
山伏が「と言いますと?」と尋ねた。
「明らかに名探偵然とした名探偵は、犯人にとって脅威なわけだ。油断できないし、一般人なら気づかない程度の犯行の証拠を何か掴んでしまうかもしれない。犯行が露呈してしまいかねない。であるならば、一番に排除しなければならないのは、標的ではなく、名探偵ということになる」
「そういえば、そのような指摘をしている作品がありましたね。名探偵こそ最初に殺さねば――と」
「うむ。であるならば、名探偵も自衛が必要になる。自分が一番に毒殺される最悪の事態は避けねばならない。そう考えれば、冴えない人物や無能な人物を演じるのは、名探偵の生存戦略でもある。これこそ、犯人を油断させてミスを誘うより重要なことだと思う」
「面白い着眼点ですね」
「フィクションの世界では、名探偵は殺害の優先順位(プライオリティ)には含まれず、仮に狙われたとしても運よく生き延びる。殺される心配がないからこそ、安心して有能さを発揮できるわけだ」
「たしかに頓珍漢な人物を演じたほうが安心ですね」
「しかし――だ」御堂勘次郎が語気を強めた。「飛び抜けて無能だったりドジだったりする人間も、個性の塊でね。それはそれで逆に目立つものだよ。そういう観点から見れば、天童寺氏の
天童寺が苦笑いを浮かべた。
「空き巣と同列にするのは勘弁してください」
口ぶりから、友人の軽口へのツッコミのような気安い台詞だと分かる。初対面でも人好きのするタイプだ。
御堂勘次郎が大笑いした。
「失敬失敬。何にしても、天童寺氏の平凡さこそ名探偵の必須条件だよ。"名(めい)"がつく前に殺されては名探偵にはなれないからね」
「褒められてます?」
「私なりの褒め言葉のつもりだよ。もっとも、私がもし天童寺氏をモデルにした名探偵を登場させるなら、過剰なくらい個性を与えるが......何がいいだろうね。アルコール依存症、麻薬中毒、アルツハイマー、対人恐怖症――」
天童寺が困惑顔で頭を掻いた。
「せめてもう少しポジティブな要素を――」
「現実社会とは逆で、好ましい要素を備えた名探偵より興味を持たれるんだよ。現実では関わりたくない人物でも物語世界では許されるし、犯罪者を格好良く描いても構わないんだからね」
御堂勘次郎が例に挙げた"個性"は、どれも古今東西の名作の名探偵が備えている資質だ。本格推理の世界では、ありとあらゆる設定の名探偵が創作されてきた。
天童寺は再び苦笑いで応えた。
「しかし、御堂さんの紹介のおかげで、僕は犯人に真っ先に狙われる立場になりましたね」
「言われてみればそのとおりだったな。名探偵だと正体を明かしてしまったね」
「第一の被害者にならないよう、注意しておきます」
「うむ、気をつけてくれ」
単なるジョークの一種だと分かっていても、不穏な気配を感じずにはいられなかった。盗作の暴露うんぬんの話がなければ、軽く笑い声を上げただろう。
「それにしても――」天童寺が窓のほうを振り返った。「外、大雪でしたね」
カーテンが閉められているので、外の様子は確認できない。吹雪(ふぶ)く風音も聞こえてこない。
御堂勘次郎が「ほう......」と愉快がるように窓際へ歩いていき、カーテンを開けた。
窓の外で吹雪が逆巻いていた。一面が真っ白に染まっている。夕方には膝まで埋まるほどの積雪になるのではないか。
林原凛が不安そうにつぶやいた。
「これじゃ、今日は外に出られないかも......」
大雪はそう簡単にはやまないだろう。今日一日どころか、二、三日は吹雪き続けるかもしれない。
もしそうなったら――。
「たしかにそうですね」山伏が答えた。「どうしましょうか。近くに宿泊施設があるわけでもないですし......」
御堂勘次郎が面々を振り返った。
「もしものときは泊まってもらっても構わないよ、もちろん」
「ですが――」
藍川奈那子が自分の脚に纏わりつく娘の美々を一瞥した。
「ゲストルームのベッドはクイーンサイズだから、親子で寝ても不便はないよ。林原さんはマスターベッドルームを使うといい。男性諸君は――」御堂勘次郎が悪戯っぽく笑った。「ソファを使うか、私と夜通し語り明かそう」
動じた様子がない御堂勘次郎の言動から察するに、招待客たちが吹雪で足止めされることは想定内だったのかもしれない。
藍川奈那子は「ありがとうございます!」と嬉しそうに答えたが、林原凛は若干の当惑を見せていた。泊まりになるとは思っておらず、何の準備もしていないからだろう。しかも、急な宿泊先が業界の大先輩宅となれば、気も遣う。
担当編集者の安藤が御堂勘次郎に言った。
「御堂先生のお供なら僕がぜひ」
御堂勘次郎が「うむ」とうなずいた。
山伏が軽い調子で言った。
「これはもう完璧なクローズド・サークルですね」
"クローズド・サークル"はミステリーの愛好者なら馴染み深い単語で、嵐や大雪など、何らかの事情で外部との連絡手段や接触が断たれた状況のことだ。本格推理小説の王道であり、クローズド・サークルものの傑作は枚挙にいとまがない。
「不穏な空気が漂ってきたかな?」
御堂勘次郎が茶化すように訊いた。
「事件はフィクションの中だけでお願いしたいですね。御堂さんの次回作もやはりクローズド・サークルですか?」
「ああ。実はね――」
担当編集者の安藤が「先生」と割って入った。
御堂勘次郎が「ん?」と首を捻る。
「まだ新刊のお話は――」
「......ああ、そうだね」御堂勘次郎は面々を見回した。「まあ、新作は発売を楽しみにしておいてほしい。なかなか面白い趣向を凝らしていてね。三年以上かけて準備してきたんだよ」
藍川奈那子が「待ち遠しいです!」と応じた。「気合いを入れられている新作なんですね」
「かなり大がかりでね。いろいろと特別な企みがあるんだよ」
「ますます期待が高まります!」
「では、他の部屋を軽く案内しよう」
彼が踵(きびす)を返したとき、電話の高音が鳴った。全員の目がゴールドのロココ調コンソールのほうに向けられる。女性が寝そべっているデザインのアンティーク風固定電話が鳴っていた。
「おっと、電話だ。すまんね」
御堂勘次郎が電話のほうへ歩いていく。
「どうぞ、お出になってください」
安藤は促すと、女性作家二人に向き直り、小声で「お二人共、ご活躍で、大変素晴らしいです」と褒めはじめた。間を繋ごうとしているのだろう。
錦野は御堂勘次郎に目を戻した。彼は――受話器を手に取ると、注視していなければ誰も気づかないような素早さで、一瞬だけ電話台のフックに戻してから耳に当てた。
電話を切った――?
「ああ......」御堂勘次郎が受話器に話しかけている。「吹雪がやんだらよろしく頼む。ああ。三台」
林原凛や藍川奈那子が彼のほうをちらりと見てから、また会話に戻った。
「......ありがとう。それでは」
御堂勘次郎が受話器をフックに置き、向き直った。
名探偵の天童寺琉が「タクシー会社ですか?」と訊いた。
「ああ。あらかじめ迎えを頼んでおいたのでね。吹雪が激しくなってきたので、確認の電話だった」
「タクシー会社は何と?」
「吹雪が落ち着き次第、迎えに伺います――と」
「そうですか。何よりです」
「待っていれば大丈夫だ。三台が館までやって来てくれる」
林原凛が「良かったです!」と嬉しそうに言った。
だが――。
錦野は不信感を押し隠したまま、御堂勘次郎の顔を盗み見た。
彼はなぜ電話を切ったのか。
手早く受話器をフックに戻してから取り上げ、タクシー会社と会話している演技をした。
安藤と話し込んでいた彼女たちは、御堂勘次郎のその不可解な動作に気づいていない。電話でタクシー会社と話していたと思い込んでいる。
電話が嘘だとしたら――?
御堂勘次郎はなぜそんな演技をした?
吹雪がおさまればタクシーが迎えにくる――という話は出鱈目(でたらめ)なのか?
この場で先ほどの行為を追及することは簡単だ。だが、今はまだ――。
自分だけの胸の内におさめておくべきだと判断した。
Synopsisあらすじ
何かが起こりそうな洋館を建てたいんだよ――。大雪の日、人気作家の御堂勘次郎が細部までこだわった洋館のお披露目会が行われた。招かれたのは作家と編集者、文芸評論家と……。最初は和やかな雰囲気だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。奇想天外、どんでん返しの魔術師による衝撃のミステリー!
Profile著者紹介
1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。同作は数々のミステリランキングにおいて高い評価を受ける。同年に発表した短編「死は朝、羽ばたく」が第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、『生還者』が第69回日本推理作家協会賞の長編及び連作短編集部門の候補、『黙過』が第21回大藪春彦賞候補となるなど、今注目を集める作家である。『難民調査官』『叛徒』『真実の檻』『失踪者』『告白の余白』『サハラの薔薇』『悲願花』『刑事の慟哭』『絶声』『法の雨』『同姓同名』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』『アルテミスの涙』『情熱の砂を踏む女』など著書多数。
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