#刑事の娘はなにしてる?第17回


     9

 パソコンテーブルに載ったスマートフォンが震えた。
 ソファの背(せ)凭(もた)れに身を預けた朝陽は、ディスプレイに視線を落とした。
 表示された、パパ、の文字を虚ろな瞳でみつめた。
 着信履歴には父から、二十件以上の不在着信が入っていた。
 LINEも同じくらいの着信があった。
 父が心配するのも無理はなかった。
 昨夜帰宅した朝陽は自室に籠り、ドアをノックする父に疲れているからと顔を見せることをしなかった。
 今朝も鉢合わせしないように、父が起床する前に家を出てきたのだ。
 朝陽はスマートフォンのデジタル時計に視線を移した。
 PM6:05
 昨夜から、父と顔を合わせていなかった......合わせられなかった。

 ――僕、ヴァージンと嵌(は)め撮りするのが夢だったんだよね~。
 
 スマートフォンを構えながら朝陽に覆い被さってくる三宅......昨日の悪夢が脳裏に蘇った。
 
 ――若葉ちゃんの、初めての男になってあげるよ! ヴァージンを頂きまーす!

「いやっ......」
 朝陽は眼を開けた。
 額にはびっしりと玉の汗が浮いていた。
 悪夢......そう、悪い夢であってほしかった。
 だが......。
 両腕の爪痕と太腿の内出血が、昨日の出来事が夢ではなく現実だと語っていた。
 病院に行くべきだとわかっていたが、勇気が出なかった。
 どちらにしても、ネットで調べた情報によれば妊娠の有無は三週間が過ぎなければわからない。
 受け入れられるはずがない。
 あんな獣に汚された事実を......。
 
 ――若葉警察家族にチクる、スマホのオマンコムービーネットに拡散、オーイェアー!
 ――若葉オマンコムービー拡散一生の汚点人生赤点、家族陰口叩かれ世間に叩かれ身の破滅、鬼滅は印税天国若葉と家族は中傷地獄、オーイェアー!

 ふたたび脳裏に蘇る悍(おぞ)ましい三宅のラップ調の脅迫が、朝陽の前腕を鳥肌で埋め尽くした。
 もし、あんな動画をSNSで流されてしまったら......。
 考えただけで、喉が干上がり膝が震えた。
 とても、生きていく自信はなかった。
 朝の八時から渋谷のネットカフェに入り、既に十時間以上が過ぎた。
 その間、朝陽は銅像のように同じ体勢で座っていた。
 なにをやる気にもなれなかった。
 トイレに行くのも億(おつ)劫(くう)だった。
 昨夜から、水しか飲んでいなかった。
 朝陽は、生気を失った瞳をパソコンテーブルに置かれた花瓶の花に向けた。
 白い花びらは茶に変色し、花弁が下を向いていた。
 萎(しお)れた花を見ていると、いまの自分を見ているようだった。
 生きるのがつらかった。
 数日前までは、そんな思いが頭を過ることはなかった。
 テーブルのスタンドミラー......少女と眼が合い、朝陽は息を呑んだ。
 泣き腫らした瞼、ガラス玉のような瞳、色濃く張り付いた隈(くま)......これが自分なのか?
 朝陽は変わり果てた己の姿に愕然とした。
 醜悪な姿を見たくなくて、朝陽は眼を閉じた。
 そう、いまの自分は醜く汚れていた。
 いま頃、父は心配しているだろう。
 スマートフォンに伸ばしかけた手を、朝陽は思い直して止めた。
 父と、どんな顔をして会えばいいのか?
 獣に汚されてしまった身体で、会えるわけがなかった。
 いっそのこと、死んでしまったほうがどんなに......。
 不意に、楓の顔が脳裏に浮かんだ。
 楓も、同じような目にあったに違いない。
 楓が朝陽や家に連絡をしないのではなく、連絡ができないのではないのか?
 朝陽と同じような目にあったあとに、昨日行った店で無理やり働かされているのではないのか?
 朝陽はスマートフォンを手に取り、父の番号を呼び出した。
 通話アイコンをタップしようとした指を、朝陽は宙で止めた。
 なんて説明すればいい?
 いままでは楓がマッチングアプリに登録していることが親にバレないように、言わなかった。
 だが、いまは違う。
 楓のことを話せば三宅に捜査の手が伸び、朝陽がレイプされたことがバレてしまうかもしれない。
 どうしたらいい? どうしたら......。
 掌(てのひら)の中で、スマートフォンが震えた。
 M――ディスプレイに表示された文字を見て、朝陽は青(あお)褪(ざ)めた。
 
 ――Mで登録しとくからさ。僕が電話したら出るんだよ。居留守なんて使ったら、全国に若葉ちゃんのおまんこ動画を拡散するからね。
 
 記憶の中の三宅の声に背を押されるように、朝陽は通話アイコンをタップした。
『ハロハロ~! 三宅君だよ~。電話に出ないかと心配しちゃったよ』
 受話口から流れてくる人を食ったような三宅の声が、朝陽の皮膚に浮く鳥肌の面積を広げた。
 朝陽は、嫌悪と恐怖で声を出すことができなかった。
『あれ? どうしちゃったの? 電話に出ても喋らなきゃ意味なくない? ハロハロ~?若葉ちゃ~ん? ハロハロ~? 若葉ちゃ~ん?』
 三宅が、執拗に朝陽の偽名を繰り返した。
「......なんですか?」
 朝陽は、震える掠れ声を送話口に送り込んだ。
『なんですか? オ~イェ~。電話をかけた理由は若葉ちゃんと会いたいエッチをしたい若葉ちゃんの顔をみたいおっぱいみたい、オ~イェア~』
 朝陽は弾(はじ)かれたようにスマートフォンを耳から離した。
『ハロハロ~? 若葉ちゃ~ん? ハロハロ~? 若葉ちゃ~ん?』
「もう、やめてください! 警察に通報しますよ!」
 朝陽は思わず叫んでいた。
『おやおや? 忘れたのかな? 若葉ちゃんのおまんこ動画がSNSで拡散されてもいいのかな?』
 三宅の下卑た笑い声が、朝陽の恐怖心を煽(あお)った。
『若葉ちゃんの気持ちもわかるから、こうしよう。きてくれたら、ミミちゃんと会わせてあげるからさ』
「そんなこと......信じられません」
 朝陽は強張った声で言った。
『わかる、わかるよ、その気持ち。じゃあ、明日、最初にどこかのカフェにミミちゃんを連れて行くよ。カフェも若葉ちゃんが決めていいから。それなら、いいよね?』
 朝陽は、めまぐるしく思考を回転させた。
 楓と先に会うことができて、待ち合わせ場所も朝陽が選べる。
 昨日は、三宅を信じてラウンジについて行ったのが失敗だった。
 渋谷のスクランブル交差点近くのカフェなら、三宅もおかしな真似はできないだろう。
 だが......。
 頭ではわかっていても、心が拒否していた。
 頭ではわかっていても、身体が覚えていた。
 獣に凌辱された悪夢を......。
『どうする? 若葉ちゃんが選んでいいよ。僕の提案を呑んでカフェでミミちゃんと会うか、断っておまんこ動画を......』
「会います! 場所は私が選びます! 明日の何時ですか?」
 朝陽は、三宅を大声で遮り訊ねた。
 これ以上、三宅の薄汚い言葉を耳に入れたくはなかった。
『そうこなくっちゃね。賢明な判断だよ。あんな動画が世に出回ったら、将来、生まれてくる子供が地獄を見ることになるからさ。明日の六時にしよう。場所が決まったら、知らせて。あ、変な気を起こさないように。警察に通報したり誰かを連れてきたりしたら......言わなくても、わかってるよね?』
 三宅が遠回しに、朝陽を恫(どう)喝(かつ)してきた。
「そんなことしません」
 嘘ではなかった。
 したくても、できるわけがなかった。
『それならいい......』
「でも、昨日みたいに嘘を吐いたら動画を拡散されても警察に通報します!」 
 朝陽は一方的に言うと電話を切った。
 強がりではなく、本気だった。
 ふたたび獣に会うと決意したのは、楓を救出するためだった。
 楓の件がなければ、命を絶っていただろう。
 スマートフォンが震えた。
 ディスプレイに表示されるMの文字を、朝陽は憎悪に燃え立つ瞳でみつめた。
 強くならなければ......。
 恐怖と絶望に囚われている場合ではない。
 楓を救うために、強くならなければ......。
 朝陽は、心で固く誓った。 

#刑事の娘はなにしてる?

イラスト/伊神裕貴

Synopsisあらすじ

4件の連続殺人事件が発生した。被害者の額にはいずれも「有料粗大ゴミ処理券」が貼られ、2人は唇を削ぎ落とされ、2人は十指を切断されていた。事件を担当するコルレオーネ刑事こと神谷は、3人目の被害者が、出会い系アプリで知り合った女子大生と会った翌日に殺害されたことを知る。連続殺人の犯人と被害者が抱える現代の増幅する憎悪に迫る!!

Profile著者紹介

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『168時間の奇跡』(以上中央公論新社)『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『絶対聖域』『動物警察24時』など多数。映像化された作品も多い。

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