#刑事の娘はなにしてる?第23回

「おいおい、岩田先生。あんまりポチをイジめんでやってくれ。たしかにこいつはシェパードより使い物にならん役立たずじゃ。ポチに比べれば、柴犬のほうがまだ役に立つじゃろう。なんせ、満が娼婦に産ませた子じゃからな。競馬でたとえると、血統の悪い駄馬中の駄馬じゃて」
 祖父が孫を愚弄しながら、キャビアがのった小さなパンケーキ......プリニを口に運んだ。
 手が震えているので、口の中に入る頃には半分以上のキャビアが床に落ちていた。
 五十グラム十万円の高級キャビアなので、落ちたぶんだけでも五千円はするだろう。
 
 棺桶に半分以上足を突っ込んでいる死にかけのジジイは、死臭を消すために防腐剤でも食ってろ。
 
 ポチは毒づいた。
 もちろん心で。

「渡辺会長。いくら能無しのポチでも、血統の悪い駄馬は言い過ぎですよ。せめて、ゴキブリほどの嫌悪感を与えることもできず、ヘビほどの恐怖感を与えることもできずに腐葉土を食いながら一生を終えるなんの取り柄もないミミズにしときましょうや」
 大善がバカラのガラスボウルに盛られたドライフルーツを鷲掴みにして口の中に放り込みながらポチを侮辱すると、老人達が一斉に笑った。

 汚職塗(まみ)れの強欲ジジイは、特捜に逮捕されて刑務所で病死しろ。

 ポチは毒づいた。
 もちろん心で。

「総理! お見事いっぽーん! わしも負けずに言わせて貰うなら、ポチは能書きばかりで役立たずの女みたいな奴だ! ガアーッハッハッハ!」
 俵が七百二十ミリの森(もり)伊(い)蔵(ぞう)を瓶ごとラッパ飲みしながら、ポチを辱めて豪快に笑った。

 汗臭くて小さな脳みその柔道馬鹿ジジイは、肝硬変で入院した病室で一本! と叫びながらくたばれ。
 
 ポチは毒づいた。
 もちろん心で。

「俵選手、数ヵ月前に問題を起こしたばかりなのにあなたも懲りない人だ。役立たずの女みたいに、なんて表現したら世の女性陣に袋叩きにされますぞ。小説家として、私が手本をお見せしよう。ポチとかけて、カブトムシにドロップキックをするノミと解く。その心は......命懸けでなにかをやっても、気づいてもらえない存在が希薄で無価値な男」
 岩田が自慢げに言うと、老人達から爆笑が沸き起こった。

 作家じゃなかったら女にモテない偏屈ジジイは、男性週刊誌の袋綴じ破きながらマスでもかいてろ。

 ポチは毒づいた。
 もちろん心で。

「いやいや、お恥ずかしい。さすが作家先生! お見事! いっぽーん!」
 俵が岩田に向かって拍手をしながら、十八番(おはこ)の決め台詞(ぜりふ)を口にした。
「みなさん、息子をそのへんで勘弁してあげてください」
 ロマンスグレイの七三頭にノーフレイムの眼鏡――父が、助け船を出すふりをして口を挟んできた。
「昭和殿堂会」の面子(メンツ)はろくでなしの老害ばかりだが、ある意味、父は一番質(たち)が悪かった。
 本当に息子を庇う気持ちがあるなら、祖父に言われるがまま息子を下僕のように扱う「昭和殿堂会」に入れたりはしない。
 父の眼は、百パーセント祖父にしか向いていない。
 三友商事の跡目を継ぐために、父は祖父には絶対服従の男だ。
 父の興味は、祖父の顔色を窺(うかが)い、媚(こ)び諂(へつら)うこと以外にないのだ。
「なんだ、満。家族じゃからと、無能なポチを庇うのは本人のためにならんぞ? 不細工な娘が芸能界に入りたいと言ったら真実を教えて止めるのが、偏差値三十五の息子が東大に入りたいと言ったら真実を教えて止めるのが親の愛じゃろう?」
 祖父が孫を嘲(あざけ)りながら父に言った。
「たしかに、ウチの息子の出来はよくありません。普通は、顔がよくて勉強ができないとか、勉強はできないけど顔がいいとか、顔も悪くて勉強もできないけどスポーツが得意とか、なにか取り柄の一つはあるものです。でも、息子は頭も顔も運動神経も......おまけに性格も悪い四重苦です」
 父の言葉に、この日一番の大爆笑がポチの鼓膜に突き刺さった――心に突き刺さった。
「どう褒めるかと思ったら、誰よりもきついダメだし! 息子を溺愛せずに愛の鞭(むち)を放つ満社長は親の鑑(かがみ)だ! お見事! はなまるいっぽーん!」
 俵がよく通る野太い声で言いながら、父に向かって人差し指を向けた。
「そんな息子にも、人より優れていることがあります。それは、忍耐力です。『昭和殿堂会』に顔を出すようになって五年。どんな雑用にもどんな罵詈雑言にも文句一つ言わずに黙々とこなしてきました。彼の働きぶりは、みなさんもよくご存じでしょう」
 父の言葉は、少しも嬉しくなかった。
 忍耐力もなにも、これだけの面子が揃えば従うしかなかった。
 有り余る金と豊富な人脈がある老害達がその気になれば、ポチを闇に葬るくらいわけはない。
 老人達の怖さは、ポチが誰よりも知っている。
 虫けらのように捻り潰されないために、ポチはどんな屈辱にも耐えるしかないのだ。
 それに、「昭和殿堂会」を抜けるにはポチは多くを知り過ぎ、また、悪事に手を染め過ぎた。
「満社長、なにを言っとるんだ君は? ゴキブリが気持ち悪いと嫌われ、殺虫剤を撒かれることに傷ついたりするか?」
 大善がニヤニヤしながら言った。
「満社長。大善総理の言う通りだよ。五歳児が伊藤博文や夏目漱石を知らないからと言って己を恥じるか?」
 岩田がニヤニヤしながら言った。
「二人ともお見事! いっぽーん! もう一丁いっぽーん!」
 俵がニヤニヤしながら、大善と岩田を続けて指差し決め台詞を連発した。
「満よ。どうじゃ? これでもポチを庇うのか? 庇うなら、次からは『昭和殿堂会』に参加せんでもいい。庇わないなら、お前も息子をポチと呼ぶんじゃ」
 祖父がニヤニヤしながら、父に二者択一を迫った。
「おいポチ、よく聞け」
 微塵の迷いもなく父が、ポチ呼ばわりしてきた。
 僅か一秒も悩まずに、二者択一を選択したようだ。
 切り捨てられたとは思わなかった。
 もともと父は、息子を庇うふりをしながら老害側の人間なのだから。
「いま、この瞬間から父さんは心を鬼にしてお前に接する。会長や諸先輩方の言うとおり、身内だからと言って甘やかすのはお前のためにならん。無能には無能に相応(ふさわ)しい、カスにはカスに相応しい接し方をしてゆく。早速だが、床が汚れているからきれいにしなさい」
 父が大理石の床を指しながらポチに命じた。
 床の汚れのほぼすべてが、祖父が震える手で零したワインやキャビアだった。
「かしこまりました!」
 ポチはキッチンに駆け、掃除箱を手に戻ってきた。 
 床に跪(ひざまず)き、キッチンペーパーでワインを吸い取りキャビアを包んだ。
 床に大理石専用の洗浄液を噴霧し、ダスターで丁寧に拭き取った。
「お前のような出来損ないの下等生物が『昭和殿堂会』の下僕として仕えることができるのだから、感謝するんじゃぞ」
 頭上から、祖父の雑言が降ってきた。
「かしこまりました!」
「本来ならお前なんぞ、わしらと眼を合わせることもできん雑魚(ざこ)だぞ! 戦国時代なら大名と馬係くらいの立場の差があるのを、心に刻んでおけ!」
 頭上から、大善の雑言が降ってきた。
 ポチは下を向いたまま、歯を食い縛った。
 零れそうになる涙――堪えた。
 漏れそうになる嗚咽――堪えた。
 弱い姿を見せてしまったら、罵詈雑言に拍車がかかってしまう。
「ポチのことより、議題に話を戻そうじゃありませんか。このTという若者は、合格で問題ありませんな?」
 岩田がメンバーに同意を求めた。
「そうだな。目上の者に対しての礼儀をきっちり弁えているし、次のターゲットに移ろう......」
『でもさ~、だからといって、僕が老害擁護派ってわけでもないんだよね~』
 岩田に同意しかけた俵が、YouTubeから流れるTの発言に言葉の続きを呑み込んだ。

#刑事の娘はなにしてる?

イラスト/伊神裕貴

Synopsisあらすじ

4件の連続殺人事件が発生した。被害者の額にはいずれも「有料粗大ゴミ処理券」が貼られ、2人は唇を削ぎ落とされ、2人は十指を切断されていた。事件を担当するコルレオーネ刑事こと神谷は、3人目の被害者が、出会い系アプリで知り合った女子大生と会った翌日に殺害されたことを知る。連続殺人の犯人と被害者が抱える現代の増幅する憎悪に迫る!!

Profile著者紹介

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『168時間の奇跡』(以上中央公論新社)『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『絶対聖域』『動物警察24時』など多数。映像化された作品も多い。

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