#刑事の娘はなにしてる?第39回
19
渋谷ハチ公前――朝陽は虚ろな眼で、スクランブル交差点を行き交う人波をみつめた。
降りしきる雨に、いつもより人出は少なかった。
楽しそうに会話する同年代の女子高生の笑い声が、朝陽の耳に虚しく響き渡った。
つい一ヵ月前まで、朝陽も楓と他愛もない話で笑い合いながらショッピングやスイーツ店巡りをしていた。
朝陽は、一瞬にして地獄に落とされた。
ケダモノに凌辱され、楓を......。
絶望の闇に閉ざされ、涙も涸(か)れてしまった。
あのとき三宅との食事を自分が止めていれば、楓を死なせることもなかった。
いや、マッチングアプリに入会するのを止めるべきだった。
友情関係に罅(ひび)が入るのを恐れ躊躇(ためら)ったことが、すべての原因だ。
どれだけ後悔しても、楓は戻ってこない。
どれだけ憎悪しても、朝陽の汚れた身体は元に戻らない。
朝陽にできることは......朝陽のやるべきことは、一つしかない。
スマートフォンのデジタル時計に視線を移した。
PM12:50
待ち合わせの時間まで、あと十分だった。
朝陽は記憶を巻き戻した。
――明日、私と会って貰えますか?
――若菜ちゃんから連絡があるなんて珍しいね。いったい、どういう風の吹き回しかな?
――楓の件で、訊きたいことがあります。
――彼女がどうなってるかは、この前見せたじゃない?
三宅がクスクスと笑った。
――なにがおかしいんですか?
――ごめんごめん、君の浅知恵が見え見えでおかしくなってさ。大人びて見えても、まだ女子高生だね。
ふたたび、三宅がクスクスと笑った。
――だから、なにがおかしい......。
――警察を呼んでも無駄だよ。
三宅が朝陽の言葉を遮った。
――僕のパパは財界の大物で、検察庁、警察庁のトップと繋がっているし、パパの友人には総理大臣経験者のキングメーカーもいる。証拠もないのに君の証言だけで僕を逮捕することはできないし、万が一警察署に連行されても一時間後には釈放さ。だから、警察でもなんでも呼べばいい。その代り、わかってるだろうけど、釈放されたら真っ先に君のセックス動画を拡散するから。
三宅の不快な笑い声に、朝陽は理性を失いそうになったが堪(こら)えた。
――警察に通報なんてしません。本当のことを言います。楓のことは口実で、動画のデータを返して貰いたいんです。
朝陽は心にもないことを言った。
もう、動画などどうでもよかった。
――死んだ親友のことより、自分の恥部を隠すことのほうが大事ってことか。まあ、しょせん、人間なんてそんなものさ。他人がどうなろうと、自分さえ無事ならばそれでいいという生き物だ。君が僕に会いたい理由は納得できたけど、はいそうですか、って渡すわけにはいかない。君にとってそれだけ重要な物を手に入れたいなら、それなりの対価を払って貰わないとね。対価の意味、わかるよね?
――はい。でも、その前に人(ひと)気(け)のある安全な場所で動画データを確認させてください。一時に渋谷のハチ公前でお願いします。
朝陽は嫌悪と憎悪を押し殺し、待ち合わせ場所を指定した。
――ベタな場所だね。わかった。でも、確認だけだよ。渡すのは、道玄坂のホテルに移動して対価を貰ったあとだ。
「あの、すみません。『109』はどこでしょうか?」
女性の声に、朝陽は現実に引き戻された。
朝陽は、無言で横断歩道越しの建物を指差した。
「ありがとうございます......」
朝陽の様子に訝(いぶか)しげな表情で礼を言うと、女性は横断歩道を渡った。
朝陽は虚ろな視線を周囲に巡らせた。
三宅の姿はない。
朝陽は、傘を持つ左手とトートバッグを持つ右手に力を込めた。
約束の一時を十分過ぎても、三宅は現れなかった。
警察を警戒して、こない可能性もあった。
LINEの通知音が鳴った。
父からだった。
父とは一時に「109」の前で待ち合わせをしていた。
いま着いたぞ。どこだ?
ごめん、少し遅れる。
朝陽はメッセージを送信した。
会えない......いまは、まだ......。
激しさを増す雨脚が、生き物のように路面で跳ねた。
朝陽は首を巡らせた。
相変わらず、三宅の姿はなかった。
不安が胸に広がった。
朝陽のトートバッグを握り締める手に力が入った。
もし三宅が現れなかったら......。
朝陽は視線を止めた。
「TSUTAYA」方面から、三宅がスクランブル交差点を渡ってきた。
朝陽は三宅に向かって足を踏み出した。
約五メートル先――朝陽を認めた三宅が手を上げた。
四メートル、三メートル......朝陽は不思議なほど、冷静だった。
二メートル......傘を手放し、トートバッグを左手に持ち替えた。
一メートル......右手をトートバックに差し入れた。
「傘もささないでどうしたの......」
トートバックから引き抜いた右腕を、三宅の股間に突き出した。
「痛っ......」
三宅が顔を歪(ゆが)め前(まえ)屈(かが)みになった。
間を置かず朝陽は、引き抜いたナイフで股間を刺した。
「たた......助けて!」
裏返った声で叫び、三宅が尻餅をついた。
股間を押さえる三宅の両手と朝陽の右手は、血に染まっていた。
そこここで悲鳴が上がった。
朝陽は三宅を押し倒し、何度も股間にナイフを振り下ろした。
自分と楓を凌辱した醜悪な肉塊を、一心不乱に刺した。
「ひゃうあ......わ......悪かった......悪かったから......」
身悶える三宅が、泣き叫びながら詫びた。
三宅の股間から、夥(おびただ)しい量の血(ち)飛沫(しぶき)が上がった。
「男の人が刺されてるぞ!」
「女の子がナイフで人を刺してる!」
「血が一杯出てるわ!」
「救急車!」
「いや、警察だ!」
動転した通行人の絶叫が、朝陽の耳を素通りした。
「地獄に......」
朝陽は虚ろな瞳で蒼白になった三宅の顔を見下ろした。
赤く濡れるナイフを振り上げ、今度は左胸に振り下ろした。
二度、三度、四度、五度......なにかに憑(ひよう)依(い)されたように、朝陽は腕を振り下ろし続けた。
返り血を浴びた朝陽は赤鬼の形相で、三宅の心臓を滅多刺しにした。
朝陽は右腕の動きを止めるとフラフラと立ち上がり、既に事切れている三宅をみつめた。
楓......遅くなってごめんね。
路面を濡らす雨に流れる鮮血が、朝陽には楓が咲かせた赤い花びらのように思えた。
Synopsisあらすじ
4件の連続殺人事件が発生した。被害者の額にはいずれも「有料粗大ゴミ処理券」が貼られ、2人は唇を削ぎ落とされ、2人は十指を切断されていた。事件を担当するコルレオーネ刑事こと神谷は、3人目の被害者が、出会い系アプリで知り合った女子大生と会った翌日に殺害されたことを知る。連続殺人の犯人と被害者が抱える現代の増幅する憎悪に迫る!!
Profile著者紹介
大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『168時間の奇跡』(以上中央公論新社)『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『絶対聖域』『動物警察24時』など多数。映像化された作品も多い。
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