#刑事の娘はなにしてる?第33回

     ☆

 白い外壁のマンションの五メートルほど前で、朝陽は立ち止まった。
 マンションは住宅街の路地裏に建っており、人(ひと)気(け)がなくあたりは静まり返っていた。
 ここに、楓は監禁されているのかもしれない。
 これ以上近づくのは危険だった。
 朝陽は三宅に電話をかけた。
 受話口から流れる音声アナウンス......電源が切られていた。
 三宅は演技ではなく、本気で朝陽と連絡を絶とうとしているようだった。
 もちろん、朝陽も三宅と繋がりなど持ちたくはない。 
 しかし、楓を見殺しに......。
 背後から、口にタオルを当てられた。
 身体が宙に浮いた。

 助けて! 助けて! 助けて!

 朝陽の叫び声は、タオルに吸収された。
 懸命に足をバタつかせたが、上半身に回された腕はビクともしなかった。
「静かにしないと殺すよ」
 耳元で男の声がした。
 三宅......。
 背筋が凍てついた。
 マンションが近づいてきた。
 朝陽は渾身の力で身体を捩(よじ)った。
 
 嫌っ! 離して! 誰かーっ!

 ふたたび、朝陽の絶叫がタオルに吸い込まれた。
 涙に霞む視界に、一階の部屋のドアが近づく、近づく、近づく......。
 三宅が片手でドアを開けた隙に、朝陽は三宅の脛(すね)を踵(かかと)で蹴った。
 頭皮に激痛――背後から髪を引かれた。
「痛いっ、いた......」
 ふたたび、タオルを口に当てられた。
 そのまま抱きかかえられ、朝陽は室内に放りこまれた。
「やめて! 帰して! 帰し......」
 三宅の拳(こぶし)が飛んできた。
 みぞおちに激痛――息が詰まった。
 身体をくの字に折る朝陽を肩に担ぎ上げ、三宅が部屋の奥に進んだ。
 壁際に沿って設置してあるソファベッドに、朝陽は投げ捨てられた。
 部屋はフローリング床のワンルームで、ソファベッド以外は冷蔵庫しかなく生活臭が感じられなかった。
 朝陽はベッドから転げ落ち、這いずりながら玄関に向かった。
 追いかけてきた三宅に背中を踏まれ、朝陽は俯せに潰された。
「僕は忙しいんだ。手間をかけさせないでくれるかな」
 三宅の口調は、いままでとは明らかに違った。
 朝陽の首に、硬く冷たいものが当たった。
「おとなしくしてれば殺さない。だけど、騒いだり逃げようとしたら殺すからね」
 耳元で囁かれ、朝陽の背筋に冷たいものが走った。
「立って」
 朝陽は素直に従い立ち上がった。
 まだ、みぞおちに重く不快な鈍痛が残っていた。
「もう一度言うよ。おとなしくしてれば殺さない。だけど、従わなければ殺すから」
 三宅が朝陽の喉もとにナイフを突きつけながら、狂気の宿る瞳で見据えてきた。
 いままで三宅に抱いていた嫌悪感ではなく、底知れぬ恐怖を覚えた。
 眼の前の三宅は、朝陽の知っている滑稽で気色の悪い男とは別人のようだった。
「ベッドに座って。今日はレイプしないから、安心していいよ。もっと楽しいことをやるからさ」
 三宅が無表情に言った。
「そんなの、信じられません」
 朝陽は勇気を振り絞り言った。
「じゃあ、立ったままでもいいよ。レイプしない代わりに、君からは左を貰うよ」
 唐突に、三宅が言った。
「左? 左ってなんですか?」
 朝陽は怪訝な顔で訊ねた。
「ミミちゃん、いや、楓ちゃんからは右を貰った」
「え......どうして、楓の名前を!?」
 驚きを隠せず、朝陽は思わず大声を出した。
「これだよ」
 三宅がデニムのヒップポケットから引き抜いた学生証を朝陽の眼の前に突きつけた。
「どうして、それを......? 楓から右を貰ったって、なんのことですか?」
 朝陽は激しい胸騒ぎに襲われた。
 ふたたび三宅がヒップポケットに手を入れ、スマートフォンを取り出した。
「ほら」
 三宅が掲げたスマートフォンのディスプレイを見た朝陽は息を呑んだ。
 ディスプレイに表示された画像は、フローリング床に仰向けに横たわる全裸の女性だった。
 朝陽は眼を凝らし、ディスプレイに顔を近づけた。
「嫌っ!」
 朝陽は悲鳴を上げ、腰から崩れ落ちた。
「楓ちゃんに、会いたかったんだろう?」
 三宅は薄笑いを浮かべながら、スマートフォンのディスプレイを朝陽の顔前に突きつけた。
 楓の右の乳房が切り取られていた。
「楓ちゃんの右のおっぱいは、警察に送ったよ」
 三宅が涼しい顔で言った。
「ど......どうしてこんなことを......」
 朝陽は掠れた声で訊ねた。
「君の左のおっぱいが届けば、警察もマスコミも一般市民も僕を無視できなくなる。犯人は誰だ? なんてイカれたサイコ野郎だ! 『粗大ごみ連続殺人事件』の印象は薄れ、テレビも新聞も週刊誌も『女子高生おっぱい切り取り連続殺人事件』の話題で持ちきりになる」
 三宅が瞳を輝かせながら言った。
 朝陽の足もとの床に溜まった尿から、湯気が立っていた。
「だいたい、ゴミみたいな奴だから殺して死体の額に粗大ごみのシールを貼ってゴミ置き場に遺棄するなんて、ありきたりだしセンスないんだよ! 老害だって言われて逆恨みしてるけど、当たってるじゃん! 脳みそが萎縮して視力が落ちて歯が抜けて皺々になって膝も腰も反射神経も悪くなって、世間に迷惑ばかりかけているジジイどもが事実を指摘されて逆上して虫ケラみたいに人を殺して......過去の栄光が忘れられなくて、悪(わる)足(あ)掻(が)きしてる害虫はてめえらだろうが!」
 三宅は徐々に興奮し、白眼を剥き口角泡を飛ばしながら悪態を吐いた。 
 朝陽はそっとウエストポーチのファスナーを開け右手を忍ばせた。
「腐臭漂わせながら欲と執念だけで生きながらえている老害どもが、ポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチって、犬みたいに扱いやがって! 老害どもの老いの一徹で世間にアピールしている『粗大ごみ連続殺人事件』なんて、僕の芸術作品で掻き消して......うあっち!」
 ウエストポーチから抜いた右手に握られた熊撃退スプレーを、三宅の顔面に噴霧した。
「痛い! 痛い! 痛い! 痛い痛い痛い!」
 双眼を押さえのた打ち回る三宅を置き去りに、朝陽は部屋を飛び出した。
 大通りに向かい、朝陽は無我夢中で走った。
 脇腹に刺し込むような痛みが走り、肺が破れそうだった。
 朝陽はスピードを緩めなかった。
 もし捕まったら殺される。
 楓のように......。
 脳裏に蘇る、右の乳房が切り取られた全裸の死体。
 止(と)め処(ど)なく溢れる涙が、風に流された。
 滲(にじ)む視界にぼやける赤いランプ――朝陽は空車のタクシーに手を上げた。

#刑事の娘はなにしてる?

イラスト/伊神裕貴

Synopsisあらすじ

4件の連続殺人事件が発生した。被害者の額にはいずれも「有料粗大ゴミ処理券」が貼られ、2人は唇を削ぎ落とされ、2人は十指を切断されていた。事件を担当するコルレオーネ刑事こと神谷は、3人目の被害者が、出会い系アプリで知り合った女子大生と会った翌日に殺害されたことを知る。連続殺人の犯人と被害者が抱える現代の増幅する憎悪に迫る!!

Profile著者紹介

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『168時間の奇跡』(以上中央公論新社)『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『絶対聖域』『動物警察24時』など多数。映像化された作品も多い。

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