#刑事の娘はなにしてる?第31回

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 神谷はスマートフォンのディスプレイを睨みつけながら、リビングルームを動物園の熊のようにグルグルと回った。
「朝陽のやつ、こんな時間まで連絡もしねえでなにしてるんだ」
 ディスプレイのデジタル時計は、PM9:05となっていた。
 池(いけ)尻(じり)大(おお)橋(はし)のバー「バロック」から戻ってきた神谷は、話の続きをしようと朝陽の部屋に直行したが蛻(もぬけ)の殻(から)だった。
 神谷は歩き回りながら、朝陽の携帯番号をリダイヤルした。
 一時間で、三十回以上はかけていた。
 コール音が一回、二回、三回......。
「なにやってる......出ろ、出ろっ、出ろ!」
 神谷はいら立ちと不安がない交ぜになった感情を、スマートフォンにぶつけた。
「くそっ」
 コール音が二十回を超えたところで、神谷は通話を切った。
「男といるんじゃねえだろうな......」
 神谷は心に過(よぎ)った不吉な想像を慌てて打ち消した。
 朝陽にかぎって、そんなことはない。
 だが、友達はわからない。
 今日、楓の母から捜索願いが出された。
 楓は三日間学校を休み、家にも帰ってないらしい。
 
 ――もう、やめて! 友達が学校にきてないから、ほかの友達と心当たりを探していたのよ!

 あのとき朝陽が言っていた友達というのは、楓のことに違いない。
 楓のことは心配だが、神谷の頭は朝陽がトラブルに巻き込まれるのではないかという危惧に支配されていた。
 それに、楓が進んで家出をしている可能性もあった。
 捜索願いが出された十代の少女のほとんどが、彼氏や遊び友達の家に転がり込んでいるというパターンだった。
 ニュースで大々的に報じられるので印象に残ってしまうが、誘拐などのケースは稀だ。
 だが、彼氏や友達と遊んでいるうちに事件に巻き込まれる危険性はあった。
 もしかして朝陽は、楓と遊び友達の溜まり場に出入りしているのではないのか?
 そこに男がいてよからぬことを......。
「朝陽に変なことしやがったら、拳銃で頭ぶち抜いてやる!」
 神谷は叫びながらリビングルームを飛び出し、朝陽の部屋に入った。
 罪悪感から眼を逸らし、デスクの引き出しを上から順番に開けた。
 電子手帳、マーカーペン、ボールペン、消しゴム、定規、リップクリーム、文庫本、ハンカチ、充電器......一段目と二段目には、目ぼしい物はなかった。
 三段目の大きな引き出しには、教科書、参考書、ノートが詰め込まれていた。
 神谷は五冊のノートをチェックした。
 一冊目、二冊目、三冊目、四冊目――勉強以外の気になる書き込みはなかった。
 五冊目も、やはり気になる書き込みは......。
 神谷のページを捲る手が止まった。
「なんだ、これは......」
 神谷の視線が、最後のページに書き込まれた文字に吸い寄せられた。

 死にたい、でも死ねない、死にたい、まだ死ねない
 楓を救うまで死ねない 三宅を殺すまで死ねない

「なんだ、これは......」
 神谷は同じ言葉を繰り返した。

 死にたい? 朝陽が? なぜ? 
 楓を救うまで死ねない? どういう意味だ?
 三宅を殺すまで死ねない?
 三宅って、誰だ?
 なぜ、朝陽が三宅という人間を殺さなければならない?
 頭の中で、疑問符が渦巻いた。
 これは間違いなく朝陽の筆跡だ。
 楓は誰かに監禁されているのか?
 三宅という人間が、楓を監禁しているのか?
 不安が梅雨(つゆ)時(どき)の雨雲のように神谷の胸に広がった。
 無意識に神谷はスマートフォンを手に取り、楓の母親の携帯番号を呼び出し通話キーをタップした。
 コール音が一回目で途切れた。
『もしもし?』
 女性の声が受話口から流れてきた。
「夜分遅くにすみません。私、港署の神谷と申します。楓さんのお母様ですね?」
 神谷は訊ねた。
『あ、朝陽ちゃんのお父様ですね? 楓が、みつかったんですか!?』
 楓の母が、ボリュームアップした声で訊ねてきた。
 楓がみつかったのか!? という男性の声が聞こえた。
 恐らく、父親だろう。
「いえ。楓さんのことでお訊ねしたいことがあるのですが」
 神谷が用件を切り出すと、楓の母親が電話越しに落胆のため息を吐いた。
 見つかったんじゃないのか!?
 また、父親らしき男性の声がした。
 顔は見えないが、声の感じだけで焦燥と憔悴の様子が伝わってきた。
 神谷には、父親の気持ちが痛いほど分かった。
 朝陽がトラブルに巻き込まれていたら......と考えただけで理性を失いそうだった。
『なんでしょうか?』
「娘さんに、三宅という名前の知り合いはいましたか?」
『三宅さん? いえ、聞いたことありませんが......女の子ですか?』
「年齢も性別もわかりません。よく考えてください。三宅という名前に覚えはありませんか? 娘さんにかぎらず、出入り業者やお父様のお知り合いでも構いません」
 神谷は、逸(はや)る気持ちを堪(こら)えて訊ねた。
 いまは父親としてではなく、刑事として楓の母親と向き合わなければならない。
『ねえ、男の人でも女の人でもいいから、三宅さんって名前の人が知り合いか職場にいる?』
 母親が父親に訊ねた。
 三宅さん? 楓がいなくなったことと、なにか関係があるのか!?
 父親の声。
『それを調べるために訊いてるんでしょ!? どうなの!? 三宅さんって名前に心当たりはあるの!?』
 母親がヒステリックな口調で父親に訊ねた。
 父親は束の間の沈黙の後、いや、いないな、と言った。
『いないそうです。その三宅さんって人が、楓になにかしたんですか!?』
 母親の声は掠れ、震えていた。
「いえ、そういうことではありません」
 神谷は言葉を濁した。
『だったら、どうしてその人のことを訊くんですか? おかしいじゃないですか! 娘と関係がない人のことを訊いてくるなんてっ』
 母親が、感情の昂(たかぶ)りを神谷にぶつけてきた。
 同じ年の娘を持つ親として、母親のいら立ちは理解できる。
 それに、他人(ひと)事(ごと)ではなかった。
 朝陽も楓とともに、トラブルに巻き込まれている可能性があるのだ。
「実は、朝陽が娘さんを探しているみたいなんです」
 神谷は迷った末に打ち明けた。
 朝陽が楓の行方を追って連絡が取れなくなったという事実を伏せたままでは、話を運ぶのにも限界があった。
『え? どういうことですか?』
「朝陽がノートに、娘さんの名前と三宅という名前を書いていたんです」

 死にたい、でも死ねない、死にたい、まだ死ねない
 楓を救うまで死ねない 三宅を殺すまで死ねない

 脳裏に蘇る朝陽のメモ書きが、神谷の胸を鷲掴みにした。
『朝陽ちゃんに、三宅さんっていう人のことを訊けばいいじゃないですか?』
「朝陽は娘さんを探しに行ったまま、連絡が取れないんです」
 言葉にするだけでも、胃がキリキリと痛んだ。
『二人で、なにをやっているのかしら......』
 母親が不安げな声で呟いた。
 また、あの子に誘われたんじゃないのか? 
 父親の声が聞こえた。
『またってなによ?』
 母親が怪訝そうな声で訊ねた。
 忘れたのか? 二、三ヵ月前に楓が出会い系みたいなサイトを覗いてたから問い詰めたら、朝陽ちゃんに教えて貰ったって言ってただろう?
「そんなはずはない!」
 父親の言葉に、神谷は思わず大声を張り上げた。
「ご主人に代わってください!」
 神谷は母親に言った。
『お電話代わり......』
「でたらめを言ってんじゃねえぞ! 朝陽が、そんないかがわしいサイトに登録するわけねえだろうが!」
 神谷は父親の言葉を遮り、怒声を浴びせた。
『な......なんなんですか!? いきなり! 楓がそう言ったんですよ! 私はでたらめなんて言ってません!』
 父親が憤然として言った。
「だったら、娘がでたらめを言ってるんだろ!」
 神谷はふたたび父親に怒声を浴びせた。
『ウチの娘を、嘘吐き呼ばわりする気ですか!』
 負けじと父親も怒鳴り返してきた。
「朝陽が出会い系サイトに登録してたなんて言うんだから、嘘吐きだろうが! 娘のことを見抜けてねえから、こんな騒ぎになるんじゃねえか! 娘の言うことをなんでもかんでも鵜呑みにするてめえみたいな馬鹿親が、子供を駄目にしてるんだよ!」
 神谷は床を踏み鳴らしながら、父親を罵倒した。
『あなたは、本当に刑事さんですか!?』
「刑事である前に朝陽の父親だ! 大事な娘が援交してるみてえに侮辱されて、冷静でいられるか! まあ、いい。いまはあんたと言い争いをしてる場合じゃねえ」
 神谷は深呼吸を繰り返し、クールダウンした。
 朝陽がトラブルに巻き込まれるのを阻止するために、楓の失踪の謎を解くのが先決だ。
「その出会い系のサイトの名前を教えてください」
 神谷は口調を敬語に戻した。
『二重人格じゃないんですか?』
 父親が皮肉を言った。
「出会い系のサイトの名前を教えてください」
 神谷は冷静な口調で繰り返した。
『ちょっと待ってください。携帯にメモしてますから』
 神谷は眼を閉じ、気持ちを落ち着けた。
 朝陽が絡んでいるからこそ、冷静でなければならない。
 正気を失っていいのは、万が一にも朝陽を傷つける存在がいたときだ。
『たしかこのフォルダにホームページが......あった! 「トキメキ?楽部」というマッチングアプリです』
「トキメキ......『トキメキ?楽部』に間違いありませんか!?」
 神谷は大声で訊ねた。
『はい。「トキメキ?楽部」に間違いありません。このお店を知ってるんですか?』
 父親が怪訝そうに質問を返してきた。
「たまたま、ここの社長を知っています。明日、またご連絡致します。なにかありましたら、私に電話してください。では......」
『刑事さん、さっきのいざこざは水に流します。私も、楓がいなくなったのは刑事さんの娘さんのせいみたいな言いかたをしてすみませんでした。どうか、楓をみつけてください......』
 父親の声が嗚咽に呑み込まれた。
「私のほうこそ、感情的になり暴言を吐いてしまい申し訳ありませんでした。ご安心ください。たとえお父さんが水に流さなくても、必ず娘さんを見つけますから。では、これで失礼します」
 神谷は電話を切ると、間を置かずに番号キーをタップした。
『僕もちょうど、電話しようと思っていたところです!』
 二回目のコールが途切れ、三田村の弾んだ声が受話口から流れてきた。
「なにかあったのか?」
『ネットで検索してたら、いろいろ面白い情報が釣れました!』
「俺も重大な情報を得たところだ。いまから、俺の家にこられるか?」
 朝陽が帰ってくるかもしれないので、家を空けるわけにはいかなかった。
『一時間以内に到着できると思います』
「よろしく」
 神谷は電話を切ると、三田村がダウンロードしてくれていた「トキメキ?楽部」のアプリを起ち上げた。

#刑事の娘はなにしてる?

イラスト/伊神裕貴

Synopsisあらすじ

4件の連続殺人事件が発生した。被害者の額にはいずれも「有料粗大ゴミ処理券」が貼られ、2人は唇を削ぎ落とされ、2人は十指を切断されていた。事件を担当するコルレオーネ刑事こと神谷は、3人目の被害者が、出会い系アプリで知り合った女子大生と会った翌日に殺害されたことを知る。連続殺人の犯人と被害者が抱える現代の増幅する憎悪に迫る!!

Profile著者紹介

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に『血』『少年は死になさい…美しく』『168時間の奇跡』(以上中央公論新社)『無間地獄』『忘れ雪』『紙のピアノ』『枕女王』『絶対聖域』『動物警察24時』など多数。映像化された作品も多い。

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